悪役令嬢の騎士

コムラサキ

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序章

悪役令嬢の君へ

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 もしも時間をさかのぼって過去をやり直せるとしたら、君は何をするだろうか?

 叶わなかった夢や、やりたかったことのために勉強をする?

 毎日がキラキラ輝いていた青春時代をやり直したい?

 それとも、失った大切な人に会いにいく?

 ひとには、それぞれやり直したい大切な過去があり、取り戻したい時間がある。

 それなら、僕は何を望むのだろうか?

 僕は――
 この世界で――



 暗闇に沈み込む部屋で彼女は突然目を覚ました。狭く薄汚れた部屋はカビ臭く、黒光りする昆虫がうごめいている。だけど彼女はソレを無視して、自分がどこにいるのかを確かめようとする。

 そこに恐ろしい姿をした看守がやってきて、不気味な笑みを浮かべながら檻の中にいる美しい女性の姿を眺める。看守の背後に視線を向けると、暗がりに何人もの男性が列を作っているのが見えた。

 邪悪な笑みを浮かべる男たちは、今日も彼女に乱暴するために集まってきていた。

 けれど彼女は怯えない。彼女はどうしようもないほど壊されていて、その心は空っぽで、すでに失われてしまっていた。もう何も感じなかったのだ。

「エイリーク=ロズブローク・ルナリア」
 男性は抑揚のない声で言った。

「あんたの身の回りの世話をしていた人間は全員処刑されたよ。可哀想な連中だ。あんたに関わらなければ、死ぬこともなかっただろうに」

 男性はワザとらしく溜息をついて、それから言った。

「あんたはもう独りだ。ここで孤独に死んでいく。それがどんな気持ちなのか、俺に教えてくれないか?」

 男性の言葉は、しかし彼女の耳に入らなかった。

 数日後、彼女は大広場に設営された断頭台の前に連れてこられた。



 錆の浮いた無骨な刃が、日の光を受けてあやしい輝きを放つ。
 その断頭台の前に立つのは、美姫と謳われた令嬢。

 しかし彼女に浴びせられるのは称賛の声ではなく、これまで聞いたこともないようなののしりや卑猥な言葉だった。聞いているだけで耳をふさぎたくなるような群衆の声のすべては、彼女ただひとりを非難するための声だった。

 どうしてこんなことに?
 名誉ある血筋の令嬢が、どうしてこんな目に遭わなくてはならないのか。

 処刑人がやってくると、兵士たちに指示を出す青年の姿が見えた。

 この国の皇子、金髪の凛々しい青年。

 そして、そのとなりに立つ凛とした女性。辺境の貧しい貴族の娘だったが、皇子の協力を得て、苦しむ民のために革命を起こした聖女だとされている。

 彼女こそ令嬢をおとしめた存在、憎しみの対象だ。
 けれど、すでにその憎しみの炎も消えて、あとに残ったのは灰のようなあきらめだけ。

 やがて処刑人は力ずくで彼女をひざまずかせた。すぐ目の前に腐った木の板が見えた。三つの穴があいたそれは、断頭台に囚人の身体を固定するための器具だ。ささくれ立った板は軽く触れるだけで肌に刺さり、彼女の白い肌を傷つける。

 どうして、こんなことに?
 その問いかけも無視されるかと思ったが、それに答える声があった。

「帝国のためですよ、おとなしく死になさい。お嬢さま」
 視線を上げると、王子のとなりに立っていた女性と視線が合う。
 むき出しの殺意に恐怖を覚える間もなく、重たい鉄の塊が落ちてきて――

 そして鈍い音のあと――景色がくるり、くるりと回って――
 彼女が好きだった銀白の髪の毛が地面に落ちて、赤く染まっていく。

 そうして可憐な令嬢は死んだ――

 ◆

 本を閉じると青年は多くの人々で賑わう広場をじっと見つめる。

 それは残酷で退屈な物語だった。
 与えられた役割を果たそうと精一杯に生きて手に入れたのは、怒りと憎悪だけ……。

 もう誰も君のことを愛さない。
 この世界では、もう君を守る人間はいない。
 もう誰も守ってくれないんだ。
 それが君の世界なんだ。

 青年は世界を憎んだ。
 理不尽な世界を憎んだ。

 誰も彼女を愛さないのなら、僕が――いや、僕だけが君を愛そう。
 世界が色を失い、人々が消え去ろうとも。

 視線の先には、世界から憎まれた令嬢が立っている。
 青年は彼女の前にひざまずくと、その手をそっと取る。

 僕を必要とするのなら、いつまでも君のそばにいよう。

「だから何をすればいいのか教えてくれ。君を救うためなら、僕は何でもする」
 だから今は――僕のことだけを愛してくれ。
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