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都内のとあるカフェ。佑月は固い表情を浮かべて目の前のコーヒーを見つめていた。前に座るのは上等なスーツに身を包んだ小田がいる。
「弁護士だったんですね」
佑月から出てくる声は自然と冷たいものになる。それは彼がいつもと変わらずにこやかに微笑んでいるからであった。
「あそこで職業を明かしても得することなんてないでしょ。余計な責任を負わされるだけだ」
煙草を吸っていいか、と彼は問いかける。彼女は小さく頷いた。彼は慣れた手つきで煙草に火をつける。一服をしてから再び笑った。
「素人が勝手にリーダーシップをとるのと社会的地位にある人間がリーダーシップを取るんじゃ大分印象が違うからね。反感を買いやすいし」
彼が淡々と告げるが佑月は何も返さない。
「では今回の事件について解説していこうか。佑月さんもそれを望んでいるようだし」
彼はにこやかに告げる。そしてテーブルで固く握りしめられてる彼女の手に触れた。
「最初の事件、3日目の朝に発覚した講師の藤岡たまき殺害事件。あれの犯人は名瀬君だ。理由は単純明快、復讐だよ。君も薄々は感じていたかもしれないけど、あの断食教室というのは詐欺の入り口みたいなものでね。ほら、もう一人の講師がいただろう?」
彼はどうしても名前を思い出せないようだ。テーブルに置かれた資料をめくって「ああ」と頷く。
「西住、そう西住繭だ。彼女も貴重な生き残り仲間だっていうのに、どうしても印象が薄くて。さて、詐欺の話だったね。西住のように生徒として教室に参加した人間を取り込んでねずみ講をしていったって訳。ほら、ああいうのに参加する人って何かしらプラスの変化を求めている人、自分にコンプレックスを持っている人たちなわけでしょ。そこへ言葉巧みに褒めてその気にさせて入会させていくんだ。もちろん、佑月さんみたいに頭のいい人はちゃんと逃げられるんだけどね。西住みたいに頭の中が空っぽだともう思うつぼだよ」
彼は丁寧な物言いで言葉を紡いだ。
「で、野瀬君は妹さんがカモにされてしまったようでね。西住は講師として採用されたけど全員が全員そうじゃない、妹さんはお金を搾り取られる側だった。洗脳状態にあったんだろうね。どんどんお金を貢いでいってお金を稼ぐために色んなことをして、最終的に破滅に至ると」
ここからは憶測だけど、と彼は再び手を伸ばして彼女の拳を包み込んだ。まるで愛しいものに触れるかのように、指の腹で撫でる。
「野瀬君は藤岡たまきに悪事について問いただした。そこでの彼女の返事が気に入らず、絞殺した。彼が死体を隠さなかったのは罪の意識があったからだ。自分が犯人だ、と名乗り出るには至らなかったけど、死体を隠して罪から逃れようとはしなかった。ここに情状酌量の余地がある、という話さ」
「死んだ人の弁護もするんですか?」
思いついた疑問が素直に口から出る。彼はひどく嬉しそうに目を細めた。
「書類送検されるからね。野瀬君の場合は妹さんの件があるわけだから、そこは汲んであげたいなって。長く一緒にいたわけじゃないけど、彼の為人は少しばかり分かってるつもりだよ」
彼女が手を握る力を緩めたのが分かったのだろう。彼は指をするりと潜り込ませる。指先を優しく握る。
「藤岡たまきの死によってあの場は狂乱に包まれた。ふふふ、断食どころじゃなくなったね。ああ、おかしい! 俗世と離れるための儀式の場所のはずなのに馬鹿ほど自分のことばっかりだ」
彼の言葉は毒に満ちている。それでも彼女は彼の声に耳を傾けていた。
「第二の事件、僕らには全部一緒に起きたように見えたはずだけど実際はもっと複雑でね。よければ佑月さんの推理を聞かせて。被害者は野瀬君と──名前が思い出せない。興味がないと全然覚えられないたちなんだ。女その一と取り巻きをその二としようか。もう一人の女性、あだ名は覚えているんだ、ミンミンさん。彼女については先に言うけど事故死だったよ」
彼はお菓子の好き嫌いを語るように、簡単にそう言った。佑月は力なく首を横に振った。すると彼は両手で彼女の手を握る。
「あまりこの話はしたくないかな? 僕だけが一方的に話している気がして。不謹慎、かな?」
そういうことではない、と彼女は再度首を横に振る。
「何も考えられません。西住先生が犯人でしょう?」
「彼女が殺したのは一人だけ。彼女が言っていたことは真実だ、取り巻き女、そうそう木原だ。木原を殺したのは西住だ」
「木原さんが誰かを殺したって」
「それも真実。誰を殺したと思う? 単純な二択だよ。世間話だと思って、気楽にね」
彼の優しい声色が体を表面から溶かしていくようだった。彼の思惑通りなのだろう、彼女は緩やかに思考を回転させていく。
「長谷さん、かと思いました」
「理由は?」
「彼女の態度に我慢ならなくなって」
「ああ、そうだね。そうだったら良かったって、僕も本当にそう思うよ。そっちの方が面白いのに」
彼はおかしそうにくすくすと笑う。
「一応話の道筋としてはね、『長谷を殺した名瀬を木原が殺した』ということになっているんだ。名瀬君と長谷の死体が近い場所にあったから。長谷は突き飛ばされでもしたのか、テーブルの角に頭を打って死んでたよ。名瀬君は撲殺されていた。ダンベルで思いきり殴ったんだろう」
彼はおかしそうに笑いながら彼女の手を揉んでいる。
「しかしそこには大きな誤算があった。西住という目撃者がいた。彼女はただでさえ追い込まれていたからね。殺人を犯した木原を見てとうとう彼女は限界を迎えた。殺さなければ自分が殺される。それで木原を殺したわけだ。彼女の不幸なところは精神があまりにも繊細だということだ。それこそ、正当防衛とでも言って堂々としていれば良かったのに、殺人という罪の意識に耐えきれなかったんだ。今はまともに話せない状態だってさ」
佑月は彼の声で精神まで溶かされるような気がした。意識を失うかのような眠気が彼女を襲う。少しでも抗おうと彼女は顔を上げた。
「どうして、名瀬さんは長谷さんを殺したんですか?」
「どうやら藤岡たまき殺しの証拠を彼女が掴んでいたようで」
小田はため息をついた。彼の体温によってすっかり温まった彼女の手に指を絡ませて気まぐれに握る。
「持ち前の正義感を発動させたらしい。一人で糾弾しに行ったんだね。彼は激高したのかどうか。あの論調で来られたらたまったものじゃないだろう。彼女を押しのけたか突き飛ばしたかしてしまい、彼女は思いの外吹っ飛びテーブルの角に頭をゴツン、という結末かな」
彼はおかしそうに一つ笑った。
「そして次は事故死なわけだけど、ミンミン──そうだ思い出した、山峯だ。佑月さんがそう言って探していただろう。彼女はとにかく逃げようとしたようでね、山に入っていったんだ。そして雨のせいもあり急斜面を滑り落ちてなすすべなく崖下に転落」
最後に、と言って彼は微笑んだ。
「今日の本題。名村君をどうするかって話だけど」
彼女は静かに首を横に振った。
「では、和解ということでいいのかな。一応殺人未遂だけど」
「あれは、名村さんが悪いわけではないですから。逆の立場だったら、私も同じことをしていたかもしれない」
彼は男だから、女の自分を殺そうとしたのだと思った。彼の方が優位な立場にあるから、凶悪な殺人を犯しているとはいえ女の佑月を殺そうとしたのだと。しかしもしも佑月が包丁を手にしていて、目の前に無防備な名村がいれば躊躇わずに刺し殺していたかもしれないのだ。そんな考えが浮かぶほど、あの空間は異常だった。殺人が最も正しい自己防衛手段だった。
「じゃあ、その方向で話を進めていくね。考えが変わったらいつでも言って。どうにでもなるから」
彼は指を絡ませたまま嬉しそうに微笑む。彼から純然たる愛情が注がれるほど彼女の心は虚ろになっていくようだった。
「何が目的なんですか?」
彼女は問う。彼を真っすぐに見つめる。
しかし彼は吸い込まれそうなほど透き通ったハシバミ色の瞳で彼女を見つめ返すばかりだ。
「佑月さん、好きだよ」
信じてはいけない、と彼女の中で警鐘が鳴り響く。鳴り響いているはずだった。しかし心も体も溶かされてしまったらしい。鐘の音は鈍く体を揺らすばかりで脳の芯まで届かない。
「おすすめのお店があるんだ。今夜はそこで食べよう。僕はもっと、佑月さんと話がしたいんだ」
断るべきだ。彼女は何も信じられなかった。
しかし彼女の口から出たのは「はい」という言葉だった。
了
「弁護士だったんですね」
佑月から出てくる声は自然と冷たいものになる。それは彼がいつもと変わらずにこやかに微笑んでいるからであった。
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煙草を吸っていいか、と彼は問いかける。彼女は小さく頷いた。彼は慣れた手つきで煙草に火をつける。一服をしてから再び笑った。
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彼が淡々と告げるが佑月は何も返さない。
「では今回の事件について解説していこうか。佑月さんもそれを望んでいるようだし」
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彼はどうしても名前を思い出せないようだ。テーブルに置かれた資料をめくって「ああ」と頷く。
「西住、そう西住繭だ。彼女も貴重な生き残り仲間だっていうのに、どうしても印象が薄くて。さて、詐欺の話だったね。西住のように生徒として教室に参加した人間を取り込んでねずみ講をしていったって訳。ほら、ああいうのに参加する人って何かしらプラスの変化を求めている人、自分にコンプレックスを持っている人たちなわけでしょ。そこへ言葉巧みに褒めてその気にさせて入会させていくんだ。もちろん、佑月さんみたいに頭のいい人はちゃんと逃げられるんだけどね。西住みたいに頭の中が空っぽだともう思うつぼだよ」
彼は丁寧な物言いで言葉を紡いだ。
「で、野瀬君は妹さんがカモにされてしまったようでね。西住は講師として採用されたけど全員が全員そうじゃない、妹さんはお金を搾り取られる側だった。洗脳状態にあったんだろうね。どんどんお金を貢いでいってお金を稼ぐために色んなことをして、最終的に破滅に至ると」
ここからは憶測だけど、と彼は再び手を伸ばして彼女の拳を包み込んだ。まるで愛しいものに触れるかのように、指の腹で撫でる。
「野瀬君は藤岡たまきに悪事について問いただした。そこでの彼女の返事が気に入らず、絞殺した。彼が死体を隠さなかったのは罪の意識があったからだ。自分が犯人だ、と名乗り出るには至らなかったけど、死体を隠して罪から逃れようとはしなかった。ここに情状酌量の余地がある、という話さ」
「死んだ人の弁護もするんですか?」
思いついた疑問が素直に口から出る。彼はひどく嬉しそうに目を細めた。
「書類送検されるからね。野瀬君の場合は妹さんの件があるわけだから、そこは汲んであげたいなって。長く一緒にいたわけじゃないけど、彼の為人は少しばかり分かってるつもりだよ」
彼女が手を握る力を緩めたのが分かったのだろう。彼は指をするりと潜り込ませる。指先を優しく握る。
「藤岡たまきの死によってあの場は狂乱に包まれた。ふふふ、断食どころじゃなくなったね。ああ、おかしい! 俗世と離れるための儀式の場所のはずなのに馬鹿ほど自分のことばっかりだ」
彼の言葉は毒に満ちている。それでも彼女は彼の声に耳を傾けていた。
「第二の事件、僕らには全部一緒に起きたように見えたはずだけど実際はもっと複雑でね。よければ佑月さんの推理を聞かせて。被害者は野瀬君と──名前が思い出せない。興味がないと全然覚えられないたちなんだ。女その一と取り巻きをその二としようか。もう一人の女性、あだ名は覚えているんだ、ミンミンさん。彼女については先に言うけど事故死だったよ」
彼はお菓子の好き嫌いを語るように、簡単にそう言った。佑月は力なく首を横に振った。すると彼は両手で彼女の手を握る。
「あまりこの話はしたくないかな? 僕だけが一方的に話している気がして。不謹慎、かな?」
そういうことではない、と彼女は再度首を横に振る。
「何も考えられません。西住先生が犯人でしょう?」
「彼女が殺したのは一人だけ。彼女が言っていたことは真実だ、取り巻き女、そうそう木原だ。木原を殺したのは西住だ」
「木原さんが誰かを殺したって」
「それも真実。誰を殺したと思う? 単純な二択だよ。世間話だと思って、気楽にね」
彼の優しい声色が体を表面から溶かしていくようだった。彼の思惑通りなのだろう、彼女は緩やかに思考を回転させていく。
「長谷さん、かと思いました」
「理由は?」
「彼女の態度に我慢ならなくなって」
「ああ、そうだね。そうだったら良かったって、僕も本当にそう思うよ。そっちの方が面白いのに」
彼はおかしそうにくすくすと笑う。
「一応話の道筋としてはね、『長谷を殺した名瀬を木原が殺した』ということになっているんだ。名瀬君と長谷の死体が近い場所にあったから。長谷は突き飛ばされでもしたのか、テーブルの角に頭を打って死んでたよ。名瀬君は撲殺されていた。ダンベルで思いきり殴ったんだろう」
彼はおかしそうに笑いながら彼女の手を揉んでいる。
「しかしそこには大きな誤算があった。西住という目撃者がいた。彼女はただでさえ追い込まれていたからね。殺人を犯した木原を見てとうとう彼女は限界を迎えた。殺さなければ自分が殺される。それで木原を殺したわけだ。彼女の不幸なところは精神があまりにも繊細だということだ。それこそ、正当防衛とでも言って堂々としていれば良かったのに、殺人という罪の意識に耐えきれなかったんだ。今はまともに話せない状態だってさ」
佑月は彼の声で精神まで溶かされるような気がした。意識を失うかのような眠気が彼女を襲う。少しでも抗おうと彼女は顔を上げた。
「どうして、名瀬さんは長谷さんを殺したんですか?」
「どうやら藤岡たまき殺しの証拠を彼女が掴んでいたようで」
小田はため息をついた。彼の体温によってすっかり温まった彼女の手に指を絡ませて気まぐれに握る。
「持ち前の正義感を発動させたらしい。一人で糾弾しに行ったんだね。彼は激高したのかどうか。あの論調で来られたらたまったものじゃないだろう。彼女を押しのけたか突き飛ばしたかしてしまい、彼女は思いの外吹っ飛びテーブルの角に頭をゴツン、という結末かな」
彼はおかしそうに一つ笑った。
「そして次は事故死なわけだけど、ミンミン──そうだ思い出した、山峯だ。佑月さんがそう言って探していただろう。彼女はとにかく逃げようとしたようでね、山に入っていったんだ。そして雨のせいもあり急斜面を滑り落ちてなすすべなく崖下に転落」
最後に、と言って彼は微笑んだ。
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彼女は静かに首を横に振った。
「では、和解ということでいいのかな。一応殺人未遂だけど」
「あれは、名村さんが悪いわけではないですから。逆の立場だったら、私も同じことをしていたかもしれない」
彼は男だから、女の自分を殺そうとしたのだと思った。彼の方が優位な立場にあるから、凶悪な殺人を犯しているとはいえ女の佑月を殺そうとしたのだと。しかしもしも佑月が包丁を手にしていて、目の前に無防備な名村がいれば躊躇わずに刺し殺していたかもしれないのだ。そんな考えが浮かぶほど、あの空間は異常だった。殺人が最も正しい自己防衛手段だった。
「じゃあ、その方向で話を進めていくね。考えが変わったらいつでも言って。どうにでもなるから」
彼は指を絡ませたまま嬉しそうに微笑む。彼から純然たる愛情が注がれるほど彼女の心は虚ろになっていくようだった。
「何が目的なんですか?」
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しかし彼は吸い込まれそうなほど透き通ったハシバミ色の瞳で彼女を見つめ返すばかりだ。
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信じてはいけない、と彼女の中で警鐘が鳴り響く。鳴り響いているはずだった。しかし心も体も溶かされてしまったらしい。鐘の音は鈍く体を揺らすばかりで脳の芯まで届かない。
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