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28.「いずれにせよ、現代の姥捨て山か」
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「隠語」
どうにか丘を越えたあと、平泉は手近の岩に腰かけ、小休止させてくれと言った。
平泉がかたわらの岩をあごでしゃくった。
交野も納骨袋をおろすと、へたり込むように座った。
「むごい話さ。明治28年ごろだ。悉平島のみならずトカラ列島一帯に伝染病が猛威をふるった。コレラだ。当時の致死率は5割。症状が末期になり、医者にサジを投げられた患者が、人知れずここに置き去りにされた。当時の猿どもはいまより飢えていた。生きたまま猿のえじきにされたこともあったらしい。考えてもみろ。生きたままガブリとやられるんだぜ。……おおこわ!」
「コレラにかかってるからって、そんなことがゆるされたのか? 法もクソもないじゃないか」
「当時はあまりにも患者の数が多すぎて、倫理を謳ってる余裕はなかったんだろ。現実はこんなもんさ。弱者は淘汰される」
「待て待て……。島に置き去りにされた人間が、一方で猿に食われ、もう一方でどうやって生き延びられたんだ?」
「なかには反対に猿を手なずけ、同胞となった者もいた。同胞というより、猿どもに服従を誓って、生を勝ち取ったというべきか。その末裔こそ、奴らの正体さ。猿どもに囲まれて生きてきたため、ろくに言葉もしゃべることができん」
交野はうなって首をふった。
「荒唐無稽もいいところだ。島で生まれただと? 物理的にそんなことが可能なもんか。抗生物質もない島だぞ」
「しっかと見たじゃねえか。あれが動かぬ証拠さ。あれこそ現実だ。認めたくないのはわかるが」と、平泉は辛抱強く言った。「もっとも、病気に対する免疫はあるはずもない。ちょっとした感染症になっただけで、イチコロになるにちがいない。が、ごくまれに生命力の強い奴だけが、ああして生きながらえてるわけだ」
交野は烈しく頭をふった。
「そんなことって、あるはずが――」
平泉は掌にこぶしを打ちつけた。乾いた音に、交野は尻が浮きあがる思いをした。
「それだけじゃないんだ。コレラによる患者だけのみならず、ここ近年だって、連れてこられた事例もあるらしい。『らしい』っていうのは、おれは部外者だからだ。ひそかに聞いた話だと、悉平島に流れてきた素性の知れんやくざ者や、働きもせず親の年金を食いつぶしてる穀潰し、あるいは町で悪さばかりして、どうにもならんガキなんかもひっくるめて、ここに捨てた歴史があるそうだ」
「むちゃくちゃだ」
「誰に拉致されるかまでは知らん。堅気の人間のしわざではなかろうよ」と、平泉は言い、ブッシュナイフの刃先をかたむけて陽光を反射させた。刃は念入りに焼き入れされ、紫色を帯びていた。「そんな奴らを捕え、泳いで逃亡しないよう、おれの親父や、そのまた先代は、足首を切り落とすのに一役買ったとのことだ。とは言っても、不衛生な場所柄、たいていは破傷風をこじらせたりして、長くは生きられんかったろうが」
「鬼畜もいいところじゃないか。いくら悪さするからって」交野は声を荒げ、眼を見開いた。「まさか、こんなタブーが隠されていたなんて夢にも思わなかった。……ひょっとして、それを知ったおれは消されるんじゃなかろうな?」
平泉は下からにらみあげ、クスクス笑った。
「心配しなさんな。おめえが秘密を知ったところで、同じように置き去りにするつもりはねえさ。だいいち、咲希たちになんて説明すりゃいい。真っ先にサツに疑われるわな」
「冷汗をかかせるな。口ぶりから察するに、あんたは手を染めていないわけだな。あんたはそこまでやる人じゃないと、信じてるつもりだ」
平泉は口を開けたまま、拍子抜けしたような表情を見せ、
「信じてくれるってか。都会もんのおまえさんが。ありがたくて、涙がチョチョ切れるね」と言い、ひとしきりカラカラと大笑した。
「物騒なものはおろせよ。そいつは生きた人間相手に使うべきじゃあない」
「しかも駆け引き上手ときた」と言って、立ちあがった。ふたたび獣道にふさがるイバラを払いはじめた。刈らずに強行すれば、たちまち二の腕やふくらはぎが傷だらけになるだろう。「おれもこんな稼業を続けてると、悉平島の人間のなかにゃ、あることないこと陰口叩く奴がいるもんでね。つい疑り深くなるってもんよ。我慢してるつもりだが、こちとら血の気が多くてかなわん。『おまえは遺体をさばくのに慣れてるんだから、どうせ生きた人間だって手にかけたこともあるんじゃないか』とね。いらぬ想像をされがちだ」
「職業差別だな」
交野の方をふり向き、真顔で、
「おれはあくまで死体解体人であり、猿葬師にすぎん。この件についてはノータッチだ。親父や、そのまた先代こそ『狒々もどき』に関わってきたらしいがな。さっきも言ったように、秘密裏に島へ捨てにくる『業者』が別に存在した。くわしく説明するまでもあるまい。それはおれの関知するところではない。『狒々もどき』に関しては、深入りするなという暗黙の了解があるほどだ。誰から?なんて野暮な質問はなしだ」
交野は長いあいだ、うなった。
「いずれにせよ、現代の姥捨て山か。ことが明るみに出たら、えらい騒ぎになるぞ」
「だろうな。人権問題で報道陣が殺到する。悉平島も好奇な眼で見られ、思いっきり叩かれるだろう。そうなったら、この風習もおしまいだ」
どうにか丘を越えたあと、平泉は手近の岩に腰かけ、小休止させてくれと言った。
平泉がかたわらの岩をあごでしゃくった。
交野も納骨袋をおろすと、へたり込むように座った。
「むごい話さ。明治28年ごろだ。悉平島のみならずトカラ列島一帯に伝染病が猛威をふるった。コレラだ。当時の致死率は5割。症状が末期になり、医者にサジを投げられた患者が、人知れずここに置き去りにされた。当時の猿どもはいまより飢えていた。生きたまま猿のえじきにされたこともあったらしい。考えてもみろ。生きたままガブリとやられるんだぜ。……おおこわ!」
「コレラにかかってるからって、そんなことがゆるされたのか? 法もクソもないじゃないか」
「当時はあまりにも患者の数が多すぎて、倫理を謳ってる余裕はなかったんだろ。現実はこんなもんさ。弱者は淘汰される」
「待て待て……。島に置き去りにされた人間が、一方で猿に食われ、もう一方でどうやって生き延びられたんだ?」
「なかには反対に猿を手なずけ、同胞となった者もいた。同胞というより、猿どもに服従を誓って、生を勝ち取ったというべきか。その末裔こそ、奴らの正体さ。猿どもに囲まれて生きてきたため、ろくに言葉もしゃべることができん」
交野はうなって首をふった。
「荒唐無稽もいいところだ。島で生まれただと? 物理的にそんなことが可能なもんか。抗生物質もない島だぞ」
「しっかと見たじゃねえか。あれが動かぬ証拠さ。あれこそ現実だ。認めたくないのはわかるが」と、平泉は辛抱強く言った。「もっとも、病気に対する免疫はあるはずもない。ちょっとした感染症になっただけで、イチコロになるにちがいない。が、ごくまれに生命力の強い奴だけが、ああして生きながらえてるわけだ」
交野は烈しく頭をふった。
「そんなことって、あるはずが――」
平泉は掌にこぶしを打ちつけた。乾いた音に、交野は尻が浮きあがる思いをした。
「それだけじゃないんだ。コレラによる患者だけのみならず、ここ近年だって、連れてこられた事例もあるらしい。『らしい』っていうのは、おれは部外者だからだ。ひそかに聞いた話だと、悉平島に流れてきた素性の知れんやくざ者や、働きもせず親の年金を食いつぶしてる穀潰し、あるいは町で悪さばかりして、どうにもならんガキなんかもひっくるめて、ここに捨てた歴史があるそうだ」
「むちゃくちゃだ」
「誰に拉致されるかまでは知らん。堅気の人間のしわざではなかろうよ」と、平泉は言い、ブッシュナイフの刃先をかたむけて陽光を反射させた。刃は念入りに焼き入れされ、紫色を帯びていた。「そんな奴らを捕え、泳いで逃亡しないよう、おれの親父や、そのまた先代は、足首を切り落とすのに一役買ったとのことだ。とは言っても、不衛生な場所柄、たいていは破傷風をこじらせたりして、長くは生きられんかったろうが」
「鬼畜もいいところじゃないか。いくら悪さするからって」交野は声を荒げ、眼を見開いた。「まさか、こんなタブーが隠されていたなんて夢にも思わなかった。……ひょっとして、それを知ったおれは消されるんじゃなかろうな?」
平泉は下からにらみあげ、クスクス笑った。
「心配しなさんな。おめえが秘密を知ったところで、同じように置き去りにするつもりはねえさ。だいいち、咲希たちになんて説明すりゃいい。真っ先にサツに疑われるわな」
「冷汗をかかせるな。口ぶりから察するに、あんたは手を染めていないわけだな。あんたはそこまでやる人じゃないと、信じてるつもりだ」
平泉は口を開けたまま、拍子抜けしたような表情を見せ、
「信じてくれるってか。都会もんのおまえさんが。ありがたくて、涙がチョチョ切れるね」と言い、ひとしきりカラカラと大笑した。
「物騒なものはおろせよ。そいつは生きた人間相手に使うべきじゃあない」
「しかも駆け引き上手ときた」と言って、立ちあがった。ふたたび獣道にふさがるイバラを払いはじめた。刈らずに強行すれば、たちまち二の腕やふくらはぎが傷だらけになるだろう。「おれもこんな稼業を続けてると、悉平島の人間のなかにゃ、あることないこと陰口叩く奴がいるもんでね。つい疑り深くなるってもんよ。我慢してるつもりだが、こちとら血の気が多くてかなわん。『おまえは遺体をさばくのに慣れてるんだから、どうせ生きた人間だって手にかけたこともあるんじゃないか』とね。いらぬ想像をされがちだ」
「職業差別だな」
交野の方をふり向き、真顔で、
「おれはあくまで死体解体人であり、猿葬師にすぎん。この件についてはノータッチだ。親父や、そのまた先代こそ『狒々もどき』に関わってきたらしいがな。さっきも言ったように、秘密裏に島へ捨てにくる『業者』が別に存在した。くわしく説明するまでもあるまい。それはおれの関知するところではない。『狒々もどき』に関しては、深入りするなという暗黙の了解があるほどだ。誰から?なんて野暮な質問はなしだ」
交野は長いあいだ、うなった。
「いずれにせよ、現代の姥捨て山か。ことが明るみに出たら、えらい騒ぎになるぞ」
「だろうな。人権問題で報道陣が殺到する。悉平島も好奇な眼で見られ、思いっきり叩かれるだろう。そうなったら、この風習もおしまいだ」
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