雨の向こう側

サツキユキオ

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1日目

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 今回の参加者は男性三人、女四人の計七人であった。他に講師が二人、どちらも女である。男が多いことに彼女は少なからず驚いていた。しかも断食が必要そうな体系は一人だけであり、一人は筋肉質、一人は細身であった。その細身の男が「スバル」である。
 いきなりあだ名で呼び合うような親しい間柄、というわけではない。プログラムの方針で、参加者たちはそれぞれ「呼ばれたい名前」で自己紹介することになっていた。心身を解放するために必要な儀式である、と講師は当たり前のように告げた。なんて馬鹿馬鹿しい! と思い切って叫ぶ度胸などあるはずもない。彼女はごくありふれた「カメちゃん」というあだ名をネームプレートに書き込むほかなかった。
 思えば彼女はこの時点で得体のしれない恐怖に襲われていたのだ。しかも現在はひどく腹を空かせており、初日にしてこの合宿への印象は最悪と言わざるを得ない。
「僕も一人で過ごす方が楽なたちなので、少し息抜きに来ました」
 彼女の言わんとしていることが分かったのか、彼はいたずらっぽくそう言った。
「カメちゃんはどうしてこの合宿に来たんですか?」
 月並みな問いかけだが、彼女にとっては少し答えづらい。
「えっと、自分を変えたくて的な」
「断食すると世界観変わるって言いますもんね」
 スバルは別段馬鹿にする様子もなくそう言った。
「僕は経験を積んでおくか、くらいの軽い気持ちで参加しました。元々食べることがそんなに好きではないので、断食には興味があったんです。一度くらい食事を断ってみようと思って。自分でやるとなると難しいですからね」
 彼のあっけらかんとした言葉に救われた気がした。彼だけが昨日までの日常からこの会場に飛び込んだ、佑月と同じ哀れな被害者であるように思えた。
 四人一部屋のあの部屋はひどく息が詰まる場所だった。他の三人、「あーちゃん」「きーちゃん」「ミンミン」はこの経験が人生を180度変えるのだと信じて疑わないようだった。佑月のような中途半端な志の方が異質なのだろう。この場に来るにあたって彼女たちはあらゆる予習を済ませたらしい。部屋に戻るなりそれぞれの蘊蓄を語り持論を展開した。ところが佑月に語るべき知識などあるはずもなかった。話の流れを止めないように曖昧に頷くしかなかった。
 ここで佑月に自分自身を受け入れられる強さと素直さがあれば違ったのだろう。彼女がもう少し世渡り上手であれば──こういった集団行動で彼女は自身の欠点を強く自覚してしまう──無知であることを打ち明けることができていれば。何も知らないというアドバンテージを生かして彼女たちの見識の深さをおだて称えて懐に潜り込むことができるのだろう。しかし彼女は不器用で、ある意味では素直であった。知識がないというよりは興味がないことの方が問題だったのだろう。気持ちの乗らない相槌は徐々に彼女の無知を彼女らの眼前に晒しだす結果となった。空腹であることも相まって、佑月から彼女たちに向けられる言葉はどこまでも空虚であった。彼女らの視線に批判や嫌悪が混ざっているような気がして、佑月は逃げるように部屋を出ていったのである。
「あとほら、この合宿安かったから」
「あ、同じです。私もそれが決め手でした」
 金銭感覚、という絶対的な価値観。その相似は二人の距離感を一気に縮めるものであった。
「お試しでこの金額ならいいかなって」
 そうそう! と言ってスバルは笑う。童顔な彼の笑った顔は誰が見ても好ましいものだろう。彼女にとっては彼が完全無欠なものに見えた。見えないものに縋りたくてやってきた彼女と、単に人生経験の一つとしてやってきた彼とでは何かが天と地ほど違う気がした。
「5日間っていうのはちょっとネックでしたけど、まあ一生に一度の体験だと思えば」
「友達紹介だけ、っていうのが怪しさ満点でしたけど」
「ああ、僕もそう思いました。でも案外普通で」
 不安が共有できるというのは驚くほど佑月の口を軽くした。
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