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西部遠征編
12.判断
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声に反応したエドアルドはネレスに視線を向け、初めて存在に気づいたように戸惑った表情を浮かべる。
「こちらは……?」
「娘のネレスだ」
「むっ……ご、ご令嬢でしたか、大変失礼いたしました!」
膝をつこうとした騎士をアルヴァロは手で制した。心ここに在らず、といった様子の少女を隠すように前へ出る。
「すまない、まだあまり人慣れしていない子でね。それで言いかけていたことだが、私は魔獣の再発生を止めるために来た。聞きたいのだが、この街に闇魔法を使える人間はいるか?」
「闇魔法、ですか? 適正者リストには確かひとりだけ載っていたはずです」
「その者の居場所が知りたい」
不思議そうな顔をしつつもエドアルドは場所を口にした。そしてはっと気づいたように目を見開く。
「なるほど、その者が今回の首謀者という訳ですか!」
「貴様の頭には藁でも詰まっているのか?」
即座に返した、アルヴァロの冷やかな声が思いのほか響いた。周囲にいた騎士団の者たちが硬直する。
言われたことを咄嗟に理解できなかったエドアルドは「は……」と目を瞬かせた。しまった、とでもいうようにアルヴァロが視線を逸らす。
「……失礼。闇魔法の適正者が魔獣を呼び出すことが出来たなら、この街はとっくに滅びているだろう。今回の件とは全く関係ない。個人的に用があるだけだ。ノベルト、聞こえたな?」
「はい」
答えた御者に頷き、アルヴァロは身をかがめてネレスを抱き上げた。それでも少女はうっすらと唇を開けたまま呆然としている。
痛ましそうにその様子を見つめたあと、アルヴァロは「貴殿らはしっかり傷を癒し、休息をとってくれ」と言い置いて馬車のほうへ歩いていった。
明るい日差しと静かになった街の様子に、住民たちがそろそろと顔を出し始める。
広い通りからカエバルが飛び立っていく様子をエドアルドはわずかに険しい顔つきで見つめた。駆け寄ってきた騎士が「エドアルド騎士団長!」と呼びかける。
それに返事をせず、男は空を見上げたまま零した。
「やはり……バラエナ辺境伯は、変わられてしまったんだな」
+++
「――ス。ネレス」
「お嬢様」
冷え切った手が暖かい手に包まれ、ネレスははっと我に返った。知らない間に馬車の中にいる。
「アレッ……」
ぱちぱちと何度か瞬きをして、ようやく今の状況を理解した。考え事に夢中で周囲を認識できていなかったのだろう。
ネレスはいつの間にかアルヴァロの膝の上に横向きで乗せられ、膝をついたシムフィに手を握られていた。
「お嬢様、大丈夫? 気分が悪そう」
「う、うん、だいじょぶ……へへ……」
取り繕うようにぎこちなく笑って見せる。薬という単語を聞いてから全く大丈夫ではないけれど。
なぜ薬が存在しているのか、許されているのか、使われているのか、そんな事ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡っている。アルヴァロに聞けば教えてくれるだろうか。
(どうしよ……でもこのタイミングで聞いたら、なんか怪しまれたりせんかな……)
また眉をひそめて考え始める。彼女の様子をアルヴァロはしばらく黙ったまま眺め、それから口を開いた。
「……負傷者を見てしまったんだ。気分が悪くもなるだろう。普段なら癒術師が怪我を治すが、負傷者が多すぎて手が足りていなかったようだ」
「……癒術師……」
「そうだ。癒術師のことは知っているか?」
嫌というほど知っている。しかし、知らないと言えば薬のことも聞けるかもしれない。そう思ったネレスは首を横に振った。
「ネミラス王国に限らず、ほとんどの国では癒術師と呼ばれる者たちだけが病気や怪我を治すことができるとされているんだ」
「そう……なの?」
「ああ。それ以外の方法で治療を試みることは許されていない。しかし、なぜか20年ほど前から教会が薬と呼ばれるものを売り始めた」
(20年前……)
頭が痛い。これ以上、聞きたくない。けれど聞かなければいけないような気もする。
「現在売られているのは飲み薬と塗り薬の2種類だな。飲み薬のほうは痛み止めで、塗り薬は軽い傷なら1日で治せるようなものだ。おかげで助かる人間は増えたが、利益のために薬を独占して売っているのだと陰口を叩く者も少なくない」
「……そ、なんだ……」
癒術師以外の治療を禁止しておいて、教会だけ薬を売っているのだからそう言われても仕方ないだろう。ネレスはそっと息を吸って、ゆっくりと吐いた。心臓が嫌に跳ねている。
おそらく、その薬は前世のオンディーラが考案したものだ。
確証はない。しかし、売り出された時期や効能から考えて限りなく黒に近い。どこかで薬を手に入れることができたら配合を確認できるのだけれど……でもそれで、本当にオンディーラの作ったものだったら?
耐えられないかもしれない。
オンディーラを殺したくせに、オンディーラが必死で作ったものは教会の手柄にして売り捌いているのだとしたら、そんなもの――。
(被害妄想が激しすぎる、んな訳ないかもしれんやろ)
ぎゅっと目をつむった。違う、違うと脳内で繰り返す。田舎の小娘が自己流で作ったようなものが商品になる訳がないだろう。きっとそうだ。
アルヴァロが「本当に顔色が悪いな。大丈夫か?」と言って彼女を覗き込んだ。汗で濡れた額をぬぐい、優しく背中を撫でられる。
「だ……だいじょぶ……」
彼にもたれ掛かるような形で体を預ける。背中を撫でられているうちに、だんだんと動悸が治まってきた。
落ち着いてきたネレスは嫌なことは考えないようにしようと頭を緩く振る。
「元気になってきた、かも……ありがと……」
「ああ、良かった。もし辛いようであればいつでも言ってくれ」
「うん……今は……どこに向かってるの?」
「この街にいる、闇魔法を使える人間のところだ」
闇魔法、と首を傾げた。そういえばアルヴァロと騎士が何か話していたような気がする。
「何でそこに……?」
「魔法はイメージで使うと以前話したな。しかし光と闇魔法の場合は微妙にコツが違うんだ。光魔法しか使えない私では教えられない。君が闇魔法を使えるようになるために、その人間に教えてもらおうと思ってな」
「へえ…………私が!?」
驚いて大きな声が出た。もう全てアルヴァロに任せる気でいたため、まさか今更ネレスが何かをする必要があるとは思っていなかったのだ。
「な、なんで今?」
「手伝ってほしいと言っただろう? 最初は私たちだけで楽しく試行錯誤するつもりだったのだが、予想より魔獣の被害が大きかったため時間がない。だから知っている者に早く教わったほうがいいと判断したんだ」
(そんな、課外授業で楽しく実験してみようみたいなノリやったんか、今まで……)
スケールの違いに目眩がしてきた。ついでに知らない人間と顔を合わせ、魔法を教わらなければいけないという試練に胃も痛くなってきた。帰りたい。
帰りたい――けれど。ネレスが闇魔法を覚えることによって何かしら役に立てるのなら、頑張ってみたいとも思う。
傷ついた騎士たちの姿を思い出す。おびただしい血が流れていた。体が欠けている者もいた。瓦礫の下に埋まってしまった者もいるだろう。
突然降りかかる死は残酷だ。昨日まで話していた人と、二度と話すことも、顔を合わせることもできなくなる。死ぬことだって恐ろしいけれど、遺される側になるのも恐ろしい。
ネレスはそれをよく知っていた。ずっとずっと昔から知っていたからこそ、誰かが傷つくことに耐えられなかった。
『――星を見に行こう!』
懐かしい言葉を思い出して、ネレスはそっと目を閉じた。「……頑張って、みる」と静かに呟く。
(それで、悲しい人が減るんやったら……やったほうが、気持ちが楽になる)
その言葉を聞いたアルヴァロは「ありがとう」と柔らかく微笑んだ。
「こちらは……?」
「娘のネレスだ」
「むっ……ご、ご令嬢でしたか、大変失礼いたしました!」
膝をつこうとした騎士をアルヴァロは手で制した。心ここに在らず、といった様子の少女を隠すように前へ出る。
「すまない、まだあまり人慣れしていない子でね。それで言いかけていたことだが、私は魔獣の再発生を止めるために来た。聞きたいのだが、この街に闇魔法を使える人間はいるか?」
「闇魔法、ですか? 適正者リストには確かひとりだけ載っていたはずです」
「その者の居場所が知りたい」
不思議そうな顔をしつつもエドアルドは場所を口にした。そしてはっと気づいたように目を見開く。
「なるほど、その者が今回の首謀者という訳ですか!」
「貴様の頭には藁でも詰まっているのか?」
即座に返した、アルヴァロの冷やかな声が思いのほか響いた。周囲にいた騎士団の者たちが硬直する。
言われたことを咄嗟に理解できなかったエドアルドは「は……」と目を瞬かせた。しまった、とでもいうようにアルヴァロが視線を逸らす。
「……失礼。闇魔法の適正者が魔獣を呼び出すことが出来たなら、この街はとっくに滅びているだろう。今回の件とは全く関係ない。個人的に用があるだけだ。ノベルト、聞こえたな?」
「はい」
答えた御者に頷き、アルヴァロは身をかがめてネレスを抱き上げた。それでも少女はうっすらと唇を開けたまま呆然としている。
痛ましそうにその様子を見つめたあと、アルヴァロは「貴殿らはしっかり傷を癒し、休息をとってくれ」と言い置いて馬車のほうへ歩いていった。
明るい日差しと静かになった街の様子に、住民たちがそろそろと顔を出し始める。
広い通りからカエバルが飛び立っていく様子をエドアルドはわずかに険しい顔つきで見つめた。駆け寄ってきた騎士が「エドアルド騎士団長!」と呼びかける。
それに返事をせず、男は空を見上げたまま零した。
「やはり……バラエナ辺境伯は、変わられてしまったんだな」
+++
「――ス。ネレス」
「お嬢様」
冷え切った手が暖かい手に包まれ、ネレスははっと我に返った。知らない間に馬車の中にいる。
「アレッ……」
ぱちぱちと何度か瞬きをして、ようやく今の状況を理解した。考え事に夢中で周囲を認識できていなかったのだろう。
ネレスはいつの間にかアルヴァロの膝の上に横向きで乗せられ、膝をついたシムフィに手を握られていた。
「お嬢様、大丈夫? 気分が悪そう」
「う、うん、だいじょぶ……へへ……」
取り繕うようにぎこちなく笑って見せる。薬という単語を聞いてから全く大丈夫ではないけれど。
なぜ薬が存在しているのか、許されているのか、使われているのか、そんな事ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡っている。アルヴァロに聞けば教えてくれるだろうか。
(どうしよ……でもこのタイミングで聞いたら、なんか怪しまれたりせんかな……)
また眉をひそめて考え始める。彼女の様子をアルヴァロはしばらく黙ったまま眺め、それから口を開いた。
「……負傷者を見てしまったんだ。気分が悪くもなるだろう。普段なら癒術師が怪我を治すが、負傷者が多すぎて手が足りていなかったようだ」
「……癒術師……」
「そうだ。癒術師のことは知っているか?」
嫌というほど知っている。しかし、知らないと言えば薬のことも聞けるかもしれない。そう思ったネレスは首を横に振った。
「ネミラス王国に限らず、ほとんどの国では癒術師と呼ばれる者たちだけが病気や怪我を治すことができるとされているんだ」
「そう……なの?」
「ああ。それ以外の方法で治療を試みることは許されていない。しかし、なぜか20年ほど前から教会が薬と呼ばれるものを売り始めた」
(20年前……)
頭が痛い。これ以上、聞きたくない。けれど聞かなければいけないような気もする。
「現在売られているのは飲み薬と塗り薬の2種類だな。飲み薬のほうは痛み止めで、塗り薬は軽い傷なら1日で治せるようなものだ。おかげで助かる人間は増えたが、利益のために薬を独占して売っているのだと陰口を叩く者も少なくない」
「……そ、なんだ……」
癒術師以外の治療を禁止しておいて、教会だけ薬を売っているのだからそう言われても仕方ないだろう。ネレスはそっと息を吸って、ゆっくりと吐いた。心臓が嫌に跳ねている。
おそらく、その薬は前世のオンディーラが考案したものだ。
確証はない。しかし、売り出された時期や効能から考えて限りなく黒に近い。どこかで薬を手に入れることができたら配合を確認できるのだけれど……でもそれで、本当にオンディーラの作ったものだったら?
耐えられないかもしれない。
オンディーラを殺したくせに、オンディーラが必死で作ったものは教会の手柄にして売り捌いているのだとしたら、そんなもの――。
(被害妄想が激しすぎる、んな訳ないかもしれんやろ)
ぎゅっと目をつむった。違う、違うと脳内で繰り返す。田舎の小娘が自己流で作ったようなものが商品になる訳がないだろう。きっとそうだ。
アルヴァロが「本当に顔色が悪いな。大丈夫か?」と言って彼女を覗き込んだ。汗で濡れた額をぬぐい、優しく背中を撫でられる。
「だ……だいじょぶ……」
彼にもたれ掛かるような形で体を預ける。背中を撫でられているうちに、だんだんと動悸が治まってきた。
落ち着いてきたネレスは嫌なことは考えないようにしようと頭を緩く振る。
「元気になってきた、かも……ありがと……」
「ああ、良かった。もし辛いようであればいつでも言ってくれ」
「うん……今は……どこに向かってるの?」
「この街にいる、闇魔法を使える人間のところだ」
闇魔法、と首を傾げた。そういえばアルヴァロと騎士が何か話していたような気がする。
「何でそこに……?」
「魔法はイメージで使うと以前話したな。しかし光と闇魔法の場合は微妙にコツが違うんだ。光魔法しか使えない私では教えられない。君が闇魔法を使えるようになるために、その人間に教えてもらおうと思ってな」
「へえ…………私が!?」
驚いて大きな声が出た。もう全てアルヴァロに任せる気でいたため、まさか今更ネレスが何かをする必要があるとは思っていなかったのだ。
「な、なんで今?」
「手伝ってほしいと言っただろう? 最初は私たちだけで楽しく試行錯誤するつもりだったのだが、予想より魔獣の被害が大きかったため時間がない。だから知っている者に早く教わったほうがいいと判断したんだ」
(そんな、課外授業で楽しく実験してみようみたいなノリやったんか、今まで……)
スケールの違いに目眩がしてきた。ついでに知らない人間と顔を合わせ、魔法を教わらなければいけないという試練に胃も痛くなってきた。帰りたい。
帰りたい――けれど。ネレスが闇魔法を覚えることによって何かしら役に立てるのなら、頑張ってみたいとも思う。
傷ついた騎士たちの姿を思い出す。おびただしい血が流れていた。体が欠けている者もいた。瓦礫の下に埋まってしまった者もいるだろう。
突然降りかかる死は残酷だ。昨日まで話していた人と、二度と話すことも、顔を合わせることもできなくなる。死ぬことだって恐ろしいけれど、遺される側になるのも恐ろしい。
ネレスはそれをよく知っていた。ずっとずっと昔から知っていたからこそ、誰かが傷つくことに耐えられなかった。
『――星を見に行こう!』
懐かしい言葉を思い出して、ネレスはそっと目を閉じた。「……頑張って、みる」と静かに呟く。
(それで、悲しい人が減るんやったら……やったほうが、気持ちが楽になる)
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