悪役令嬢の騎士

コムラサキ

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第二章:騎士学校・中等部

第26話 奇妙な噂話

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 第五層――〈迷宮人〉たちの隠れ家がある安全地帯までやってくると、僕たちはようやく肩の力を抜くことができた。

 それまでの道のりは、まるで終わりのない悪夢のようだった。

 暗い通路を進むたび、背後からあの得体の知れない化け物があらわれるのではないかという不安と恐怖に胸が締め付けられるようだった。

 音ひとつ、影ひとつが恐怖を呼び覚まし、僕たちは神経をすり減らしながら進むしかなかった。

「……やっと着いた」
 僕のつぶやきに、セリスが小さく息を吐く。

 ラティも黙ったままうなずく。ゴーストも心なしか疲れているみたいだった。

 迷宮の目立たない通路を通って広場に出ると、篝火の灯りが迎えてくれた。壁際に並ぶ露天や、小さな焚き火を囲んで食事をしている〈迷宮人〉たちの姿が見えた。

 そこには迷宮とは思えないほどの平和な空気が漂っている。

「助かった……」
 ラティが疲れた声で言う。

「久しぶりです、アンナさん」
 僕は知り合いの〈迷宮人〉――アンナさんに声をかける。彼女は遺物の鑑定や補給品の販売を手掛ける実力者だ。

「あら、あんたたち、なんだかひどく疲れた顔をしてるね」
 アンナさんは僕たちの様子を見て眉をひそめた。

 その反応に、僕たちは思わず顔を見合わせる。確かに全員泥まみれで、表情は引きつっていたに違いない。

「ちょっと厄介な相手に遭遇して……」
 僕が簡単に説明すると、アンナさんは無言で焚き火のそばに手招きした。

「詳しい話は後で聞くから、とりあえず座りな。ほら、これでも飲んで」
 差し出されたのは温かいスープの入ったカップだった。

 僕たちは礼を言いながら焚き火のそばに腰を下ろした。その瞬間、緊張の糸が完全に切れたのか、全身の疲労が一気に押し寄せてくる。

「ふぅ……やっと休めるね」
 セリスがホッと息を漏らしながらスープを飲む。

 顔に疲れが残っているが、それでも微かに安堵の表情が浮かんでいた。

「それにしても、得体の知れない相手って?」
 アンナさんがカップを片手に問いかける。

 僕たちは第六層で遭遇した化け物のことを説明した。その話を聞きながら、アンナさんは険しい顔をする。

「その手の話、最近ちょっと耳にするね。迷宮の中で妙な存在を見たって」
「本当ですか?」

 アンナさんは真剣な表情でうなずく。
「詳しいことは分からないけど……あんたたち、しばらくここで休んでいきな」

 アンナさんの言葉に甘えるようにして、僕たちはしばし焚き火の温もりに身を預けた。

 迷宮の暗闇を抜けた安心感と、まだ消えない得体の知れない恐怖。その狭間で、僕たちは息を整えていく。

 焚き火の暖かさが心地いいなか、僕たちはアンナさんや他の〈迷宮人〉たちから話を聞くことにした。あの得体の知れない生物について、少しでも手掛かりがほしかったからだ。

「最近、その化け物みたいなのを見たって噂が増えてる」
 焚き火の向こう側に座るアンナさんが低い声で話す。

「具体的にはどこで出たんですか?」
 僕が質問すると、彼女は眉をひそめながら答えた。

「第五層以降、とくに第八層と第九層の境目あたりだね。姿を見た人は少ないけど……行方不明になった冒険者や傭兵は、ここ最近で少なくとも六人」

「六人も……」
 セリスの声が震える。

 その数字がいかに異常か、彼女にもすぐに理解できたのだろう。

 迷宮での行方不明は珍しいことではないが、短期間でこれほど多くの傭兵が消えたとなれば話は別だ。

「それって、俺たちが見た化け物の仕業だと思いますか?」
 ラティが警戒した声で訊ねると、アンナは肩をすくめた。

「確証はないけど、タイミングが一致してる。目撃談では、そいつは人型で、奇妙な装備を身につけてるって聞いた。皮を身にまとってるとか……まるで幽鬼みたい」

「幽鬼……」
 僕たちは思わず顔を見合わせる。その単語だけで背筋が寒くなった。

「行方不明の傭兵たちの装備が、ホブゴブリンたちの隠し場所から出てきたって話もある。つまり、あの化け物に殺された傭兵たちの遺品を、ホブゴブリンが漁ってたんじゃないかって噂もある」

 さっき見つけた錆びた装備や散乱していた物資の光景が脳裏をよぎる。あのホブゴブリンたちが物資を溜め込んでいた理由が分かった気がした。

「他に分かっていることはありますか?」

「ないね」
「そうですか……」

「ただひとつ言えるのは、あんたたちみたいな初心者は深入りしちゃダメってこと。そいつに狙われたら最後、逃げられる保証なんてないんだから」

 焚き火の明かりに照らされた空間で聞く噂話は、いつも以上に現実味を帯びていた。何が真実で、何がただの想像かは分からない。

 けれど、ひとつだけハッキリしている――僕たちが見たあの化け物は、噂以上に恐ろしい存在だった。

「……何か対策を考えないと」
 それから僕たちは戦利品を鑑定してもらうことにした。

 アンナさんは古びた机に向かい、戦利品をひとつずつ手に取ると、慎重に目を細めて観察していく。僕たちはその様子をじっと見守っていた。

 迷宮で拾った品々の中に、何か特別なものが混ざっていれば、それは大きな収穫になる。しかし期待しすぎるのもよくないと自分に言い聞かせる。

「この短剣はそれなりの値段になるわね」
 アンナさんが手に取ったのは、比較的綺麗な状態の短剣だ。刃に刻まれた模様が微かに輝いているのが見える。

「この短剣は遺物ってわけじゃないけど、状態も悪くないし、売ればそれなりの額になる」

 他のモノも鑑定してもらったけど、目を見張るようなものはなかった。魔石や普通の装備品が主で、どれも〝まあまあの値段〟といった評価に落ち着いた。

 そして最後に僕が取り出したのは、あの赤黒い刀身のナイフだった。

「これなんですけど……」
 机に置くと同時に、アンナさんが眉をひそめる。

「これは……どこで見つけたの?」
「あの得体の知れない化け物が残していったんです」

 僕の言葉に、アンナさんの表情がさらに険しくなる。彼女は慎重にナイフを手に取り、その異様な赤黒い刀身をまじまじと見つめた。

「……なんて奇妙な刀身。普通の鉄じゃないわね。魔力を感じるけど……どんな効果を持っているのかは分からない」

 そう言うと、彼女はナイフを机に戻した。

「私じゃ鑑定できない。これほどの物は、もっと能力のある鑑定士に見てもらわないと……でも、この辺りにはそんな人はいないわね」

「じゃあ、どうすれば……?」
 セリスが不安そうに訊ねる。

「〈盗賊組合〉に頼るといい。あそこには腕の立つ鑑定士がいるって聞いたことがある」

「〈盗賊組合〉か……」
 僕は顎に手を当てて考える。一癖も二癖もある人間が集まる場所だけど、僕らは組合に所属しているので、すぐに鑑定人が見つかるかもしれない。

「それにしても、このナイフ……本当に気味が悪いわね」
 アンナさんがつぶやいたその言葉が、どこか不吉に思えてならなかった。

 僕たちは手に入れた戦利品を整理しながら、つぎの目的――〈盗賊組合〉で鑑定人を探す計画を立て始めた。
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