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祝祭編
40.人型
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「ほら、その……研究とかするなら、記録用に要るだろうし」
「それもそうだな。では文房具店に行こうか。ちょうど向かっている通りに、いつも利用している店がある」
分かったと頷く。結構話していたせいか、ほとんど待つことなく馬車が止まった。目的地に着いたらしい。
アルヴァロの手を借りながら降りたネレスは「おお……」と呟きながら周囲を見回した。
表通りというだけあって道幅が広い。
ずらりと建ち並ぶカラフルな外壁の建物がとても目を引いた。窓辺に飾られた植物や奥に見える噴水などが、全体の雰囲気を華やかなものにしている。
馬車から降りてきたネレスたちが気になるのか、道行く人々がちらちらと視線を寄越した。慌てて曲がりかけていた背筋を伸ばす。
「石畳は歩きづらいだろう。疲れたら言ってくれ」
「あ、ありがとう……」
確かに舗装されているとはいえ、アスファルトに比べればガタガタしているし硬い。転ばないように気をつけようと、足元に視線を落とした。
暖かい橙色の店前でアルヴァロが立ち止まる。ここが文房具屋らしい。
中へ足を踏み入れると、狭くて薄暗い空間に出迎えられた。奥のカウンターで本を読んでいた老人が、顔を上げて目を丸くする。
「これはこれは、バラエナ卿。いつもご贔屓にしてくださりありがとうございます」
「ああ、世話になっている。今日は娘の買い物に来たんだ」
「それは光栄ですな。どうぞご自由に見てください」
「ありがとうございます」
ネレスが表情筋を駆使しながら微笑むと、店主は目尻のシワを深めて「いいえ」と笑った。
店内には所狭しといろんなものが置かれていた。
棚には本やノート、羽根ペン、インク瓶などが並べられている。板のようなものや小型のナイフなど、何に使うかよく分からないものも揃っていた。
「すごい……」
「好きなものを探してくれ。端から端まで買い取ってもいい」
「そこまでは要らないかな……」
アルヴァロがすこし口を曲げる。不服そうだが、すべて購入されても使いきれる気がしないのだ。
積み上がった本や紙の束を見て(うん、絶対無理やわ)とひとりで頷く。
それにしても、正直この世界の文明レベルだと紙はかなり高いのではないだろうか。
値札がないのが怖すぎる。あっても読めないけれど。
(羊皮紙っぽいのもあるけど、白い紙とどっちが高いんやろ……)
値段のことを考えていたら、手に取ることすら怖くなってきた。しかし買ってもらうために店に来たのだから選ばなければいけない。
狭い店内で引っ掛けないようにドレスを押さえながら、ネレスは意を決して商品を見て回った。
しばらくして欲しいものは決まった。革で綴じられた厚い白紙の本と羽根ペン、それから青みがかったインクだ。
アルヴァロに報告すると「それだけでいいのか?」と何度も確認される。とりあえず買ってみて、気に入ったらまた欲しいと伝えるとようやく納得してくれた。
「……ん?」
ふたりでカウンターに向かっていたとき、アルヴァロが突然怪訝な表情をして足を止めた。
「どうしたの?」
「そこの棚に……何かが居る」
「えっ……何?」
視線の先を追うが、分からない。ただインク瓶が並んでいるだけのように見える。
つま先立ちをしてよく見ようとしたとき、瓶の後ろで何かが動いた。
「アッマジだ、いる!」
「~~♪」
ネレスの言葉に応えるように――不思議な鳴き声を発しながら、『それ』は姿を現した。
桃色の小さな……謎の生き物だ。人っぽい形で、目と口はついている。インク瓶と同じくらい小さい。
一番似ているのはジンジャーブレッドマンだろうか。それも形が似ていると言うだけで、体は透明感がありぷるぷるツヤツヤしている。
微笑んでいるような表情の『それ』は、楽しげに鳴きながら体を揺らしていた。
「なんだ、これは……」
「アルヴァロも分からないの?」
「ああ、初めて見た。神の遣い……にしては見た目が間抜けすぎるし、魔法でできている訳でもない。自然に発生した生物のようにも見えないな」
もし神の遣いだったらかなり失礼なことを言いながら、アルヴァロは眉をひそめた。
桃色の人型はネレスに向かって手を振っている。
「わ、手振ってる。意思があるってこと……?」
「一番可能性があるのは錬金術の産物だが。店主に聞いてみるか」
そう言ってアルヴァロが人型をつまもうとすると、怯えるようにインク瓶の後ろへ隠れてしまった。
そして別のインク瓶の後ろから、またネレスに向かって手を振る。
「私が捕まえたほうがいいかもしれない」
「大丈夫か?」
「た、多分……」
未知の物体におそるおそる手を伸ばすと、今度は意気揚々とネレスの手のひらに乗ってきた。
「なんかすげえぷにぷにしてる! すごい、ひんやりしてて、なにこの……なに?」
「~~♪」
友達の家で持たせてもらったハムスターのような、ぐにぐにとした得体の知れない命の感触がする。握ったら潰してしまいそうだ。
できるだけ体から遠ざけつつ、両手でそれを包み込むように持ってネレスたちは店主のところへ向かった。
アルヴァロはインク瓶の棚に不思議な生き物がいたことを説明し、ネレスが両手を差し出してそれを見せる。
店主は眉をひそめて眺めたあと、首を横に振った。
「心当たりはありませんねえ……客の忘れ物かもしれませんな。わたくしが預かっておきましょうか」
「……そうだな、頼む。持ち主が見つかったときは、それがどこの誰なのか教えていただきたい」
「分かりました、お任せください。お嬢様、ちょいと失礼しますよ」
店主が人型をつまみ上げようとすると、それはネレスの指にしっかりとしがみついた。
「エッ」
「おや。これ、離さんか」
「~~!」
ぐいぐいと引っ張られても、まったく離れようとしない。なぜかネレスは懐かれてしまったようだ。
しばらく奮闘したあと、店主は困ったようにアルヴァロを見上げた。
「どうしましょうかねえ……」
「……すまない。やはり持ち帰ることにする」
「そうですか、分かりました」
強く引っ張られすぎて破裂しないかヒヤヒヤしていたので、ネレスは内心ほっとした。
(命拾いしたな、お前)
商品を包んでもらっているあいだ、両手で包んだ人型を親指でぷにぷにとつつく。
文房具店を出たネレスは、アルヴァロに「ありがとう、買ってくれて」と礼を言った。
「構わない、私が買いたかったんだ。むしろまったく買い足りないが、本当にこれだけでいいのか?」
「う、うん……特には……」
「ネレスは欲がないな」
「や……そうでもないよ」
(ここが日本だったら、百万のPC買ってとか言ったかもしれんし)
この世界で欲しいと思うものが、まだないだけだ。もしかするといずれ自動湯沸かしポットが欲しいなどと言い出す未来があるかもしれない。
手の中で人型がモゾモゾと動き、ネレスは「ウワッ」と小さく悲鳴をあげた。
「その妙なものは持ち帰って占星部に見せよう。近々神殿を調べた結果の報告に来るはずだ」
「占星部、なんでもできるね」
「というより、そこしか頼れる場所がない……という状態だな。また仕事を押しつけてと怒られるかもしれない」
「大丈夫なん、それ」
アルヴァロはしばらく考えたあと「おそらく」と答えた。その答えは多分、大丈夫ではない。
突然、街中に重くゆったりとした鐘の音が響いた。びくりと肩を跳ねさせる。まさか魔獣だろうか?
西部で聞いた鐘は危険なことが起きている時の合図だった。辺りを不安げに見回すとアルヴァロが「大丈夫だ」と穏やかに告げる。
「昼時の鐘だ。魔獣が出た訳じゃない」
「ああ、なるほど……良かった」
「この時間は噴水広場が特に賑わっているんだ。すこしだけ覗いてみるか」
胸を撫で下ろしたネレスは、人型をしっかりと持ち直しながら頷いた。
「それもそうだな。では文房具店に行こうか。ちょうど向かっている通りに、いつも利用している店がある」
分かったと頷く。結構話していたせいか、ほとんど待つことなく馬車が止まった。目的地に着いたらしい。
アルヴァロの手を借りながら降りたネレスは「おお……」と呟きながら周囲を見回した。
表通りというだけあって道幅が広い。
ずらりと建ち並ぶカラフルな外壁の建物がとても目を引いた。窓辺に飾られた植物や奥に見える噴水などが、全体の雰囲気を華やかなものにしている。
馬車から降りてきたネレスたちが気になるのか、道行く人々がちらちらと視線を寄越した。慌てて曲がりかけていた背筋を伸ばす。
「石畳は歩きづらいだろう。疲れたら言ってくれ」
「あ、ありがとう……」
確かに舗装されているとはいえ、アスファルトに比べればガタガタしているし硬い。転ばないように気をつけようと、足元に視線を落とした。
暖かい橙色の店前でアルヴァロが立ち止まる。ここが文房具屋らしい。
中へ足を踏み入れると、狭くて薄暗い空間に出迎えられた。奥のカウンターで本を読んでいた老人が、顔を上げて目を丸くする。
「これはこれは、バラエナ卿。いつもご贔屓にしてくださりありがとうございます」
「ああ、世話になっている。今日は娘の買い物に来たんだ」
「それは光栄ですな。どうぞご自由に見てください」
「ありがとうございます」
ネレスが表情筋を駆使しながら微笑むと、店主は目尻のシワを深めて「いいえ」と笑った。
店内には所狭しといろんなものが置かれていた。
棚には本やノート、羽根ペン、インク瓶などが並べられている。板のようなものや小型のナイフなど、何に使うかよく分からないものも揃っていた。
「すごい……」
「好きなものを探してくれ。端から端まで買い取ってもいい」
「そこまでは要らないかな……」
アルヴァロがすこし口を曲げる。不服そうだが、すべて購入されても使いきれる気がしないのだ。
積み上がった本や紙の束を見て(うん、絶対無理やわ)とひとりで頷く。
それにしても、正直この世界の文明レベルだと紙はかなり高いのではないだろうか。
値札がないのが怖すぎる。あっても読めないけれど。
(羊皮紙っぽいのもあるけど、白い紙とどっちが高いんやろ……)
値段のことを考えていたら、手に取ることすら怖くなってきた。しかし買ってもらうために店に来たのだから選ばなければいけない。
狭い店内で引っ掛けないようにドレスを押さえながら、ネレスは意を決して商品を見て回った。
しばらくして欲しいものは決まった。革で綴じられた厚い白紙の本と羽根ペン、それから青みがかったインクだ。
アルヴァロに報告すると「それだけでいいのか?」と何度も確認される。とりあえず買ってみて、気に入ったらまた欲しいと伝えるとようやく納得してくれた。
「……ん?」
ふたりでカウンターに向かっていたとき、アルヴァロが突然怪訝な表情をして足を止めた。
「どうしたの?」
「そこの棚に……何かが居る」
「えっ……何?」
視線の先を追うが、分からない。ただインク瓶が並んでいるだけのように見える。
つま先立ちをしてよく見ようとしたとき、瓶の後ろで何かが動いた。
「アッマジだ、いる!」
「~~♪」
ネレスの言葉に応えるように――不思議な鳴き声を発しながら、『それ』は姿を現した。
桃色の小さな……謎の生き物だ。人っぽい形で、目と口はついている。インク瓶と同じくらい小さい。
一番似ているのはジンジャーブレッドマンだろうか。それも形が似ていると言うだけで、体は透明感がありぷるぷるツヤツヤしている。
微笑んでいるような表情の『それ』は、楽しげに鳴きながら体を揺らしていた。
「なんだ、これは……」
「アルヴァロも分からないの?」
「ああ、初めて見た。神の遣い……にしては見た目が間抜けすぎるし、魔法でできている訳でもない。自然に発生した生物のようにも見えないな」
もし神の遣いだったらかなり失礼なことを言いながら、アルヴァロは眉をひそめた。
桃色の人型はネレスに向かって手を振っている。
「わ、手振ってる。意思があるってこと……?」
「一番可能性があるのは錬金術の産物だが。店主に聞いてみるか」
そう言ってアルヴァロが人型をつまもうとすると、怯えるようにインク瓶の後ろへ隠れてしまった。
そして別のインク瓶の後ろから、またネレスに向かって手を振る。
「私が捕まえたほうがいいかもしれない」
「大丈夫か?」
「た、多分……」
未知の物体におそるおそる手を伸ばすと、今度は意気揚々とネレスの手のひらに乗ってきた。
「なんかすげえぷにぷにしてる! すごい、ひんやりしてて、なにこの……なに?」
「~~♪」
友達の家で持たせてもらったハムスターのような、ぐにぐにとした得体の知れない命の感触がする。握ったら潰してしまいそうだ。
できるだけ体から遠ざけつつ、両手でそれを包み込むように持ってネレスたちは店主のところへ向かった。
アルヴァロはインク瓶の棚に不思議な生き物がいたことを説明し、ネレスが両手を差し出してそれを見せる。
店主は眉をひそめて眺めたあと、首を横に振った。
「心当たりはありませんねえ……客の忘れ物かもしれませんな。わたくしが預かっておきましょうか」
「……そうだな、頼む。持ち主が見つかったときは、それがどこの誰なのか教えていただきたい」
「分かりました、お任せください。お嬢様、ちょいと失礼しますよ」
店主が人型をつまみ上げようとすると、それはネレスの指にしっかりとしがみついた。
「エッ」
「おや。これ、離さんか」
「~~!」
ぐいぐいと引っ張られても、まったく離れようとしない。なぜかネレスは懐かれてしまったようだ。
しばらく奮闘したあと、店主は困ったようにアルヴァロを見上げた。
「どうしましょうかねえ……」
「……すまない。やはり持ち帰ることにする」
「そうですか、分かりました」
強く引っ張られすぎて破裂しないかヒヤヒヤしていたので、ネレスは内心ほっとした。
(命拾いしたな、お前)
商品を包んでもらっているあいだ、両手で包んだ人型を親指でぷにぷにとつつく。
文房具店を出たネレスは、アルヴァロに「ありがとう、買ってくれて」と礼を言った。
「構わない、私が買いたかったんだ。むしろまったく買い足りないが、本当にこれだけでいいのか?」
「う、うん……特には……」
「ネレスは欲がないな」
「や……そうでもないよ」
(ここが日本だったら、百万のPC買ってとか言ったかもしれんし)
この世界で欲しいと思うものが、まだないだけだ。もしかするといずれ自動湯沸かしポットが欲しいなどと言い出す未来があるかもしれない。
手の中で人型がモゾモゾと動き、ネレスは「ウワッ」と小さく悲鳴をあげた。
「その妙なものは持ち帰って占星部に見せよう。近々神殿を調べた結果の報告に来るはずだ」
「占星部、なんでもできるね」
「というより、そこしか頼れる場所がない……という状態だな。また仕事を押しつけてと怒られるかもしれない」
「大丈夫なん、それ」
アルヴァロはしばらく考えたあと「おそらく」と答えた。その答えは多分、大丈夫ではない。
突然、街中に重くゆったりとした鐘の音が響いた。びくりと肩を跳ねさせる。まさか魔獣だろうか?
西部で聞いた鐘は危険なことが起きている時の合図だった。辺りを不安げに見回すとアルヴァロが「大丈夫だ」と穏やかに告げる。
「昼時の鐘だ。魔獣が出た訳じゃない」
「ああ、なるほど……良かった」
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