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祝祭編
35.学習
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屋敷のとある一室には、賑やかな音が溢れていた。
少年少女のざわめき、紙をめくる音。ペンを走らせる音に小さなくしゃみ。
その中で老婦人の声が穏やかに響く。
「ええ、ええ、その調子。最初の糸で操られているような動きより、上達していますよ。さあ、ターンしてもう一度」
「ハイ……」
ネレスは弱々しく返事をしてドレスを翻した。ぎくしゃくとした動きで、部屋の端まで歩いていく。
その様子を眺めていた子供たちから「お嬢様、がんばれー」とぱらぱら声援が上がった。
西部から帰還したネレスは現在、メイド長であるフィオリーナのもとで礼儀作法を学んでいた。
勉強したいと言ったことをシムフィが覚えており、アルヴァロに相談してくれたのだ。
フィオリーナは数日に一度、礼儀作法や一般常識を住み込みで働いている若い子供たちに教えているらしい。
他の使用人と混ざることになるがいいか、とアルヴァロに問われ、ネレスは一瞬ためらったものの頷いた。
むしろ使用人たちの邪魔にならないか心配だったが、そこは問題ないらしい。
『本来なら家庭教師を呼ぶべきなのだろうが、今から裏切らない人材を探すとなると時間がかかりそうでな。フィオリーナはとても優秀な女性だ。おそらく彼女だけで、貴方の知りたいことは大体分かると思う』
そうやってアルヴァロに紹介されたフィオリーナは、優しそうな老婦人だった。
白髪をまとめあげた姿は若々しく、年齢を感じさせない。背筋をピンと伸ばし、洗練された動きで一礼した彼女は、挨拶を済ませたあと笑顔で告げた。
『お嬢様はまず、女性としての所作から練習しましょう』
――と。そして今に至る。
「また肩が丸まっていますよ。足先はまっすぐ前に、ドレスで見えにくいからといって油断していませんか? 爪先からそっと地面に足をつけるように、胸を張って、遠くを見て」
「ウウッ……あっ、ワ……」
「吊るされたアウィの真似はおやめになって。唇を閉じて、両端はキュッと上げてくださいまし」
「お嬢様っ、頑張って! 私も一緒にやります!」
次から次へ飛んでくる指摘に、頭がおかしくなりそうだ。隣でニコニコと歩いてくれるキアーラが唯一の癒しだった。
ネレスの外見は幼い少女だが、中身は猫背の染みついた成人男性だ。女性らしい振る舞いをすぐに覚えることは難しい。
しかし、これを乗り越えなければ座学にたどり着けないのである。
『お嬢様には一通りの所作を覚えていただきたいのです。人はまず、見た目で相手を判断しますから。知性を身につけるのはその後で充分』
確かにそうかもしれない、と思った。
この世界の文字や通貨の数え方、常識を知りたかったものの、いつまた遠出をするか分からない状況だ。
そんなとき猫背でどもる少女より、おしとやかに微笑む少女のほうがどう考えても心象は良いだろう。
だから分かったと頷いたのだが、ここまでキツいとは思わなかった。
「キアーラはいつも動きが大振りね。足元によく注意を払って。お嬢様を見ることは大事だけど、自分が転んでいては世話役の意味がないわ」
「ハイ!」
「お嬢様は腰を反りすぎです、体を痛めてしまいますよ。でも胸はしゃんと張ってくださいまし」
「はいぃ……」
しばらく歩き続け、座り方の指導などもされたあと、やっと「今日はここまでにしましょう」という言葉が聞けた。
ぜーはーと息を吐きながら椅子に座り込む。
机に向かっていた子供たちが「書けたよ!」とフィオリーナのもとに向かっていく。彼らと同じレベルに立つのに、どれだけ掛かるのだろうか。
ネレスは項垂れながら「き、筋肉が痛い……」と呟く。隣にぽすんとキアーラが座る。
「お疲れさまです、お嬢様。こないだよりずっと良くなってましたよ!」
「そ、そうかな……」
「はい! 鏡の前で背筋を伸ばす練習をした甲斐がありましたね!」
コブシを作りながら笑うキアーラが眩しい。
力なく笑っていると、本を胸に抱きしめた少女が近づいてきた。
「えへへ……この調子でいけば、きっとすぐに座学に入れますよぅ」
消え入りそうなほど小さな声で、はにかんだのはレウージュだ。
三つ子メイドのひとりで、シムフィやコンラリアとまったく同じ容姿をしている。胸元にある白いリボンだけが、彼女であると判別するための材料だった。
三つ子は空いている時間が違うらしく、バラバラで会うことが多い。
レウージュとはフィオリーナの授業を受けているときに初めて出会った。ほかのふたりと違ってかなり控えめな性格で、驚かされたことは記憶に新しい。
(でもシムフィは確か、レウージュのことをずる賢いって表現してたんよな……人は見かけによらないってことか……?)
思わずまじまじと見つめれば、彼女は不思議そうに首を傾げた。そんなレウージュの袖を、ネレスと同い年くらいの少女が引っ張る。
「勉強終わったよ! お茶会しよう!」
どうやら授業が終わったらしい。
子供たちがレウージュやキアーラ、そしてネレスの周りにわらわらと集まってきた。
「キアーラお菓子はー?」
「お嬢様もあそぼー!」
「お嬢様はオレと剣術の特訓するんだろ!」
「いやっ、私とお茶会するの!」
使用人の中には、ネレスより年下の子までいる。事情のある子供たちをアルヴァロが引き取っているらしい。
そんな彼らに、なぜかネレスは懐かれていた。
「あー……もうすぐお菓子の時間だし、先にお茶会しよう。剣術の特訓はそのあと。ほら、食後の運動って言うし」
「ショクゴのウンドウ?」
「そう。なんか、食べたあとに体を動かすと健康にいいみたいな……」
「へー!」
響きが楽しいのか、剣術がしたいと言った少年は何度も「食後の運動!」と言葉を繰り返した。
苦笑したキアーラが、レウージュにお菓子を持ってくるよう頼んでいる。
次々と話しかけてくる子供たちに、ネレスはつっかえながらも相槌を打った。同世代や年上より、年下のほうがまだ接しやすい。
萎縮する必要がないからであるが、それはそれで大人としてどうなんだと考えると悲しくなってくるのでやめたい。
子供たちとおやつの時間を過ごしたあと、約束通りネレスは外に出て、少年たちの剣術の特訓に付き合っていた。
言葉は物々しいが、要するに小学生が傘でチャンバラをするようなものである。
キアーラは難色を示していたが、ネレスが大丈夫だと言うと渋々許可してくれた。
せっかく遊びたいと言ってくれているのだ。出来るかぎりは付き合ってあげたい。
目を輝かせた少年が構えるのを見て、小学生時代を懐かしみながらネレスも棒切れを握った。
「さ、さあこーい!」
「おりゃああ!!」
(めちゃくちゃ元気! あと遠慮ない!)
毎回全力で飛びかかってくる少年に必死で防御する。棒を振り回すのは楽しいが、育ち盛りの勢いにはついていけない。
しばらく打ち合っていたとき、ネレスの防御がワンテンポ遅れた。
「あっ、やば――」
少年の振り下ろした棒がぶつかりかけた瞬間、カンッと小気味のいい音がして棒が弾かれた。
片手を突き出したキアーラが「勝負あり!」と声を上げる。そして頬を膨らませながら腰に手を当てた。
「もう、寸止めできるような力加減でって言ってるでしょ!」
「ごめんなさい……」
肩を落とした少年にネレスは大丈夫、と首を横に振る。
「次は気をつければいいから。また今度、やろう」
「……うん! またやろ、お嬢様。さっきはごめんな!」
少年は大きく手を振って、屋敷に戻っていった。その後ろ姿を見ながらキアーラは唇を尖らせる。
「お嬢様は優しすぎますよ。嫌なら断っちゃっていいんですからね?」
「キアーラのおかげ……というか、ワ、私のほうこそ謝らなきゃいけないと言いますか……」
「ええっ、なんでですか!?」
目を見開いた彼女に苦笑しながら、持っていた棒切れを地面に置く。
「キアーラが止めてくれることを前提に、やってるので……。最初剣術の特訓したとき、さっきみたいに魔法で止めてくれた、でしょ? 止めてくれるなら大丈夫かって思って、続けてるから……ごめん」
最初は魔法が速すぎて、何が起きたのか分からなかった。
キアーラが言うには岩魔法の塊を寸分たがわず、正確に棒へ当てて弾いているらしい。
彼女のとんでもない技術に、これならボコボコにされることはないだろうとあぐらをかいてチャンバラに付き合っているのだ。
「なんだ、そういうことだったんですね。それなら全然大丈夫です、お任せください! すぐ弾いてみせますからお気になさらず!」
「あ、ありがとう……本当にすごいね……」
キアーラはぺかっと笑いながら力こぶを作った。
頼もしいと同時に、ネレスは彼女がどうしてこんな謎技術を持っているのか不思議でならなかった。
少年少女のざわめき、紙をめくる音。ペンを走らせる音に小さなくしゃみ。
その中で老婦人の声が穏やかに響く。
「ええ、ええ、その調子。最初の糸で操られているような動きより、上達していますよ。さあ、ターンしてもう一度」
「ハイ……」
ネレスは弱々しく返事をしてドレスを翻した。ぎくしゃくとした動きで、部屋の端まで歩いていく。
その様子を眺めていた子供たちから「お嬢様、がんばれー」とぱらぱら声援が上がった。
西部から帰還したネレスは現在、メイド長であるフィオリーナのもとで礼儀作法を学んでいた。
勉強したいと言ったことをシムフィが覚えており、アルヴァロに相談してくれたのだ。
フィオリーナは数日に一度、礼儀作法や一般常識を住み込みで働いている若い子供たちに教えているらしい。
他の使用人と混ざることになるがいいか、とアルヴァロに問われ、ネレスは一瞬ためらったものの頷いた。
むしろ使用人たちの邪魔にならないか心配だったが、そこは問題ないらしい。
『本来なら家庭教師を呼ぶべきなのだろうが、今から裏切らない人材を探すとなると時間がかかりそうでな。フィオリーナはとても優秀な女性だ。おそらく彼女だけで、貴方の知りたいことは大体分かると思う』
そうやってアルヴァロに紹介されたフィオリーナは、優しそうな老婦人だった。
白髪をまとめあげた姿は若々しく、年齢を感じさせない。背筋をピンと伸ばし、洗練された動きで一礼した彼女は、挨拶を済ませたあと笑顔で告げた。
『お嬢様はまず、女性としての所作から練習しましょう』
――と。そして今に至る。
「また肩が丸まっていますよ。足先はまっすぐ前に、ドレスで見えにくいからといって油断していませんか? 爪先からそっと地面に足をつけるように、胸を張って、遠くを見て」
「ウウッ……あっ、ワ……」
「吊るされたアウィの真似はおやめになって。唇を閉じて、両端はキュッと上げてくださいまし」
「お嬢様っ、頑張って! 私も一緒にやります!」
次から次へ飛んでくる指摘に、頭がおかしくなりそうだ。隣でニコニコと歩いてくれるキアーラが唯一の癒しだった。
ネレスの外見は幼い少女だが、中身は猫背の染みついた成人男性だ。女性らしい振る舞いをすぐに覚えることは難しい。
しかし、これを乗り越えなければ座学にたどり着けないのである。
『お嬢様には一通りの所作を覚えていただきたいのです。人はまず、見た目で相手を判断しますから。知性を身につけるのはその後で充分』
確かにそうかもしれない、と思った。
この世界の文字や通貨の数え方、常識を知りたかったものの、いつまた遠出をするか分からない状況だ。
そんなとき猫背でどもる少女より、おしとやかに微笑む少女のほうがどう考えても心象は良いだろう。
だから分かったと頷いたのだが、ここまでキツいとは思わなかった。
「キアーラはいつも動きが大振りね。足元によく注意を払って。お嬢様を見ることは大事だけど、自分が転んでいては世話役の意味がないわ」
「ハイ!」
「お嬢様は腰を反りすぎです、体を痛めてしまいますよ。でも胸はしゃんと張ってくださいまし」
「はいぃ……」
しばらく歩き続け、座り方の指導などもされたあと、やっと「今日はここまでにしましょう」という言葉が聞けた。
ぜーはーと息を吐きながら椅子に座り込む。
机に向かっていた子供たちが「書けたよ!」とフィオリーナのもとに向かっていく。彼らと同じレベルに立つのに、どれだけ掛かるのだろうか。
ネレスは項垂れながら「き、筋肉が痛い……」と呟く。隣にぽすんとキアーラが座る。
「お疲れさまです、お嬢様。こないだよりずっと良くなってましたよ!」
「そ、そうかな……」
「はい! 鏡の前で背筋を伸ばす練習をした甲斐がありましたね!」
コブシを作りながら笑うキアーラが眩しい。
力なく笑っていると、本を胸に抱きしめた少女が近づいてきた。
「えへへ……この調子でいけば、きっとすぐに座学に入れますよぅ」
消え入りそうなほど小さな声で、はにかんだのはレウージュだ。
三つ子メイドのひとりで、シムフィやコンラリアとまったく同じ容姿をしている。胸元にある白いリボンだけが、彼女であると判別するための材料だった。
三つ子は空いている時間が違うらしく、バラバラで会うことが多い。
レウージュとはフィオリーナの授業を受けているときに初めて出会った。ほかのふたりと違ってかなり控えめな性格で、驚かされたことは記憶に新しい。
(でもシムフィは確か、レウージュのことをずる賢いって表現してたんよな……人は見かけによらないってことか……?)
思わずまじまじと見つめれば、彼女は不思議そうに首を傾げた。そんなレウージュの袖を、ネレスと同い年くらいの少女が引っ張る。
「勉強終わったよ! お茶会しよう!」
どうやら授業が終わったらしい。
子供たちがレウージュやキアーラ、そしてネレスの周りにわらわらと集まってきた。
「キアーラお菓子はー?」
「お嬢様もあそぼー!」
「お嬢様はオレと剣術の特訓するんだろ!」
「いやっ、私とお茶会するの!」
使用人の中には、ネレスより年下の子までいる。事情のある子供たちをアルヴァロが引き取っているらしい。
そんな彼らに、なぜかネレスは懐かれていた。
「あー……もうすぐお菓子の時間だし、先にお茶会しよう。剣術の特訓はそのあと。ほら、食後の運動って言うし」
「ショクゴのウンドウ?」
「そう。なんか、食べたあとに体を動かすと健康にいいみたいな……」
「へー!」
響きが楽しいのか、剣術がしたいと言った少年は何度も「食後の運動!」と言葉を繰り返した。
苦笑したキアーラが、レウージュにお菓子を持ってくるよう頼んでいる。
次々と話しかけてくる子供たちに、ネレスはつっかえながらも相槌を打った。同世代や年上より、年下のほうがまだ接しやすい。
萎縮する必要がないからであるが、それはそれで大人としてどうなんだと考えると悲しくなってくるのでやめたい。
子供たちとおやつの時間を過ごしたあと、約束通りネレスは外に出て、少年たちの剣術の特訓に付き合っていた。
言葉は物々しいが、要するに小学生が傘でチャンバラをするようなものである。
キアーラは難色を示していたが、ネレスが大丈夫だと言うと渋々許可してくれた。
せっかく遊びたいと言ってくれているのだ。出来るかぎりは付き合ってあげたい。
目を輝かせた少年が構えるのを見て、小学生時代を懐かしみながらネレスも棒切れを握った。
「さ、さあこーい!」
「おりゃああ!!」
(めちゃくちゃ元気! あと遠慮ない!)
毎回全力で飛びかかってくる少年に必死で防御する。棒を振り回すのは楽しいが、育ち盛りの勢いにはついていけない。
しばらく打ち合っていたとき、ネレスの防御がワンテンポ遅れた。
「あっ、やば――」
少年の振り下ろした棒がぶつかりかけた瞬間、カンッと小気味のいい音がして棒が弾かれた。
片手を突き出したキアーラが「勝負あり!」と声を上げる。そして頬を膨らませながら腰に手を当てた。
「もう、寸止めできるような力加減でって言ってるでしょ!」
「ごめんなさい……」
肩を落とした少年にネレスは大丈夫、と首を横に振る。
「次は気をつければいいから。また今度、やろう」
「……うん! またやろ、お嬢様。さっきはごめんな!」
少年は大きく手を振って、屋敷に戻っていった。その後ろ姿を見ながらキアーラは唇を尖らせる。
「お嬢様は優しすぎますよ。嫌なら断っちゃっていいんですからね?」
「キアーラのおかげ……というか、ワ、私のほうこそ謝らなきゃいけないと言いますか……」
「ええっ、なんでですか!?」
目を見開いた彼女に苦笑しながら、持っていた棒切れを地面に置く。
「キアーラが止めてくれることを前提に、やってるので……。最初剣術の特訓したとき、さっきみたいに魔法で止めてくれた、でしょ? 止めてくれるなら大丈夫かって思って、続けてるから……ごめん」
最初は魔法が速すぎて、何が起きたのか分からなかった。
キアーラが言うには岩魔法の塊を寸分たがわず、正確に棒へ当てて弾いているらしい。
彼女のとんでもない技術に、これならボコボコにされることはないだろうとあぐらをかいてチャンバラに付き合っているのだ。
「なんだ、そういうことだったんですね。それなら全然大丈夫です、お任せください! すぐ弾いてみせますからお気になさらず!」
「あ、ありがとう……本当にすごいね……」
キアーラはぺかっと笑いながら力こぶを作った。
頼もしいと同時に、ネレスは彼女がどうしてこんな謎技術を持っているのか不思議でならなかった。
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