上 下
31 / 37

31.「横暴なルールだな。まるで取ってつけたようじゃないか」

しおりを挟む
 パプアニューギニアにはフォアと呼ばれる民族があった。
 かつては死者の魂を弔うために、葬儀の参列者が故人の身体から切り取った肉片をバナナの葉に包み、焼いて食べた習慣があったという。

 女性と子供は主に脳と内臓を食べる役目となっており、最長潜伏期間50年を経て、その者たちがクールー病を発症した。
 クロイツフェルト・ヤコブ病や狂牛病BSEと同じ仕組みの病気と考えられているクールー病は、手足のふるえ、方向感覚の喪失と歩行困難、会話はおろか咀嚼そしゃくする力すらなくなり、痴呆状態を呈し、発症したら最後、1年ほどで死に至るとされている。



「おれのあずかり知らぬところで、なにが起きようが知ったことか。奴らが狂牛病にかかるリスクがあろうがなかろうが、知ったことかよ」と、暗い眼でほら穴の入り口を見た。ラジオのノイズみたいな雨の音だけが聞こえた。「しょせん島に放置されるのは、魂を欠いた肉の塊にすぎん。それは同胞じゃない。もう心はないんだ。ただの肉塊を奴らが食べて、どうにかなろうが、ちっとも良心は痛まん」

「それがあんたの死生観だ。かなり麻痺してる」

「なんとでも言え」と、平泉は唾を吐いた。唾の飛沫は漂白された人骨の堆積にかかった。「『狒々もどき』の境遇については同情を憶える。だが、おれは猿葬師だ。それ以上に島の猿どもが、まるで我が子のように思えてくるものなんだ。ときどき扱いが荒っぽいにせよ。むしろ、飢えさせるのは忍びない。だから餌を与えてるぐらいにしか思っちゃいない。そのおこぼれを『狒々もどき』が食べようが、かまわんじゃないか。これがおれのスタンスだ」

 そのとき、闇が吐息を吹きかけてきた。
 交野はわずかな異変を察知した。
 ほら穴の奥からだ。タールをこぼしたような闇の向こうから、微風が吹き抜けるのを肌で感じたのだ。

「おかしくないか……。いま、穴の向こうから風が流れていったぞ」と、LEDライトの光芒を闇に向けた。「やっぱりだ。かすかに吹いている。この奥からだ」

「なんだって」

 交野の勘はまちがっていなかった。事実、平泉の吸うタバコの煙が屋外へ向けて流れていくのだ。

「奥は行き止まりではない。あの壁の向こうになにかある」

 交野はライトの光を頼りに、奥へ進みはじめた。

「やめとけ。そっちへ行ったところでなにもない。時間の無駄だ。ましてやここは猿噛み島でもいっとう神聖な場所だ。むやみに嗅ぎまわるのはよせ」

 平泉の声にはあきらかな怒気が含まれていた。タバコを投げ捨て、交野のあとを追ってくる。

「あんた、ハッタリかましてるだろ。聖地でタバコは吹かすは、唾を吐いたうえ、吸殻まで捨てるなんて、ちっとも説得力がないぞ。バレバレだ」

「よさないか!」ガラスを叩き割ったような叱責がほら穴に反響した。「よそ者の分際で恥を知れ。ここは島の人間が眠る場所なんだ。死者を冒涜するのはよさんか。これ以上、おれの許可なく進ませるわけにはいかねえ。ここではおれの発言が絶対だ」

「横暴なルールだな。まるで取ってつけたようじゃないか」

 やいのやいの押し問答のすえ、交野が回廊の突き当りに達した。
 そこは岩の壁ではなく、ほつれた戸板が立てかけてあった。聖域にしては空の弁当やペットボトルなどのガラクタが転がり、不自然な空間だった。

「目隠しがしてある」

「それに触れるな。よさんか」

「もう遅い」

 戸板をめくり、裏をのぞいた。
 上に続く急勾配の階段が現れた。
 それを見つけられた平泉はバツの悪い顔をして天を仰いだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【1行文ホラー】世の中にある非日常の怖い話[完結済]

テキトーセイバー
ホラー
タイトル変更いたしました 恐怖体験話を集めました。かなり短めの1行文で終わります。

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

401号室

ツヨシ
ホラー
その部屋は人が死ぬ

追っかけ

山吹
ホラー
小説を書いてみよう!という流れになって友達にどんなジャンルにしたらいいか聞いたらホラーがいいと言われたので生まれた作品です。ご愛読ありがとうございました。先生の次回作にご期待ください。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

孤独の旅路に伴侶をもとめて

spell breaker!
ミステリー
気づいたとき、玲也(れいや)は見知らぬ山を登っていた。山頂に光が瞬いているので、それをめざして登るしかない。 生命の息吹を感じさせない山だった。そのうち濃い霧が発生しはじめる。 と、上から誰かがくだってきた。霧のなかから姿を現したのは萌(もえ)と名のる女だった。 玲也は萌とともに行動をともにするのだが、歩くにしたがい二人はなぜここにいるのか思い出していく……。 ※本作は『小説家になろう』さまでも公開しております。

AstiMaitrise

椎奈ゆい
ホラー
少女が立ち向かうのは呪いか、大衆か、支配者か______ ”学校の西門を通った者は祟りに遭う” 20年前の事件をきっかけに始まった祟りの噂。壇ノ浦学園では西門を通るのを固く禁じる”掟”の元、生徒会が厳しく取り締まっていた。 そんな中、転校生の平等院霊否は偶然にも掟を破ってしまう。 祟りの真相と学園の謎を解き明かすべく、霊否たちの戦いが始まる———!

処理中です...