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第二章:騎士学校・中等部
第31話 買い物
しおりを挟む馬車の中には妙な沈黙が漂っていた。僕とハリソン卿は向かい合うように座っていたけれど、会話らしい会話はない。ただ、車輪の音だけが規則正しく響いていた。
彼は普段から寡黙な性格で知られているけれど、それにしても、この状況は少し居心地が悪い。
今日は、ハリソン卿と一緒に中層区画の繁華街に向かっていた。貴族の屋敷が立ち並ぶこのエリアは、下層区画の市場とはまったく異なる空気感を持っていた。
石畳の道は隅々まで手入れされ、通りに並ぶ店々はどれも豪華絢爛だ。そんな光景を窓越しに眺めながら、僕は自分が場違いなところに来てしまったような気持ちになった。
「緊張しているのか?」
ハリソン卿が不意に口を開いた。
「はい……少しだけ」
そう答えると、彼は薄く笑った。
「貴族の屋敷に行くとなれば無理もない。だが、今日は買い物をするだけだ。必要以上に肩肘を張らなくていい」
彼の言葉に少し安心したけれど、今日の目的を考えるとやはり気が重い。以前、悪役令嬢ルナリアが攫われそうになったとき、僕は偶然それを助けた。
そのお礼がしたいと手紙をもらい、彼女に会うことになっていたのだけれど……何せ相手は高位貴族だ。
それに、僕は貴族さまに会いに行けるようなまともな服を持っていなかった。
〈傭兵組合〉の稼ぎでも、貴族の礼装とまではいかなくても、それなりの服は買えるけれど、高価な服はあまり着る機会がないので無駄遣いはしたくなかった。
そんな僕の様子を見かねてか、ハリソン卿が「せっかくだから、私が用意してやろう」と提案してくれたのだ。それは僕にとってもありがたい話だった。
馬車が静かに揺れながら進む中、僕は窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めていた。中層区画の繁華街が近づくにつれ、華やかな雰囲気が車内にも感じられる。
けれど僕の心は、どこか晴れない思いで満たされていた。
母さんがハリソン卿の館に世話になるようになってから、ふたりの間にいくつかの変化が起きて、ふたりが必要以上に親密になったことに気が付いた。
母さんは長い間、ひとりで苦労してきたから、悪いことではないと頭では分かっていた。
でもハリソン卿が独身であること、そして母さんと親しくなりつつあるという事実だけは、どうにも割り切れなかった。
彼がどんな人間なのか、僕自身が見極める必要がある。母さんを任せられる男なのか、そんな責任を抱ける器の人間なのか。
それが分かるまでは、ただ安心して見守るなんてことはできない。
一方で、僕にはもうひとつ気がかりなことがあった。
それは悪役令嬢ルナリアとの再会だ。彼女に会える日が、いよいよ近づいてきたのだ。
馬車の揺れに合わせて、思わずため息をつく。彼女の多忙さは手紙からも伝わってきたけれど、会えることがうれしい気持ちには変わりない。
彼女の騎士になる。そう決めた以上、彼女という人間をもっと知る必要がある。どんな性格なのか、どんな価値観を持っているのか。
〈知識の書〉で知りえない彼女を知るためにも、直接顔を合わせて話をする機会は何より貴重だった。
やがて馬車がゆっくりと止まり、僕たちは繁華街の一角に降り立った。周囲を見渡すと、まるで絵画の中に入り込んだような光景が広がっている。
高級ブティックの店先には、きらびやかな服や装飾品が並び、通りを行き交う人々もどこか気品が漂っている。
「さぁ、行こう。君に合う服を見繕ってやろう」
ハリソン卿が静かに先導する。
僕は彼の背中を追いながら、まさかこんな場所に足を踏み入れる日が来るなんて思ってもいなかった。
店内に足を踏み入れると、上品な香りとともに洗練された雰囲気が感じられた。
棚には高価な布地の衣類やアクセサリーが飾られていて、所狭しと並ぶスーツやドレスは、どれも一級品だと一目で分かる。
「特注のスーツをご用意いたしますので、少々お待ちくださいませ」
すでに連絡を受けていた店員が優雅な動作で僕たちを迎え入れ、すぐに準備に取り掛かった。
どうやらこの店では既製品ではなく、一人ひとりに合わせた仕立てを行っているようだ。
「では、寸法を取らせていただきますね」
店員に促されるまま姿勢を正すと、メジャーを手にした店員が身体の各部を測り始めた。その間、別の店員がスーツについて説明を始める。
「こちらの特注スーツには、いくつか特殊な魔術が施されております。まず、身体能力を向上させる効果があり、長時間の活動でも疲労を軽減します。また、攻撃に対する防御魔術も付与されており、刃物や鈍器など、一般的な物理攻撃に対して耐性を持ちます」
僕はその言葉に驚き、思わず目を見開いた。
「スーツにそんな効果があるんですか?」
「ええ、もちろんです。貴族のパーティや交渉の場での装いだけでなく、危機管理も重要ですからね。これはお客様のように活躍される方におすすめの商品です」
説明を受けながら、ハリソン卿が肩越しに僕を眺めているのが視界に入った。その穏やかな笑みから、どこか誇らしげな気持ちが伝わってくる。
店員に値段を訊くと、その数字に僕は思わず息を飲む。〈傭兵組合〉の仕事でいくら稼いだとしても、到底手が届かない額だ。
「こんな高価なもの、本当に……?」
僕が困惑していると、ハリソン卿が朗らかに笑って肩を軽く叩いた。
「気にするな。これは模擬戦での優勝の祝いでもある。それに、これくらいの投資は君の将来のためにもなるだろう」
その言葉に、僕は改めてハリソン卿の期待を感じた。彼が僕を見ている目は、ただの少年に向けるものではなく、どこか父親のような温かささえ感じる。
「ありがとうございます……大切にします」
心の底から感謝を伝えた。僕をここまで評価し、支えてくれる人がいることに胸が熱くなった。学校で努力してきた甲斐があったのだ。
準備が整うまでしばらくかかるらしいが、このスーツが仕上がる頃には、少しでも彼の期待に応えられる自分になりたいと、僕は改めて決意するのだった。
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