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第一章:少年期
第26話 宝物庫
しおりを挟む扉を開いた瞬間、僕らは思わず足を止めてしまった。
「なんだ、これ……」ラティがつぶやく。
宝物庫は、ただの倉庫という言葉では片づけられないほどの豪華さだった。足元に敷かれた深紅の絨毯は上質な手触りで、毛足が柔らかく足が沈み込むようだった。
壁には無数の絵画が並び、壮大な風景や歴史的な戦いの場面が描かれていた。額縁まで金箔で装飾されていて、驚くほど豪華な作りになっている。
そこに飾られているのは、おそらく有名な画家の作品なのだろう。
無数の棚には金銀の装飾が施された宝石箱やグラス、目を引く壺が並んでいる。どれも煌めいていて、異様な存在感を放っている。
「全部持って帰ったら、一生遊んで暮らせそうだな」
ラティが目を輝かせるけれど、僕の目的はひとつだけだった。
それを目の端で捉えた瞬間、心臓が跳ね上がる。
宝物庫の奥に、他のどんなものとも一線を画す存在感を放つガラスケースが置かれている。その中にあるのは、手のひらサイズの小瓶。
淡い青と金の光をまとい、揺らめく液体が中で静かに流れている。
「〈時空の涙〉だ……」
思わず声が震えてしまう。
〈王国の繁栄と衰退〉の読者なら、その名前を忘れることはできないだろう。
それはただの水薬ではない。〈霊薬〉とも呼ばれる貴重な遺物で、この世に二つとない〈神話級の遺物〉に分類される貴重なモノだった。
時を超え、運命さえ変える力を持つとされる〝伝説〟そのものだ。
この屋敷に忍び込むと知ったとき、激しい頭痛に襲われて〈遺物〉のことを思い出していた。そのときから僕の狙いは決まっていた。
それは金でも宝石でもない。
この〈霊薬〉を手に入れること、それが僕の目的になっていた。
〈知識の書〉によれば、〈時空の涙〉と呼ばれる霊薬は、第二紀に――つまり、この時代を最後に消失する運命にある遺物なのだという。
悪役令嬢ルナリアの処刑を発端にして、帝国は混乱と終わりのない戦争に突入することになる。その混乱の中で、貴重な品々が失われていく。
考古学では〝失われた年代〟で知られていて、過去を知ることのできる遺跡の多くも失われていた。
その貴重な品のひとつが、僕の目の前で静かに光を放ち、まるで誘うように輝いている。それはただの偶然ではない気がした。
もしかすると僕がここに来たのも、神々の加護による影響なのかもしれない――そんな錯覚さえ抱いてしまう。
「ラティ、仕事を始めよう」
僕は小声でラティに合図を送る。彼はうなずくと、そっと近くの棚に向かって歩き出した。その足取りには迷いがない。
普段のお調子者の彼とは思えないほど、集中しているのが伝わってきた。
「罠があるかもしれない、焦らないで」
小さな声で念を押すと、ラティは軽く尻尾を振って答える。
「分かってるよ」
その自信満々な態度に少し不安を覚えたけれど、今は信じるしかない。
ラティが財宝を物色している間に、僕の視線は再び〈時空の涙〉に向けられる。
ガラスケースにそっと手をかざす。すると、目には見えない魔力の層が微かに波打ち、青白い魔術陣が浮かび上がる。
「これは厄介だな……」
目の前には、複雑に絡み合う〈施錠〉の魔術が展開されていた。
それだけじゃない。罠の解除に失敗すれば、警報が鳴り響いて屋敷中の警備が集まってくるように設計されている。
最悪の場合、魔術そのものが破滅的な攻撃に転じる可能性すらある。
冷や汗が背中を伝うのを感じながら、僕は深く息を吸い込んだ。
魔術の解析を間違えれば一瞬で終わりだ。
手のひらをケースにかざしたまま、意識を集中させていく。僕の体内から放出される魔素の流れを、針のように細く制御して、魔術陣の隙間に流し込む。
そうして、ひとつひとつの仕掛けを慎重に見極め、解いていく。
「……これは防御魔術? 解除には記号を逆回転させる必要があるな……」
独り言をつぶやきながら作業を進める。
それぞれの罠の解除には凄まじい集中力と、膨大な魔素を必要としたので、一流の盗賊でも罠の解除は難しいだろう。
汗が額から滴り落ち、呼吸が浅くなる。
一瞬でも気を抜けば、すべてが終わる。その緊張感のなか、時間がどれだけ経ったのかも分からなくなっていた。
「……最後のひとつだ」
最後の罠の解除に成功した瞬間、鈴を鳴らすような小さな音が耳元に聞こえ、魔術陣が消滅するのを感じた。
「やった……」
心の中で歓喜する余裕すらなく、震える指先でガラスケースの縁に手をかける。そして慎重に持ち上げていく。静寂が支配するなか、小瓶が姿をあらわす。
そっと手を伸ばして小瓶を掴む。
冷たく、透明なガラス越しに見える液体が淡い光を放ちながら揺らめいている。それを手のひらで感じた瞬間、なぜか心が震えた。
「これが……〈時空の涙〉……」
その美しさと存在感に、思わず息を呑む。伝説の〈霊薬〉が今、僕の手の中にある。その重みが、これまでの努力と苦労を報いてくれるかのようだった。
背後からラティの小さな声が聞こえる。
「ウル、そっちはどうだ?」
僕は振り返り、静かに笑みを浮かべながら答えた。
「順調だ。これで任務完了」
中身が漏れたり割れたりしないよう、丁寧に布で包んだあと、霊薬の小瓶を慎重に背嚢のなかに入れる。
ラティに視線を向けると、棚の奥から金貨の詰まった小さな袋を取り出し、頬を緩ませているのが見えた。
どうやら僕が霊薬を手に入れたことには気づいていないようだ。
「……まあ、無理もないか」
ラティの目は財宝に釘付けになっていて、霊薬どころではない。
彼の背嚢の中には、煌びやかな装飾の小さな宝石箱や、手のひらに乗る程度の金細工の装飾品が詰め込まれていた。どれも嵩張らないが、見るからに高価な品々だ。
動きに影響が出ない程度の大きさと重さの財宝を選び出していた。
「よし、準備できたぞ」
ラティが動けるようになると、僕たちは影のように音を立てず宝物庫を後にする。
屋敷内の薄暗い廊下を進み、カチャとの合流地点を目指す。何度か警備の気配を感じることがあったけど、そのたびに〈隠密〉の魔術を使ってやりすごす。
カチャも目的のモノを入手したみたいだ。僕たちは予定通り合流すると、急いで屋敷から脱出した。
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