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西部遠征編
31.神殿
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立ち止まっていた花屋の女性が、複雑な紋様のステッキで地面を叩く。
途端、騎士たちが作っていたバリケードが弾けるように粒子となって消えた。さらには魔獣の被害でボロボロになっていた建物が、逆再生のような動きでゆっくり修復されていく。
魔法のような(魔法である)光景にネレスは目を丸くした。ベニートがすこし眉を上げて女性に尋ねる。
「普段と違うステッキだと思ったら……そんなものを持ち出していたんですか?」
「あら、いま気づいたの? 災害時の建て直しは許可されているもの、使わなきゃもったいないわ」
女性は片目を閉じながらステッキを振って見せる。
ベニートが以前披露した魔法は、星図を映し出すものだったはずだ。彼女が使ったのは……修復する魔法、だろうか?
首を傾げているネレスに、アルヴァロが「あれは時空魔法だ」と教えてくれた。
「じ、時空?」
「ああ。本来ならば禁じられている魔法だが、限られた者だけ使うことを許されている。ドロテア嬢もそのひとりなのだろう」
「ええ、その通り。とっても厳しい試験に合格したから……ああ、自己紹介がまだだったわね」
女性がネレスのほうを向き、スカートをつまんで膝を曲げる礼をした。そうして悪戯っぽく笑う。
「花屋のバイト改め――占星術師のドロテア・スタンタニアよ。よろしくね」
視線を泳がせたネレスは、ずっと不思議に思っていたことをやっと口にした。
「お、お姉さん……な、なぜ、花屋に……?」
「魔獣被害の状況を記録しに来ていたの。花屋で仕事をしていたのは、そこにいれば貴方に会えると知っていたから。助言をしたほうがいいと星が告げていたのよ」
「……助言?」
「ええ。黄金の魚の先に、突破口があったはず。見つけられたかしら?」
ドロテアが目を細める。
彼女と会ったとき、確かに黄金の魚の話をされた。
探しに行った先で魚は見つけられなかったが、ジーナに会うことはできて――結果的に闇魔法が使えるようになったのだ。助言ということは、つまり。
「魚の話は、ジーナと会わせるための嘘だった、ってこと……?」
「嘘じゃないわ。星の導きは輝く光だもの、流れる黄金に例えてもおかしくないのよ」
「は、はあ……」
「いつまでそこに立ってるんだ! はーやーくー!」
よく分からない発言に戸惑っていると、海の近くまで行っていたチーロが大きな声をあげた。「行きましょう」とドロテアが歌うように言って、王子のもとへ歩いていく。
お礼を言うべきだっただろうか。ネレスもついて行こうとして我に返り、アルヴァロを見上げる。
「しょ……あの、お父様、下ろして……」
「そうだった。……私はずっと抱えていても構わないが」
「めちゃくちゃ歩きたいかも、私は!」
激しく首を振ると残念そうに降ろされた。
久々の地上にふらつくと、すかさず手を握られる。「どうも……」とモゴモゴ礼を言うネレスを、ベニートは微笑ましげに眺めた。
「仲がいいですね。とても良いことです」
「婚約者だからな」
「こ…………」
アルヴァロの言葉にベニートが笑顔のまま固まった。
(やっぱおかしいよな!? 普通にしてた執事のほうが変だよな!?)
この世界の結婚可能年齢は分からないが、どれだけ低くてもネレスほどの歳で婚約はさすがにない気がする。それに養子として紹介されたばかりだ。
固まったまま動かないベニートを心配して声を掛けようとしたが、アルヴァロの手に引っ張られる。
「さあネレス、私たちも行こう」
「あの、ベニート……卿、固まってるけど……」
「大丈夫だ。どうせすぐに追いかけてくる」
(扱いが……雑……!)
仲が良い証かもしれないが、それにしても雑である。
置いていかれるベニートを「ええ……?」と何度も振り返りながら、ネレスはチーロのもとへ連行された。
+++
広大な海が、神殿を中心に収束していく。潮騒の音とともに地面が元の姿を見せ始める。
わずか数十秒でたたえられた海は消え、残ったのは平野にぽつんと建つ、重々しい雰囲気の神殿だけだった。
ネレスは何度か自分の手を握った。なんとなくだが、体内に魔力が満ちているような気がする。
これが吸収した魔獣――神獣セクトの力だろうか。そう考えるとしんみりとした気持ちになってくる。
「おお……おおお……!」
感動したようにチーロは目を輝かせた。彼が勢いよく振り向き、視線が合ったネレスはびくりと肩を跳ねさせる。
「すごいな、神子どのは! こんなに広範囲の魔法は魔族でも難しいぞ。やっぱり神殿を作るところも見たかったなあ、いったいどうやって作ったんだ? 土魔法を使ったのか?」
「エ!? う、海の中から、触手が……出てきて……」
「触手!? オプスマレスの助けを借りたということか。ちょっと待て、見たい、もう一度出せないか?」
「ワンモア!? え、えっと……」
ジリジリと詰め寄るチーロに、後ずさるネレス。
アルヴァロが「殿下、それより神殿を見たほうがよく分かるのでは?」と助け舟を出した。
「神殿よりオプスマレス本体を見るほうが有益に決まっているだろう。僕はそんな言葉で騙されないぞ」
「レディに詰め寄るものじゃないっていつも言ってるでしょう? ラウロ殿下が聞いたらどう思うんでしょうね……」
腕を組んだドロテアにそう言われた瞬間、チーロは目に見えて焦り始めた。
「なっ、それは卑怯だろ! 分かった、分かった。神殿を見に行こう。すまない神子どの、今のはなかったことにしてくれ。そしてラウロ兄上に会ったら僕はとても紳士だったと伝えておいてほしい!」
「は……はい……?」
よく分からないが、触手チャレンジは回避できたらしい。アルヴァロとドロテアに感謝しながらぎこちなく頷いた。
すこし頬を染めたチーロが、ネレスたちの後ろを見てわざと怒ったように「遅いぞ!」と頬を膨らませる。どうやら我に返ったベニートが追いついてきたようだ。
「すみません、あまりにも驚いたもので……」
(こちらこそ驚かせてすみません……)
内心謝っていると、隣に立ったベニートが神殿を見上げた。つられてネレスも視線を合わせる。
改めて見ると、自分の魔法から出てきたとは思えないほど巨大で精緻な建物だ。
(というか、神殿見るとか人生初や)
ネレスはすこしだけ胸を踊らせながら、アルヴァロと繋いでいる手の力を強くした。
ついに神殿へ足を踏み入れる。
入口は広く、光が入るはずなのに中は真っ暗だ。しかし内部に入った途端、両脇にポッと青い燐光が浮かび上がった。そのおかげで全体を見渡せる。
柱や地面に灯った光たちが行きつく先――正面奥に、巨大な像が建っていた。
入り口から見て左を向いた、髪と髭の長い老人の像だ。二叉の槍を掲げている。老人を囲むように数人の娘の像もあり、彼女たちは楽しげに微笑んでいた。
「これは……まさか、オプスマレスか?」
アルヴァロが呟く。
「え? でもオプスマレスって、触手のある怪物やなかった、っけ……」
「そう伝えられているが……オプスマレスの神子から生まれた神殿の中に、全く関係のない老人の像が建つのはおかしくないか?」
「そ、それはそう」
正論すぎて何も言えなかった。素直に考えれば、この老人がオプスマレス……ということになるのだろうか。周りにいる娘も気になるが、一番不思議なのは伝承と違う姿であるということだ。
大きな像を置いているくらいである。こちらが自分の姿だと主張したいのかもしれない。
(なんか、実感湧かへんな……)
ぼんやりと威厳のある像を見上げる。
自分が神子だということも、ここが神殿であることも、魔法の使える世界であることも未だに夢のようだ。
小さく溜息を吐くと、アルヴァロがネレスに目を向けた。
「……確かめてみるか。ミフェリルの神子は、聖樹に手を当てて神託を得ると言われている。もしかすると像でも可能かもしれない」
「エ!? 神託って……神様と話すみたいな?」
「ああ。もしこの像が本当にオプスマレスのものなら聴こえるはずだ」
アルヴァロの提案にネレスは視線を泳がせた。
ただでさえ空を飛んで、魔法を使って、騎士に攻撃されたあげく陽キャに話しかけられたのだ。正直もう帰りたい。
「ウウ……」
「……大丈夫か? ただ言ってみただけだ、嫌ならしないほうがいい」
「や……ここまで来たなら、もうやったほうが……」
後でやっぱりやらないと駄目だった、なんてことになったら最悪だ。目の前にあるのだから試すだけ試してみようと、ネレスは若干腰が引けつつも小さな手をぴたりと像につけた。
途端、騎士たちが作っていたバリケードが弾けるように粒子となって消えた。さらには魔獣の被害でボロボロになっていた建物が、逆再生のような動きでゆっくり修復されていく。
魔法のような(魔法である)光景にネレスは目を丸くした。ベニートがすこし眉を上げて女性に尋ねる。
「普段と違うステッキだと思ったら……そんなものを持ち出していたんですか?」
「あら、いま気づいたの? 災害時の建て直しは許可されているもの、使わなきゃもったいないわ」
女性は片目を閉じながらステッキを振って見せる。
ベニートが以前披露した魔法は、星図を映し出すものだったはずだ。彼女が使ったのは……修復する魔法、だろうか?
首を傾げているネレスに、アルヴァロが「あれは時空魔法だ」と教えてくれた。
「じ、時空?」
「ああ。本来ならば禁じられている魔法だが、限られた者だけ使うことを許されている。ドロテア嬢もそのひとりなのだろう」
「ええ、その通り。とっても厳しい試験に合格したから……ああ、自己紹介がまだだったわね」
女性がネレスのほうを向き、スカートをつまんで膝を曲げる礼をした。そうして悪戯っぽく笑う。
「花屋のバイト改め――占星術師のドロテア・スタンタニアよ。よろしくね」
視線を泳がせたネレスは、ずっと不思議に思っていたことをやっと口にした。
「お、お姉さん……な、なぜ、花屋に……?」
「魔獣被害の状況を記録しに来ていたの。花屋で仕事をしていたのは、そこにいれば貴方に会えると知っていたから。助言をしたほうがいいと星が告げていたのよ」
「……助言?」
「ええ。黄金の魚の先に、突破口があったはず。見つけられたかしら?」
ドロテアが目を細める。
彼女と会ったとき、確かに黄金の魚の話をされた。
探しに行った先で魚は見つけられなかったが、ジーナに会うことはできて――結果的に闇魔法が使えるようになったのだ。助言ということは、つまり。
「魚の話は、ジーナと会わせるための嘘だった、ってこと……?」
「嘘じゃないわ。星の導きは輝く光だもの、流れる黄金に例えてもおかしくないのよ」
「は、はあ……」
「いつまでそこに立ってるんだ! はーやーくー!」
よく分からない発言に戸惑っていると、海の近くまで行っていたチーロが大きな声をあげた。「行きましょう」とドロテアが歌うように言って、王子のもとへ歩いていく。
お礼を言うべきだっただろうか。ネレスもついて行こうとして我に返り、アルヴァロを見上げる。
「しょ……あの、お父様、下ろして……」
「そうだった。……私はずっと抱えていても構わないが」
「めちゃくちゃ歩きたいかも、私は!」
激しく首を振ると残念そうに降ろされた。
久々の地上にふらつくと、すかさず手を握られる。「どうも……」とモゴモゴ礼を言うネレスを、ベニートは微笑ましげに眺めた。
「仲がいいですね。とても良いことです」
「婚約者だからな」
「こ…………」
アルヴァロの言葉にベニートが笑顔のまま固まった。
(やっぱおかしいよな!? 普通にしてた執事のほうが変だよな!?)
この世界の結婚可能年齢は分からないが、どれだけ低くてもネレスほどの歳で婚約はさすがにない気がする。それに養子として紹介されたばかりだ。
固まったまま動かないベニートを心配して声を掛けようとしたが、アルヴァロの手に引っ張られる。
「さあネレス、私たちも行こう」
「あの、ベニート……卿、固まってるけど……」
「大丈夫だ。どうせすぐに追いかけてくる」
(扱いが……雑……!)
仲が良い証かもしれないが、それにしても雑である。
置いていかれるベニートを「ええ……?」と何度も振り返りながら、ネレスはチーロのもとへ連行された。
+++
広大な海が、神殿を中心に収束していく。潮騒の音とともに地面が元の姿を見せ始める。
わずか数十秒でたたえられた海は消え、残ったのは平野にぽつんと建つ、重々しい雰囲気の神殿だけだった。
ネレスは何度か自分の手を握った。なんとなくだが、体内に魔力が満ちているような気がする。
これが吸収した魔獣――神獣セクトの力だろうか。そう考えるとしんみりとした気持ちになってくる。
「おお……おおお……!」
感動したようにチーロは目を輝かせた。彼が勢いよく振り向き、視線が合ったネレスはびくりと肩を跳ねさせる。
「すごいな、神子どのは! こんなに広範囲の魔法は魔族でも難しいぞ。やっぱり神殿を作るところも見たかったなあ、いったいどうやって作ったんだ? 土魔法を使ったのか?」
「エ!? う、海の中から、触手が……出てきて……」
「触手!? オプスマレスの助けを借りたということか。ちょっと待て、見たい、もう一度出せないか?」
「ワンモア!? え、えっと……」
ジリジリと詰め寄るチーロに、後ずさるネレス。
アルヴァロが「殿下、それより神殿を見たほうがよく分かるのでは?」と助け舟を出した。
「神殿よりオプスマレス本体を見るほうが有益に決まっているだろう。僕はそんな言葉で騙されないぞ」
「レディに詰め寄るものじゃないっていつも言ってるでしょう? ラウロ殿下が聞いたらどう思うんでしょうね……」
腕を組んだドロテアにそう言われた瞬間、チーロは目に見えて焦り始めた。
「なっ、それは卑怯だろ! 分かった、分かった。神殿を見に行こう。すまない神子どの、今のはなかったことにしてくれ。そしてラウロ兄上に会ったら僕はとても紳士だったと伝えておいてほしい!」
「は……はい……?」
よく分からないが、触手チャレンジは回避できたらしい。アルヴァロとドロテアに感謝しながらぎこちなく頷いた。
すこし頬を染めたチーロが、ネレスたちの後ろを見てわざと怒ったように「遅いぞ!」と頬を膨らませる。どうやら我に返ったベニートが追いついてきたようだ。
「すみません、あまりにも驚いたもので……」
(こちらこそ驚かせてすみません……)
内心謝っていると、隣に立ったベニートが神殿を見上げた。つられてネレスも視線を合わせる。
改めて見ると、自分の魔法から出てきたとは思えないほど巨大で精緻な建物だ。
(というか、神殿見るとか人生初や)
ネレスはすこしだけ胸を踊らせながら、アルヴァロと繋いでいる手の力を強くした。
ついに神殿へ足を踏み入れる。
入口は広く、光が入るはずなのに中は真っ暗だ。しかし内部に入った途端、両脇にポッと青い燐光が浮かび上がった。そのおかげで全体を見渡せる。
柱や地面に灯った光たちが行きつく先――正面奥に、巨大な像が建っていた。
入り口から見て左を向いた、髪と髭の長い老人の像だ。二叉の槍を掲げている。老人を囲むように数人の娘の像もあり、彼女たちは楽しげに微笑んでいた。
「これは……まさか、オプスマレスか?」
アルヴァロが呟く。
「え? でもオプスマレスって、触手のある怪物やなかった、っけ……」
「そう伝えられているが……オプスマレスの神子から生まれた神殿の中に、全く関係のない老人の像が建つのはおかしくないか?」
「そ、それはそう」
正論すぎて何も言えなかった。素直に考えれば、この老人がオプスマレス……ということになるのだろうか。周りにいる娘も気になるが、一番不思議なのは伝承と違う姿であるということだ。
大きな像を置いているくらいである。こちらが自分の姿だと主張したいのかもしれない。
(なんか、実感湧かへんな……)
ぼんやりと威厳のある像を見上げる。
自分が神子だということも、ここが神殿であることも、魔法の使える世界であることも未だに夢のようだ。
小さく溜息を吐くと、アルヴァロがネレスに目を向けた。
「……確かめてみるか。ミフェリルの神子は、聖樹に手を当てて神託を得ると言われている。もしかすると像でも可能かもしれない」
「エ!? 神託って……神様と話すみたいな?」
「ああ。もしこの像が本当にオプスマレスのものなら聴こえるはずだ」
アルヴァロの提案にネレスは視線を泳がせた。
ただでさえ空を飛んで、魔法を使って、騎士に攻撃されたあげく陽キャに話しかけられたのだ。正直もう帰りたい。
「ウウ……」
「……大丈夫か? ただ言ってみただけだ、嫌ならしないほうがいい」
「や……ここまで来たなら、もうやったほうが……」
後でやっぱりやらないと駄目だった、なんてことになったら最悪だ。目の前にあるのだから試すだけ試してみようと、ネレスは若干腰が引けつつも小さな手をぴたりと像につけた。
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