悪役令嬢の騎士

コムラサキ

文字の大きさ
上 下
62 / 130
第二章:騎士学校・中等部

第1話 初日

しおりを挟む
 教室の扉を開けた瞬間、ざわつきが耳に飛び込んできた。

 広い教室には、僕たちを除いて十三人の少年がいて、無駄口を叩きながら笑い声を上げていた。その光景はどこか浮ついていて場違いに感じられる。

「入るよ、ウル」
 となりに立つセリスが小声で促す。

 彼女の声は優しく、同時に隙のない力強さを宿していた。僕は軽くうなずいてから、教室に一歩足を踏み入れた。

 僕たちは自然と沈黙を保つが――彼女の存在感は否応なく教室の空気を変えた。

 綺麗に編み込まれた赤髪は、黒いリボンを使って後頭部でまとめられている。目を引くその髪色は、燃え上がる炎のような輝きを放っていた。

 そしてその視線――澄んだ青い瞳は、深い湖面を覗き込むような透明感があった。まるで宝石そのものだ。

 彼女に視線を向ける者は少なくなかった。明らかに見惚れている生徒もいる。彼女の美しさに圧倒されているのだろう。

 僕はちらりと周囲に視線を向けた。〈隠蔽〉の魔術をまとった気配がいくつも感じられる。

 誰かが――恐らく将校たちが、僕とセリスのことを観察しているのだろう。僕たちがどんな動きを見せるか――それをじっと見極めようとしている。

 一方で教室にいる少年たちは、その気配に気づく様子はない。むしろ、何も知らないことを誇るかのように、彼らは気楽な笑顔を交わし、くだらない会話を続けていた。

 僕たちの表情に笑みはない。いや、少なくとも僕には、彼らのように心から笑うことができなかった。あんなふうに軽薄に笑う自分など想像すらできない。

 ふと制服に目を落とす。黒色を基調としたデザインで、金糸の刺繍がところどころに施されていて袖は赤で染まっている。胸元には校章が輝いていた。

 この制服だけで、平民なら半年どころか一年は生きられる金がかかっている。それを着ているだけで、僕たちはすでに選ばれた存在だと周囲に知らしめている。

 その時だった。
「……あれは〈召喚獣〉?」

 セリスが窓際を見つめる。僕も視線を向けると、拳ほどの大きさの何かがふわふわと浮かんでいた。

 丸い形状で、ぎょろりとした瞳を持つそれは、まるで巨大な眼球のようだった。
「〈念視〉に用いられる監視用の〈召喚獣〉だ」

 しかし気に留める者はほとんどいない。それどころか、少年たちは相変わらずの雑談を続けていた。気づいていないのかもしれない。

 僕は一瞬だけセリスを見やった。彼女も少年たちの態度を異様に感じたのか、軽くため息をつく。これが騎士学校の日常――静かな緊張感の中に漂う奇妙な気楽さ。

 僕らが席につこうと教室内を歩き始めると、途端に冷ややかな視線が突き刺さるようになった。それだけじゃない。冷笑を含んだ声が、あちこちから聞こえ始めた。

「見ろよ、女連れだぜ」
 誰かが小声で言った。

 それは全員に聞こえるように意図的に響かせた声だった。

「騎士学校に女子を連れてくるなんて、情けないよなぁ!」
 その言葉に反応して、教室中がどっと笑いに包まれた。

「騎士になろうっていうのに、女に守られるようじゃお終いだ!」
 さらに誰かが茶化すように言い放つ。

 僕はそれを無視して、黙ったまま前を向いた。彼らの言葉なんて気にする価値もない。となりでセリスも表情を変えずに歩いている。

 普段なら余裕のある微笑みを浮かべている彼女も、今は無表情だ。僕には、彼女が静かに怒りを押し殺しているようにも見えた。

 席についてからも冷笑はしばらく続いたが、僕たちが反応しないのを見て次第に収まっていった。教室はまたざわざわとした笑い声とおしゃべりで満たされる。

 その時、すぐとなりから声が聞こえた。
「冷静だな。いい心がけだ」

 驚いてとなりを見ると、そこにはハリソン卿が座っていた。僕をこの学校に推薦してくれた人物だ。

 貴族らしい端正な顔立ちをしていて、その鋭い眼差しには隠しきれない威厳が漂っている。しかし、その目元にはどこか穏やかさも感じられた。

 驚きつつも、僕は周囲を見回した。誰も彼の存在に気づいていない。

 恐らく〈隠蔽〉の魔術を巧みに使っているのだろう。普通なら目立つはずの彼が、完全に周囲から認識されていなかった。

「閣下も、僕たちを見守りに来たのですか?」
 僕は、声を潜めて訊ねた。

 ハリソン卿は微笑を浮かべ、軽くうなずいた。
「君の推薦人だからな。私には君たちを見守る責任があるのだよ」

 その言葉には、本当に気遣ってくれていることが感じられた。彼の微笑みは暖かく、けれど軍人らしい芯の強さもある。僕も自然と微笑み返していた。

 ハリソン卿といると不思議と心が落ち着く。彼がいてくれるだけで、冷笑や侮蔑の声なんて、どうでもいいように思えた。

 彼は高位貴族でありながら、気取らず、僕たちに対して優しかった。

 やがて教室の扉が音を立てて開き、ひとりの男性が入ってきた。立ち姿は背筋が伸びていて隙がなく、着ている教員の制服はピシッと整えられている。

 その動作や鋭い眼光から、ただの教師ではないことがすぐに分かった。明らかに訓練を積んだ軍人のそれだ。

 しかし教室にいる少年たちは、その気配にまるで気づかない。いや、気づいているのかもしれないが、気に留める様子がなかった。

 相変わらず談笑し、まるで遊び場にいるかのような軽い雰囲気を崩そうとしない。

 その光景がなんだかおかしくて、思わず微笑んでしまった。こんなに気楽でいられるのかと。これから始まる厳しい日々を想像している僕とは対照的だった。

 その微笑みは男性教員の目にとまる。彼は短い杖を軽く振り、まっすぐ僕を指し示した。

「編入生、なにがおかしいんだ?」
 低く響く声が教室全体に広がる。

 それでようやく談笑していた生徒たちも口を閉ざした。

 普通なら自己紹介をさせるべきところだったが、彼にはその気がないようだった。

 僕たちの存在を他の生徒に紹介するどころか、まずこちらを追い込むことを選んだように見える。

 何も言わずに沈黙していると、教員の声がさらに荒々しくなった。
「君に質問をしているのだぞ、編入生!」

 ああ、そうか――と僕はようやく理解した。この瞬間から授業はすでに始まっているのだ。試されているのは僕の反応だった。

「はい、上官殿」
 僕は立ち上がりながら答えた。

「よし、それなら質問に答えろ!」
 教員の声が教室に響き渡る。

 僕は一拍置き、できる限り冷静に答えた。

「自分は、上官殿がそこの生意気な少年たちに僕らのことを紹介するのだと思っていました。しかし上官殿の姿を見て、それは誤りであり、自分たちで行動するべきなのだと分かりました。だからこそ、自分の甘さに笑ってしまったのです」

 一瞬の沈黙。教室内の空気が一変するのが分かった。教員は満足げにうなずくと、今度は周囲の生徒たちに視線を移し、厳しい口調で言い放った。

「いいか、屑ども。それこそが戦場で、そして士官として必要な観察力だ。お前たちにもウルフェルやセリス嬢と同じことができるか?」

 さっきまで談笑していた生徒たちは一斉に口を閉じた。そして今度は、僕たちを睨むような視線を向けてきた。

 嫉妬なのか苛立ちなのか、その感情は読み取れなかったが、とにかく好意的ではないことだけは分かる。

 なるほど――僕はそっと溜息をついた。これが軍隊式の紹介方法なのだろう。

 他者との連携や評価を得るには、自分で行動し、実力を示さなければならない。それがこの場所で生き残るためのルールなのだ。

 これから先、僕は何度この冷ややかな視線を受けるのだろうか。少しばかり憂鬱な気分を胸に、教員の言葉を待った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

魔性の悪役令嬢らしいですが、男性が苦手なのでご期待にそえません!

蒼乃ロゼ
恋愛
「リュミネーヴァ様は、いろんな殿方とご経験のある、魔性の女でいらっしゃいますから!」 「「……は?」」 どうやら原作では魔性の女だったらしい、リュミネーヴァ。 しかし彼女の中身は、前世でストーカーに命を絶たれ、乙女ゲーム『光が世界を満たすまで』通称ヒカミタの世界に転生してきた人物。 前世での最期の記憶から、男性が苦手。 初めは男性を目にするだけでも体が震えるありさま。 リュミネーヴァが具体的にどんな悪行をするのか分からず、ただ自分として、在るがままを生きてきた。 当然、物語が原作どおりにいくはずもなく。 おまけに実は、本編前にあたる時期からフラグを折っていて……? 攻略キャラを全力回避していたら、魔性違いで謎のキャラから溺愛モードが始まるお話。 ファンタジー要素も多めです。 ※なろう様にも掲載中 ※短編【転生先は『乙女ゲーでしょ』~】の元ネタです。どちらを先に読んでもお話は分かりますので、ご安心ください。

ニートの俺がサイボーグに改造されたと思ったら異世界転移させられたンゴwwwwwwwww

刺狼(しろ)
ファンタジー
ニートの主人公は一回50万の報酬を貰えるという治験に参加し、マッドサイエンティストの手によってサイボーグにされてしまう。 さらに、その彼に言われるがまま謎の少女へ自らの血を与えると、突然魔法陣が現れ……。 という感じの話です。 草生やしたりアニメ・ゲーム・特撮ネタなど扱います。フリーダムに書き連ねていきます。 小説の書き方あんまり分かってません。 表紙はフリー素材とカスタムキャスト様で作りました。暇つぶしになれば幸いです。

乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う

ひなクラゲ
ファンタジー
 ここは乙女ゲームの世界  悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…  主人公と王子の幸せそうな笑顔で…  でも転生者であるモブは思う  きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…

かみたま降臨 -神様の卵が降臨、生後30分で侯爵家を追放で生命の危機とか、酷いじゃないですか?-

牛一/冬星明
ファンタジー
神様に気に入られた悪女令嬢が好きな少女は眷属神にされた。 どう見ても人の言う事を聞かなそうな神様の下で働くなって絶対嫌だった。 少女は過労死で死んだ記憶がある。 働くなら絶対にホワイトな職場だ。 神様のスカウトを断った少女だったが、人の話を聞かない神様が許す訳もない。 少女は眷属神の卵として転生を繰り返す。 そいて、ジュリアーナ・マジク・アラルンガルはこの世界に転生された。 だが、神々の加護を貰えないジュリアーナはすぐに捨てられた。 この可哀想な神様の卵に幸はあるのだろうか?

能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?

火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…? 24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

処理中です...