悪役令嬢の騎士

コムラサキ

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第一章:少年期

第22話 クエスト完了

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 タベラは広場の中央近く、色とりどりの花が並べられた屋台のそばに立っていた。

 彼女は華奢な体格で、肩にかかる柔らかな金髪と、どこか控えめな雰囲気が印象的だった。僕たちが近づくと、彼女は優しそうな微笑みを浮かべる。

「少し、お話ししたいことがあるんです……」

 事件について簡潔に伝えると、彼女の表情は凍りついたように硬くなり、ふらりと歩き出して、噴水の縁にそっと腰を下ろした。

「……あの人が、死んだ……ですって?」

 言葉を絞り出すようにして問い返す彼女の声には、信じられないという感情が滲んでいた。

 その青い瞳は涙で潤み、震える指先がスカートの端をぎゅっと握りしめている。

 気まずさを感じつつも、僕たちは質問を続けた。彼女が犯人について何か知っているという可能性は無視できない。

 質問に彼女は目を伏せて、しばらく黙り込んだ。それから静かに口を開く。

「たしかに、わたし……彼と付き合っていました。あんなに優しい人はいないくらいよ。怒った姿なんて、ほとんど見たことがない。それに、誰かに恨まれるようなこともしない真面目な人なの……どうしてこんなことに」

 彼女の声は震えていたけど、それでも言葉を紡ぎ続ける。

「……でも、一度だけ彼が本気で怒っているのを見たことがあるの。あれは確か……ドブ板通りの掘っ立て小屋に住む〝ギリグ〟っていう豹人と揉めたときだった。それも、彼が税金の話で理不尽なことを言ってきたからで……」

「ドブ板通りのギリグ、ですか」
 新しい手掛かりだ。その豹人に会う価値がありそうだ。

 感謝してから立ち去ろうとすると、タベラが僕たちのことを引き止める。

 彼女は涙を堪えながら、小さな声で銀の指輪についてたずねてきた。

 知らないと答えると、彼女は瞼を閉じた。

「……もし、彼の指輪を見つけたら、それを持ってきてほしいの。あれは、わたしが彼に贈ったモノだけど……何もないの、彼を思い出すものが……もう、あの指輪以外には」

 彼女の言葉は切実で、胸に響くものがあった。

「わかりました。もし見つけたら、必ずお持ちします」

 そう約束して、僕たちは彼女に別れを告げた。

 つぎの目的地はドブ板通りにあるギリグの小屋だ。彼がどんな人物なのか、そして何を知っているのか確かめる必要がある。

 ドブ板通りに足を踏み入れると、市場の賑やかな雰囲気が嘘のように消え去り、嫌な静寂が辺りを支配していく。



 腐った木材と汚れた石壁が立ち並ぶこの通りには、陰鬱な雰囲気だけが漂っていた。

 薄暗い通りを進むと、薄汚れた掘っ建て小屋が見えてくる。事前に聞いていた情報と一致する。きっとギリグの小屋だ。

 扉は半ば壊れた状態で、隙間から中の様子が覗ける。

 慎重に扉を押し開いたけど、蝶番ちょうつがいが嫌な音を立てて軋む。

 薄闇のなかに豹人の姿が見えた。粗末な木製の椅子に座り、何かの骨で作られたナイフを研いでいる。

 壁には獲物の毛皮や無数のナイフが飾られていて、部屋の隅には狩猟用の弓矢や罠らしきものが乱雑に置かれている。とても税金を払えないようには見えない。

 茶色がかった白い体毛を持つ豹人で、おそらく彼がギリグなのだろう。僕たちの気配に気づいたのか、座ったまま鋭い目つきで睨んでくる。

「おい、ガキども。ここはてめぇらの遊び場じゃねぇんだぞ」

 その声には威圧感があり、まるで縄張りを侵された獣のようだ。

 僕は一瞬ひるみそうになったけど、深呼吸してから質問する。

「徴税人の事件について知っていることがあれば、教えてほしいんです。すぐ近くに現場があるので、殺人事件のことは知っていると思いますけど……」

 ギリグは一瞬表情を曇らせたけど、すぐにニヤリと嫌な笑みを浮かべた。

 その笑顔には妙な余裕があり、冷たさすら感じさせる。

「あぁ、あの野郎のことか。あれなら俺が殺したぜ」

 あまりにも率直な告白に、一瞬言葉を失った。

「……それって、何かの冗談ですか?」

「んなわけねぇだろ。すべて事実さ。あいつは俺たちの税金を横取りして、その差額を自分の懐に入れてたんだ。しかもその金で高価な指輪を買って、恋人と遊び歩いて酒まで飲んでいやがった。そんな奴が生きてる価値なんかないだろう? だから殺してやったのさ、汚い金と一緒に腐っていくようにな」

 ギリグの表情はどこか虚ろで、話も支離滅裂だった。

 真面目に仕事をしている人間が、恋人と一緒にいたってだけの理由で殺したのか?

 わけが分からない。

 ギリグは椅子から立ち上がると、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。その足取りは重く、そして確信に満ちていた。

「……事情は分かりました。でも、何も聞かなかったことにはできないんです。たから……大人しく警備兵の詰め所に出頭してくれますか?」

 僕の言葉にギリグの顔が険しくなった。そして、次の瞬間――

 鋭い音と共に何かが飛んでくるのが見えた。それがナイフだと気づいたのは、ほとんど無意識に〈疾風〉の魔術を発動させ、風の力で軌道をそらした瞬間だった。

「おいおい、ガキに命令されるほど、俺は落ちぶれてねぇんだよ!」

 ナイフは僕らの背後の壁に突き刺さり、耳元で不気味な金属音を響かせた。もし魔術を使うのが一瞬でも遅れていたら、今ごろ僕は立っていなかったのかもしれない。

「……やる気だ」

 僕は息を整えながらラティに目配せをした。ラティの眼にも緊張が浮かんでいたけど、怯む様子はない。

 僕たちはギリグの動きに集中しつつ、つぎの行動を考える。

 もはや話し合いで解決する道は閉ざされてしまっていた。

 ギリグは別のナイフを手にすると、問答無用で僕たちに襲いかかってきた。その眼は理性を失っていて、完全に獣のソレだった。

「来いよ、ガキども! てめぇらもぶっ殺してやる!」

 ギリグは威勢よく突っ込んでくるけれど、迷宮でホブゴブリンを相手にしてきた僕たちにとって、ただのチンピラは怖くなかった。

 僕はラティに視線で合図を送ると、体内の魔素を練り上げていく。周囲の空気が冷たくなったかと思うと、床が凍っていくのが見えた。

「クソっ、一体なんだっていうんだ!」

 ギリグの動きが止まると、すかさず氷のつぶてを足元に打ち込む。膝の骨が砕けて、彼が片膝をついた一瞬の隙を見逃さず、僕は一気に間合いを詰める。

 そして、勢いをつけた回し蹴りを彼の側頭部に叩き込んだ。

「ぐあっ!」

 チンピラといえども、ギリグは大人の豹人だった。けれど迷宮で手に入れた〈レザーブレスレット〉によって身体強化された脚力が生み出す打撃力は、子どもの力を優に超えていた。

 ギリグは吹き飛んで床を転がっていく。そのさいに頭をぶつけたのか、荒い息をつきながら気絶する。

 ラティはすぐさま豹人に駆け寄ると、小屋のなかで見つけた縄を使って腕を縛っていく。

 ゴーストは突然のことに驚いていたけど、僕たちが遊んでいると思って尻尾を振る。

 気絶したギリグを確認すると、彼の右手に光る指輪があるのを見つけた。タベラが話していた指輪に違いない。

「これは、お前のものじゃない……」

 指輪を奪い取ると、その重みを感じながらラティに視線を向ける。

「ここで見張ってるから、すぐに警備兵を呼んできてくれ」

 しばらくして警備兵が到着した。髭面の兵士は僕たちを見るなり、面倒くさそうな顔を浮かべた。

「またお前たちか……面倒事を増やしてくれたな」

 そう言いながらも、警備兵は僕たちの話を真面目に聞いてくれた。

「まぁ、今回の件はちゃんと事件として処理するよ。それにしても、子どもだけで何でこんな無茶なことをしたんだ?」

 僕が肩をすくめると、彼の相棒でもある強面の蜥蜴人がため息をつくのが見えた。

 ギリグの引き渡しを終えると、僕たちは管理事務所に向かい、そこで事件の一部始終を報告する。

「よくやってくれたな」
 ソシウスはそう言うと、革袋から金の貨幣を五枚取り出して、ラティに手渡してくれた。

「約束の五百ディレンだ。あとのことはこちらで処理しておくから、君たちは気をつけて帰りなさい」

 僕たちは感謝してから、その場をあとにした。

 広場に戻ると、タベラが噴水のそばに座っているのが見えた。僕たちのことを見つけると、彼女は今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべた。

 指輪を差し出すと、その顔に感情が溢れた。

「これ……あの人の……」
 彼女の声は震え、次の瞬間、堪えきれずに大粒の涙が頬を伝った。

「犯人が見つかったのね……ありがとう。本当に、ありがとう……」

 彼女は指輪を両手で大切そうに抱きしめ、声を押し殺すようにして泣いた。その涙は、悲しみと安堵が入り混じったものだった。

 その仕事柄、徴税人は多くの人に嫌われていた。

 街の誰もが彼のことを憎んでいたと言っても過言ではないだろう。

 けれど、少なくともタベラのように彼を愛し、大切に思ってくれる人がいた。

 世界にたった〝ひとり〟の大切な人だ。

 ふたりが一緒になれなかったのは、あるいは、この世界にとって悲劇だったのかもしれない。
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