悪役令嬢の騎士

コムラサキ

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第一章:少年期

第57話 決着!

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 腹部に突き刺さったナイフから、全身が震えるような冷たい感覚が広がっていく。傷から滲む血液が体力を奪い取っていくのが分かる。

 ――それでも、今は動かなければいけない。

 接近してくる侍女の動きは俊敏で、殺気を含んだ眸でこちらの動きを警戒していた。けれど、その殺意に怖気づくことはない。

 侍女に手のひらを向けると、周囲に浮かんでいた〈氷槍ひょうそう〉を削りながら、無数の氷のつぶてを形成していく。

「いくら素早くても、散弾は避けられないはずだ」
 つぎの瞬間、〈射出〉の魔術で〈氷礫ひょうれき〉を撃ち放つ。

 氷の礫は銃弾のごとく侍女に向かって撃ち込まれる。

 氷の破片が次々と空を切り裂き、鋭い音を響かせながら彼女に迫る。しかし侍女は冷静だった。

 突如、彼女の周囲に目に見えない風の障壁が展開される。

 礫の多くはその障壁に弾かれるように軌道を逸れ、無力化されてしまう。いくつかは鋭い音を立てながら壁や床に突き刺さり、氷の破片を撒き散らしていく。

「それなら」
 地面に手をつけ、一気に魔力を流し込む。

 すると侍女の足元から突き上がるようにして、槍衾やりぶすまを思わせる無数の杭が形成されていくのが見えた。

 それは土で形成されていたが、魔力によって岩のように硬化していて、その鋭い先端は革鎧すら容易く貫くだろう。

 けど――

 侍女は冷笑を浮かべながらその場で素早く跳躍してみせる。地面から生えた杭は彼女の足元を掠めるだけで、その鋭い先端が届くことはなかった。

 彼女の動きは機敏で正確だった。地面に触れる間もなく再び跳躍し、僕に向かって鋭い刃を振り下ろしてくる。

 その刃の煌めきは、命を刈り取ろうとする明確な意志を帯びていた。

「くっ……!」
 ギリギリのところで身を捻って攻撃を回避する。

 けれど次の瞬間には、別の刃が迫ってきている。

「殺られる……!?」
 追い詰められた状況のなか、侍女の動きがスローモーションのように見える。

 ルナリアを腕に抱えたままだったけど、もはや躊躇ちゅうちょしている余裕はない。

 体内に渦巻く魔力を限界まで集中させる。今この瞬間、使える唯一の手段――〈瞬間移動〉に賭けるしかなかった。

 視界が歪み、周囲の景色が変化していく。

 浮遊するような奇妙な感覚に襲われたかと思うと、つぎの瞬間には侍女の背後に移動していた。

 彼女は僕が一瞬で転移したことに驚いたけれど、すぐに背後を振り返る。その顔には明らかな困惑が浮かんでいたが、瞳に宿る戦意が消えることはなかった。

「奇妙な魔術を使うガキだ」
 侍女はじりじりと距離を詰めながら、挑発的な笑みを浮かべる。

「どうだ。その娘をこちらに引き渡せば、仲間として迎えてもいい」
 その冷たい声に誠実さは微塵も感じられない。油断を誘うための罠だろう。

「そんな戯言に乗るとでも?」

 僕は彼女を無視して短剣を構える。ルナリアの身体を支える腕が徐々に痺れていたが、顔には出さず、再び魔力を練り上げていく。

 侍女の足元に注意を向け、〈氷槍〉によって凍り付いていた地面から無数の鋭い氷柱つららを突き出し、槍のように侍女を狙った。

 侍女はすぐに地面の異変に気付いたのか、素早く飛び退いてかわす。しかし、その中の一本が彼女の肩を直撃し、氷柱の先端が革鎧を貫くのが見えた。

「くっ……!」
 侍女の口から痛みの声が漏れる。

 肩から鮮血が滴り落ち、彼女の動きにも明らかな鈍りが見えた。しかし――

「……いいだろう、手加減はここまでだ」

 彼女の瞳が鋭く輝き、空気が緊張感を帯びていく。

 負傷した肩を片手で押さえながらも、攻撃に備えて姿勢を低くする。

 僕も気を引き締め、魔力の流れを体内で高めていく。緊張感が張り詰めていき、互いに一歩も引けない状況になっていく。

 そして鋭い足音が迫る。

 侍女が猛然と駆けてくる様子はまるで猛獣のようだ。その目には怯えも迷いもなく、純粋な殺意だけが宿っている。

 僕は咄嗟に魔力を放出しようとしたけど、腹部に鈍い痛みが走る。視線を落とすと、戦闘で負った傷から血が流れ続け、足元に赤い血溜まりを作っているのが見えた。

 集中しようにも、頭がぼんやりしていて魔力が制御できない。

 侍女の持つナイフが光を反射し、眼前に迫る。その刃先が僕を仕留めようと突き出される瞬間――

 すぐ背後の神殿から、轟音とともに激しい衝撃波が響き渡る。

 侍女の動きがぴたりと止まり、僕も反射的に振り返る。

 そこに姿を見せたのは、炎と煙の中から悠然と歩いてくるハリソン卿だった。

「遅くなったな」

 彼の冷静な声が聞こえる。その手には、貴族らしくない一切装飾のない実戦向けの刀剣が握られている。

 鋭い刃先からは、先ほどの衝撃で吹き飛ばされた襲撃者たちの血が滴り落ちていた。

 その姿には、どこか凛とした強者の風格が漂っていた。

「……ふむ」

 彼は僕と侍女を一瞥すると、何事もなかったかのようにゆっくりと歩み寄ってくる。その余裕に満ちた態度が、侍女の焦りをさらに掻き立てているようだった。

「バカにして……!」

 侍女は歯を食いしばり、全身に膨大な魔力を纏う。これまでとは比べものにならない殺意に空気が重くなり、肌を刺すような圧力が周囲を包み込んでいく。

 侍女はそのまま地を蹴り、ハリソン卿に向かって猛然と突進する。

 しかし、つぎの瞬間――

 何が起こったのか、僕にはまったく理解できなかった。

 侍女が襲い掛かった瞬間、ふたりの姿が一瞬で交錯する。その動きはあまりにも速く、まるで幻影を見ているかのようだった。

 気づけば侍女が地面に崩れ落ちる音が聞こえていた。

 ハリソン卿が刀剣を振り払うと、その刃先から鮮血が飛び散る。

所詮しょせん、こんなものか」
 ハリソン卿は僕のほうへ歩み寄る。

 その鋭い眼差しが僕を捉えた瞬間、安心感と緊張が同時に押し寄せる。

「よくやった、少年。どうやら、ひとつ借りができたみたいだな」

 その言葉を聞いた途端、僕の意識は糸が切れたように途絶えていく。視界が暗転し、意識を手放す中で、ただ彼の力強い眼差しだけが焼き付いていた。
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