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第一章:少年期
第39話 疑念
しおりを挟むゆっくり息を整えながら、倒れた野盗の死体を見下ろす。冷たい土の匂いが鼻を突き、視界の端でゴーストが身を低くしているのが見えた。
彼もこの状況を理解しているのだろう。その優しげな瞳がどこか憂いを帯びているように感じられた。
「すぐに死体を処理しないと……」
以前、はぐれ小鬼を埋めた場所に死体を引きずっていく。森の奥深く、日が差し込むことのない薄暗い茂みのなか。その静かな場所なら、誰の目にも触れることはないだろう。
魔術で地面を掘り返し、暗い穴の中に死体を放り込む。
野盗が身につけていた装備品は、防具も武器も、きっとそれなりに価値があるものだった。だけど、そんなモノを持ち帰れば、すぐに足がつく可能性がある。
これ以上の問題事を抱え込むのは止めたほうがいい。
だから野盗の装備品は近くの茂みに隠しておくことにした。いつか回収するかもしれないけれど、今は面倒を避けることを優先した。
それより――本当にこれで良かったのか?
短剣の感触、血液の温もり――さっきの出来事が脳裏に焼き付いて離れない。
殺さず捕らえるべきだったのかもしれない。〈盗賊組合〉の殺さずの掟には反していないと頭では分かっていた。これは組合の仕事ではなく、突発的な襲撃によるものだった。
でも……それでも殺しが正当化されるとは思えなかった。
「……尾行されたこと、カチャに伝えなきゃ」
殺したことは隠したほうがいい。だけど、野盗らしき男たちに尾行されていた事実は報告しておくべきだろう。
彼女なら何らかの対策を考えてくれるはずだ。
埋葬を終えると、〈気配察知〉を使って周囲の様子を慎重に確認する。ゴーストも鼻を使いながら周囲の気配を探っている。
異常はなさそうだ。
それより、抜け道のことも考えないといけない。
僕を尾行していた野盗が他にもいたなら、すぐに対処しないといけない。とりあえず、倉庫に入れないように錠をかけるべきだろう。
その日、僕らは細心の注意を払いながら森を抜けた。枝葉の揺れる音、木々の影、すべてに気を配りながら進む。これ以上、誰かに尾けられるわけにはいかない。
森を抜ける頃には、全身が緊張で汗ばんでいた。
ゴーストが僕の足元を歩きながら静かに尻尾を振る。それを見て、少しだけ心が軽くなった。帝都に入っても、細心の注意を払いながら帰路についた。
翌朝、僕は〈ドブ板通り〉の小屋にいるカチャを訪ねることにした。昨日の尾行の件について伝えなければいけない。
カチャはいつも通り小屋にいて、簡素な机の上に山積みにされた書類を眺めながら何やら考え込んでいるようだった。その表情には疲労の色が滲んでいる。
「師匠、ちょっとお話が……」
「どうしたの? 何かあった?」
彼女はすぐに視線を上げて、こちらに耳を向ける。
尾行されていたこと、森で野盗と遭遇したこと、そしてなんとか逃げ切ったものの、再び尾行される可能性があることを一息に説明した。
カチャの表情が見る見る険しくなるのが分かった。
「そう、尾行されていたのね……厄介なことになったわね」
「はい……もしまた尾行されることになれば、もっと厄介なことになるかも……」
彼女は少し考え込むと、真剣な眼差しで僕を見つめた。
「わかった。君たちの周辺には注意を払うようにする。組合からも人員を出すことになるから、少し騒がしくなるかもしれないけど」
「騒がしく、ですか?」
思わず眉をひそめる。彼女の言葉には何か含みがあるように感じられた。
「こういう場合、目立つ動きをすれば敵もそれを察知する。だけど、放っておいて襲撃されるよりはマシでしょ?」
彼女は肩をすくめるように言ったが、深い警戒心が見え隠れしていた。
話が一段落したところで、僕はふと思いついて、馬車の件について質問してみた。
「師匠、あの馬車のことなんですけど、あれで一体何を運んでいたのですか?」
彼女の大きな眼が一瞬だけ鋭くなり、それから溜息をつく。
「あの馬車ね……奴隷よ。おそらく違法な取引で集められた人たち」
その言葉に、一瞬息が詰まるような感覚がした。
奴隷……?
「……そういえば、奴隷商人の店を監視する仕事がありました」
その日の記憶が鮮やかに蘇る。汚れた服を着た人々が、無表情で店の裏口に消えていく光景。胸の奥に嫌な感覚が広がるのを感じた。
「そう。今回もその手の連中が絡んでる。帝都を拠点に人身売買を行っている組織があるみたいなの」
カチャは鋭い口調で続ける。
「〈盗賊組合〉は、その組織を潰すために国から依頼を受けて動いているの」
国からの依頼――つまり、今回も〈盗賊組合〉は表沙汰にはできない汚れ仕事を請け負ったということなのだろう。
カチャの言葉の裏に、僕たちが踏み込んでしまった事件の深刻さが見え隠れしていた。
「君たちの手柄で、いくつかの重要な情報が手に入ったけど、相手も黙っていないでしょうね」
彼女の言葉に、僕は緊張感を抱えながら小屋をあとにすることになった。
奴隷商人の記憶と現実が奇妙なつながりを見せるようになり、目の前の状況がますます深刻で危険なものに思えてくる。
その日から、僕たちの日常は一変した。外出時には常に背後を気にし、森や街の中でも視線や気配に細心の注意を払うようになった。
とくに家族や親しい人間が巻き込まれる可能性を考えると、神経が張り詰めるようだった。万が一、母さんが人質にされるようなことがあれば――想像するだけで背筋が凍る。
「気をつけるに越したことはないけど、これじゃストレスでおかしくなりそうだ」
慎重さが求められる状況のなか、セリスとの魔術の練習も、しばらく中止せざるを得なくなった。
「約束したじゃない、どうしてダメなの!」
彼女は大きな声で抗議した。
「事情があるんだ」
正直に理由を告げることもできず、セリスは唇を尖らせ、頬を膨らませて不貞腐れてしまう。その仕草は可愛らしかったけれど、今回ばかりは譲れない。
「全然納得できないんだからね!」
困り果てた僕を見かねたのか、ラティがそっと助け舟を出してくれた。
「ほら、こいつをやるから機嫌直せよ」
ラティが差し出したのは、〈精錬〉の魔術で作った小さなブローチだった。銀を基調に青い石が嵌め込まれたシンプルなデザインだけど、どこか温かみのある光沢が印象的だった。
「えっ、これ……私に?」
受け取った瞬間、セリスの表情がパッと明るくなった。
「ウルに頼まれて、セリスのために作ってたんだよ」
彼女は嬉しそうにブローチを見つめ、ラティに向かって優雅なお辞儀をしてみせた。
セリスの機嫌が良くなったのはいいけど、いつまでも神経を尖らせながら生活するわけにはいかなかった。
そしてとうとう、その日がやって来た。
「奴隷商人の屋敷と倉庫に侵入して証拠を押さえる。それが今回の仕事よ」
カチャは冷静な声で任務の内容を説明する。その鋭い視線に冗談を挟む余地はなかった。
「私も同行するから安心して」
彼女が一緒に来ると言ってくれたのは心強かった。カチャがいるなら、どんな状況でも切り抜けられるはずだ。
けどそれでも、胸の奥に根を張った嫌な予感は消えない。
「何か不安なことでもある?」
「いえ、大丈夫です」
そう答えながらも、胸のざわつきは収まらなかった。
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