4 / 5
4.「それとも、私とは嫌? ハッキリ言ってみて」
しおりを挟むようやく熊笹の密集地帯を抜けた。
そこを出ると、岩壁が崩落してできたガレ場がひろがっていた。
大小の岩石が山積みにされ、もはや道なき道と化してしまっている。
足場が悪すぎた。小山じみた巨石が行く手をはばみ、よじ登らねばならないようなところもあった。そのたびに玲也は先行し、ボマーと萌の手をとって、すくいあげた。
途中、なんどか小休止をはさみながら、なおも登った。
いくつかの小さな尾根を越え、稜線づたいに進んだ。
このあたりでいちばん高いピークと思われるところへたどり着いた。
どこを探しても、山裾から見えた光は見当たらない。
「たしかにこのあたりのはずなんですが」と、玲也は周囲を見まわした。明滅する光の発光源は見つけられない。「まさか、無駄骨なんじゃ」
「四十九日のあいだ、この山でさまよわなくちゃいけないのかな」
「わからない。けど、どうにかしないと」
「ね、ふしぎだと思わない?」
「え」
「これだけ歩いたのに、さっきから喉の渇きも、おなかが空いたとも思わない。寒くも暑くもない。やっぱり死んだから、そんな肉体の変化がおきないのかな」
「たしかに」と、玲也は片脚をあげた。「疲れてるはずなのに、ヘトヘトというほどでもない。精神的にしんどいだけで」
「単に気が張ってるだけかもしれないけど」
「はじめて死んだんで、神経が高ぶってるかも?」
「おかしなこと言うのね、玲也クン。ふつう死ぬのは一度きりでしょ」
「ですが、たまに死の淵から生還する人もいますよ。奇蹟的に」
「ギリギリの淵からっていう意味じゃないの」
「AEDや心臓マッサージなんかで、心停止した人が生き返る例もあるじゃないですか。あれなんか、完全にあちら側を跨いじゃってますよ」
萌は眼をまるくした。
「それもそっか。鋭い」
そのうち樹林で囲まれた広場に入った。
三方はおびただしい檜がそそり立ち、暗い屏風となっている。
二人が入ってきた方角からうしろをふり返ると、はるか向こうの山並が見渡せた。すばらしい見晴らしだった。
広場の足もとには、一面羊歯が生い茂っていた。ふくらはぎまで埋まるほどの丈だ。
「いくら歩いてもゴールは見えずか……。さすがに歩くのもしんどくなってきたような気がする」
と、萌はうんざりした様子で言った。抱えていたボマーをおろした。ボマーは鼻面で羊歯を押しのけ、軽快な足取りで歩いた。
「休憩しますか」
「ね」萌は座りこみ、髪をかきあげた。玲也を見あげた。「休憩じゃなく、ここいらで充分じゃない?」
「なにが充分」
「どうも、この山はどこまで行っても人っ子ひとりいない感じみたい」
「あきらめないでください。まだ人がいないって決めつけるべきじゃないです」
「私ね。さっきおばあちゃんの声にしたがって、山をくだり、玲也クンといっしょに行動しなさいって聞こえたって言ってたじゃない」
「はい」
「不幸にも事故で死んじゃったら、もしかしたら、ちゃんとあの世に行けないのかもしれない」
「だったら、このままずっとさまようしかないと?」
「正直言うと、もう歩きたくないの。さっきから脚に違和感があって」
「わがまま言わないでください」
「いっそのこと、ここを終の棲家とするべきと思うの。おばあちゃんがそう指示してる気がするの」
玲也はうなった。
「まさに、おばあちゃんこそ神の言葉ですね。いっしょに住むわけですか。屋根もないここで?」
「二人しかいないんだし、ここで暮らしましょ。不慮の死を遂げた場合、あがれないんだったら、しかたないじゃない」と、萌はため息をついて言った。ボマーを放したまま、玲也を真っ向から見据えた。「――それとも、私とは嫌? ハッキリ言ってみて」
玲也は困惑しながら、萌を見返した。眼をそらしたら男がすたる。
むしろ、萌となら悪くないと思った。
「――いえ、嫌じゃないす。萌さんとなら喜んで」
「私の方が年上だけど、だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ。――しかし、肉食系なんですね」
「こら」と、言って玲也にかるい拳骨をお見舞いした。「前向きと言ってよ。いまさらあとにも引けないんだし、こうする方が建設的な解決方法だと思うんだけど。ほかに手があったら教えて」
「覆水盆に返らず」
「英語で言うと、It’s no use crying over spilt milk」
「ああ――『こぼしたミルクを嘆いても無駄』ってやつですね」
「そゆこと」と言うと、ボマーが弾丸のように萌のもとに走ってきたので、それを押さえた。しわの多い頭を撫でながら、「ボマーもいるし、寂しくないはずよ」
「ええ、寂しくない。僕、犬好きですよ。ボマーもブサカワで、いい奴そうだし。オス……ですよね」
「ブサカワはよけい。そ。男の子」
「抱かせてくれませんか」
「は? 藪からスティック」
「ルー大柴か」と、玲也は笑った。「ボマーのことですよ。なに、勘ちがいしてるんですか」
「主語をつけてよ。まぎらわしい」と、萌は玲也の肩を叩いた。「あいよ。ボマー、抱かれておやり」と、パグの尻に手をそえて渡した。ボマーは玲也の腕のなかにおさまり、おとなしくしていた。小さな舌を出し、真ん丸の眼で玲也を見あげた。たしかにボマーがいたら不自由しない。
「そうと決まれば」と、玲也はボマーを返し、背筋を伸ばした。「夜が来ないうちに、家をつくらないと。せめて屋根だけでも欲しいです。雨露をしのぎたい」
「だったら、こしらえて」
と、甘えた声を出した。
「人遣い、荒すぎやしませんか?」
「それだけ頼りにしてるってこと」
「また、おだてるのがうまい」玲也は上着をぬいだ。どうせ熊笹のエリアを突っ切ったとき、汚れきっていたのだ。「いっちょ、ひと汗かきますか」
この広場までの道すがら、数えきれないほどの朽ち木が落ちていたのを思い出した。
玲也はそれを回収し、広場に運んだ。なんどもなんども胸に抱えては、行ったり来たりをくり返し材料を集めた。
広場の中央に、家を建てることにした。
まずは地面の羊歯を引き抜いた。
木と木をつなぎ合わせる紐は、檜の皮をはいで、両手の掌でこよりをより合わせるようにしてつくった。雑な仕上がりだったが、仮止めする分には問題ないだろう。どうせろくな材料はないのだ。
玲也は飽くことなく、父と日曜大工をしたころを思い出しながら、朽ち木を組み合わせていった。
萌はそばで、退屈しのぎに朽ち木を井桁に積みあげていった。
鼻歌まじりに、「恐山に伝わるあの話があるじゃない」
「なにが?」
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため。三重積んでは故郷の兄弟わが身と回向して、昼は一人で遊べども、日も入りあいのそのころは、地獄の鬼が現れて、やれ汝らはなにをする」と、韻をふみながら萌が歌った。「――賽の河原で、親より先に亡くなった子供が歌うアレ」
「なるほど。聴いたことがある」
「おばあちゃんより先に逝くのは不幸なことよ。きっと陸子おばあちゃん、私にここで君と暮らしなさいって言ってるんだと思う」
「よくわからないですね。だって、ここにはなにもないんですよ」
「なにもないからこそ、寂しさを紛らわせるには、一人よりも二人の方がいい。幸い、君と私は打てば響くような会話のキャッチボールができそうだし」
「いずれ、話のネタは尽きます。しょせん僕なんか人生経験が浅すぎるし」
「おもしろい話ばかりもとめてないって。なければないで、寄りそうだけで充分」
「うまくいくでしょうか?」
「うまくいかなければ、ちょっと距離をおいてもいいじゃない。そのときはそのとき」
「ですよね」と、玲也はなんのかんのしゃべりながら、手を動かし続けた。
三時間経ったころ、ようやく家らしき物体が完成した。
といっても、柱は押せば飄然とゆれ、天井もすき間だらけだ。床もおなじく地面が見え、凹凸が烈しい。できの悪い東屋のようなものだった。風が吹けば飛ぶようなひ弱な代物だったが、当面は日差しをさえぎるぐらいには役立ちそうだった。雨風をしのぐにはむりがあったが。
玲也は靴をぬいで家のなかでくつろぎ、「なんという原始生活」と、言ってみた。それでも家をつくりあげた充足感があった。
「悪くないよ。なんだかママゴトみたい。子供のころを思い出す」
「秘密基地っぽいです。子供のとき、裏山でつくったものです」
「どっちにしろ、ゴッコ遊びになるけど、それはそれでかまわないんじゃない?」
「腹は空かないったって、いったいなに食べるんです。なにか口にしないと侘しいような気が」
「霞を食べる」
「またまた」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日高川という名の大蛇に抱かれて【怒りの炎で光宗センセを火あぶりの刑にしちゃうもん!】
spell breaker!
ホラー
幼いころから思い込みの烈しい庄司 由海(しょうじ ゆみ)。
初潮を迎えたころ、家系に伝わる蛇の紋章を受け継いでしまった。
聖痕をまとったからには、庄司の女は情深く、とかく男と色恋沙汰に落ちやすくなる。身を滅ぼしかねないのだという。
やがて17歳になった。夏休み明けのことだった。
県立日高学園に通う由海は、突然担任になった光宗 臣吾(みつむね しんご)に一目惚れしてしまう。
なんとか光宗先生と交際できないか近づく由海。
ところが光宗には二面性があり、女癖も悪かった。
決定的な場面を目撃してしまったとき、ついに由海は怒り、暴走してしまう……。
※本作は『小説家になろう』様でも公開しております。
この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
回想録
高端麻羽
ミステリー
古き良き時代。
街角のガス灯が霧にけぶる都市の一角、ベィカー街112Bのとある下宿に、稀代の名探偵が住んでいた。
この文書は、その同居人でありパートナーでもあった医師、J・H・ワトスン氏が記した回想録の抜粋である。

【完結】共生
ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。
ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。
隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?
絶海の孤島! 猿の群れに遺体を食べさせる葬儀島【猿噛み島】
spell breaker!
ホラー
交野 直哉(かたの なおや)の恋人、咲希(さき)の父親が不慮の事故死を遂げた。
急きょ、彼女の故郷である鹿児島のトカラ列島のひとつ、『悉平島(しっぺいとう)』に二人してかけつけることになった。
実は悉平島での葬送儀礼は、特殊な自然葬がおこなわれているのだという。
その方法とは、悉平島から沖合3キロのところに浮かぶ無人島『猿噛み島(さるがみじま)』に遺体を運び、そこで野ざらしにし、驚くべきことに島に棲息するニホンザルの群れに食べさせるという野蛮なやり方なのだ。ちょうどチベットの鳥葬の猿版といったところだ。
島で咲希の父親の遺体を食べさせ、事の成り行きを見守る交野。あまりの凄惨な現場に言葉を失う。
やがて猿噛み島にはニホンザル以外のモノが住んでいることに気がつく。
日をあらため再度、島に上陸し、猿葬を取り仕切る職人、平泉(ひらいずみ)に真相を聞き出すため迫った。
いったい島にどんな秘密を隠しているのかと――。
猿噛み島は恐るべきタブーを隠した場所だったのだ。
どんでん返し
井浦
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~
ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが…
(「薪」より)
嘘つきカウンセラーの饒舌推理
真木ハヌイ
ミステリー
身近な心の問題をテーマにした連作短編。六章構成。狡猾で奇妙なカウンセラーの男が、カウンセリングを通じて相談者たちの心の悩みの正体を解き明かしていく。ただ、それで必ずしも相談者が満足する結果になるとは限らないようで……?(カクヨムにも掲載しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる