悪役令嬢の騎士

コムラサキ

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第一章:少年期

第46話 情けは人の為ならず

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 僕たちの目の前には必死にもがく〈迷宮人〉の姿があった。かろうじて縦穴の縁にしがみつき、今にも力尽きそうな様子だ。

「ラティ、縄だ!」
 僕が叫ぶより早く、ラティは腰に巻いていた縄をほどき、迷うことなく縦穴に向かって放り投げた。

 組合の仕事で鉤縄を携行するようになったことが功を奏したみたいだ。

「掴まれ!」
 ラティの声が響き渡るが、〈迷宮人〉の腕は限界だった。彼の小さな手は縄に届きかけては空を切り、そのまま力なく垂れ下がる。

「くそっ!」
 迷っている時間はない。

 僕は即座に〈瞬間移動〉を発動した。視界が歪み、一瞬で縦穴の縁に近づき、少年のすぐとなりに転移する。

「大丈夫、すぐに助ける!」
 少年の目は恐怖に見開かれていたけど、僕の声に微かに反応した。

 僕は躊躇ちゅうちょせず彼の身体に縄を巻きつけていく。小柄な身体を傷つけないよう、慎重かつ素早く動く。

「ラティ、引き上げてくれ!」
「了解!」

 ラティが全力で縄を引く。その姿は普段の穏やかな少年とは別人のように力強く、頼もしくもあった。僕も崖の縁を掴み、少年が落ちないようにサポートする。

 少年が安全な場所まで引き上げられると、僕も〈瞬間移動〉で安全な場所まで移動する、

「大丈夫か?」
 ラティは膝をついて少年の顔を覗き込む。少年は震えながら小さくうなずくものの、布の隙間から見える顔は怯えと疲労で真っ青だ。

「ありがとう……助かったよ」
 か細い声でそう言った少年の目には、薄っすらと涙が浮かんでいた。

「無事でよかった」
 僕は安心させるように微笑みながら、そっと頭を撫でた。

「それにしても、どうしてこんな場所にいたんだ? というか、何があったんだ?」

 質問に答える気力もないのか、少年は俯いたまま肩を震わせるばかりだ。ラティと僕は視線を交わしたあと、そっと肩をすくめる。

 少年の話は断片的で、ところどころ震える声に遮られながらも、なんとか状況を把握することができた。

 どうやら鉱物の採取に夢中になりすぎて、仲間とはぐれてしまったらしい。
「そしたら……足を滑らせて……」

 言葉を詰まらせながら、少年は先ほどの縦穴を指差した。その小さな指先は、まだ微かに震えていた。落下しそうになったときの恐怖から、まだ解放されていないのだろう。

「とにかく、君を仲間のもとに連れていくのが最優先だな」
 そう言うと、少年は驚いたように顔を上げた。

「……でも、そんな……迷惑かけられないよ」

「気にすることないぜ」と、ラティが言う。
「俺たちも探索の途中だし、ひとりで行動するのは危ない」

 その言葉に少年は少しだけ表情を和らげたが、恐縮したように何度も頭を下げた。

「さぁ、行こう」
〈気配察知〉を使えば、他の〈迷宮人〉がいる場所もすぐに分かるだろう。

 少年がゴーストの姿に驚いているのを横目に見ながら、魔術を発動し、周囲の気配を探っていく。すると暗闇の中で蝋燭ろうそくが灯るように、無数の反応が浮かび上がる。

 少し離れた場所にまとまった気配があるのが見えた。あれが〈迷宮人〉の一団だろう。

 少年と一緒に迷宮を移動していると、〈ホーンラビット〉が何匹か姿を見せた。こちらに気づくと、鋭いツノを低く構えながら飛び掛かる準備を始める。

 ラティはすでに短剣を手にしていて、素早い動きでホーンラビットの背後を取る。僕もゴーストに合図すると、〈石礫〉を放ちながら正確にその進路を封じる。

 僕らは完璧な連携を取ることで、思ったよりも早く魔獣に対処することができた。

 そうして気配が集まる場所に近づくと、ぼんやりとした光源に照らされた空間が見えてきた。そこには厚い布で顔を覆い、特徴的な笠をかぶった人々の集団が見える。

 彼らの動きは落ち着いていて、迷宮内の緊張感とは別の静けさすら感じさせる雰囲気を漂わせていた。

「探していた〈迷宮人〉たちだ」

 僕は少年を促しながら彼らに歩み寄る。すると集団の中のひとりが気づいたように顔を上げた。厚布越しでも分かる鋭い視線がこちらを射抜く。

「そこの坊や、迷宮で迷子になったナナリじゃないのかい?」
 穏やかながらも低く響く声だ。少年はその声に反応し、急いでその人物に駆け寄る。

「はい……すみません、ぼく……!」
 少年が涙ぐみながら謝罪するのを見て、〈迷宮人〉のひとりが静かにうなずく。

「ナナリを助けてくれたのは君たちだな」
 その問いに僕は軽くうなずいた。

「迷宮の中での助け合いは推奨されているが、私ら〈迷宮人〉に親切にする人は少ない」

「いえ、彼が無事で何よりです」

 感謝されることは、いつだって気持ちがいいものだ。僕らは軽く挨拶を交わしたあと、少年を〈迷宮人〉の仲間に引き渡して、再び自分たちの探索に戻ることにした。

 探索を再開しようと足を踏み出した瞬間、背後から低く落ち着いた声が響いた。

「君たち、ちょっと待ちなさい」

 振り返ると、先ほど少年を引き取った〈迷宮人〉のひとりが、ゆったりとした動きで近づいてくる。

 その顔は厚い布で隠されていたけど、言葉の端々から礼儀正しい印象を受けた。

「今回の件、本当に助かったよ。無事に仲間を連れ戻せたのは君たちのおかげだ」

 彼女の言葉には誠意が感じられたけど、僕たちはお互いに目配せをして軽く首を振った。

「いえ、当然のことをしただけです」
 僕がそう言うと、ラティも続けた。
「見返りが欲しくてやったわけじゃないし」

「……そうか」
 彼女は短くつぶやくと、少し考えるように目を伏せた。やがて、何か思いついたかのように顔を上げる。

「それでも何か恩返しをしたい。どうだ、君たちがもし遺物を見つけたら――たとえ、それがゴミのような代物であっても、こちらで買い取らせてもらえないか?」

 意外な提案に、僕たちは思わず顔を見合わせた。

「買い取る……って?」
 ラティが首をかしげると、〈迷宮人〉は軽くうなずきながら続けた。

「遺物の価値を判断するのが我々の役目だ。たとえ君たちにとって価値のないものでも、我々にとっては研究材料になることもある。我々は〈迷宮人〉以外とは取引をしないが、君たちは例外だ」

 その提案に、僕の胸は少し高鳴った。迷宮で見つかる遺物の多くは価値が不明瞭なため、どう処分するか悩むことが多かった。

 しかし、こうして〈迷宮人〉たちが引き取ってくれるなら、鑑定の手間も省けるし多少の収益にも繋がるかもしれない。

「それって……すごく助かります」
 僕が素直にそう答えると、ラティも目を輝かせてうなずいた。

「決まりだな。それでは、これが我々の取引場所だ」

 そう言って〈迷宮人〉は簡素だが見やすい地図を差し出してきた。その地図には〈迷宮人〉たちが拠点としている場所が明確に記されている。

「この地図を持っていれば、我々は君たちを仲間だと判断する。ぜひ活用してくれ」

 僕たちは礼を言いながら地図を受け取った。思いがけない提案だったけど、今後の探索において大きな助けになることは間違いないだろう。

「ありがとうございます」

「気にするな、小さき勇者たちよ。それでは、探索の成功を祈っているよ」

 そうして〈迷宮人〉たちと別れを告げ、僕たちは探索を再開することにした。この出会いがどんな未来をもたらすのか、少しだけ期待を抱きながら――。
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