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2章.なりそこねた少女は水龍王に愛でられる
08.慈雨
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轟々と、全てを焼き尽くす勢いで上がる炎になぶられ、破壊された建物が次々と崩れ落ちる。
街は一面灰色で、焼け焦げた街路樹と瓦礫と化した街並みが積み上がる。行き場を失くした人々は黒く爛れた地面に為す術もなくうずくまり、横たわっている。
「どうしてこんな、…」
その地獄絵図のような凄惨な光景にレオンは言葉を失った。
「み、…水、…」
ほとんど動かず、息をしているのかいないのか分からないような人々の中から、一人の老婆がずりずりと這いずりながらココリーネにのしかかってきた。老婆は戸惑うココリーネの髪を、その枯れ枝のような腕からは想像もできない強い力で鷲づかみにすると、口に咥えて吸い出した。嚙み切らんばかりの勢いで髪を引っ張られて恐怖を感じるが、老婆は水を抜けてやってきたココリーネに残るわずかばかりの水分の痕跡を欲しているのだと察し、そのままにしておいた。と、老婆はその骨と皺ばかりの顔の中で異様に飛び出した目玉をぎょろぎょろさせながら、
「ココリーネ、…?」
ココリーネの髪を咥えたまま、しわがれた声で呟いた。
だ、…誰。名前を呼ばれたものの心当たりがない。まじまじと老婆を見つめ返す。誰だろう。粉屋で働いていた時に出会っていたことのある誰かだろうか。
「…まさかね。あいつは死んだんだ。あたしが殺したんだよ」
ココリーネが記憶を手繰っている隙に、老婆はぶつぶつ呟くとぶちっと数本引き抜いたココリーネの髪をくちゃくちゃ噛みしめてから吐き出した。…痛い上に不気味だが、我慢する。
「何もかもあいつから奪って、あたしの圧勝だ。あたしの勝ちなんだ。なのに牧場の経営は傾いて人手に渡るし、マルスは愛人と遁走するし、破産した実家の親は早死にして、結局、あたしは最後、乞食だよ。死の病に冒されて、どんなに股を開いてももう誰も寄って来やしない。あたしが勝ったの!! あたしの勝ちだったのに、…っ」
老婆は一方的に野太い声で吠えると、力を使い果たしたのか、よろよろとくずおれ、
「…水。…ああ、喉が。喉が渇いた、…」
虫のようにうごめきながら焦げた地面を這いずっていく。足が悪く歩けないようだ。
「ココ、行こう。炎の軍を持つ隣国トルギラムに攻め入られたようだ。王城に戻って民を救う手立てを講じなければ」
突然の出来事に呆然としているココリーネの手を取って、レオンが王城に急ぐ。既に通り向こうに見えなくなってしまった老婆と同じく、途中で出会う人々は皆、瓦礫に埋もれ乾ききった街で、焼け焦げた大地に張り付いて恵みの水を求めていた。その荒れ果て干からびた光景に、ココリーネの身体の奥深く、リヴァイアサンに愛でられた細胞が脈打った。
『お前たちに幸を。水龍の加護を』
足を止めたココリーネを訝し気に見るレオンに頷きかけると、ふいにココリーネが歌った。一瞬にしてレオンを魅了した、柔らかくひそやかに、それでいて凛として美しく、魂を愛でるような澄み渡る声。レオンは灰色の空に水龍王の面影を感じ、そして。
雨が降りだした。
「み、…水だ。水、…」
焦げた荒野に恵みの雨が降る。炎の猛攻を鎮め、立ち込める煙を清め、ひび割れた大地を讃え、乾ききった人々を潤し、熱く焦げた傷口を癒す。
『案ずるな。お前は私の花嫁だ』
ココリーネはもう何もできないちっぽけな少女ではなかった。水龍王に愛された慈雨の使い手になっていた。
街は一面灰色で、焼け焦げた街路樹と瓦礫と化した街並みが積み上がる。行き場を失くした人々は黒く爛れた地面に為す術もなくうずくまり、横たわっている。
「どうしてこんな、…」
その地獄絵図のような凄惨な光景にレオンは言葉を失った。
「み、…水、…」
ほとんど動かず、息をしているのかいないのか分からないような人々の中から、一人の老婆がずりずりと這いずりながらココリーネにのしかかってきた。老婆は戸惑うココリーネの髪を、その枯れ枝のような腕からは想像もできない強い力で鷲づかみにすると、口に咥えて吸い出した。嚙み切らんばかりの勢いで髪を引っ張られて恐怖を感じるが、老婆は水を抜けてやってきたココリーネに残るわずかばかりの水分の痕跡を欲しているのだと察し、そのままにしておいた。と、老婆はその骨と皺ばかりの顔の中で異様に飛び出した目玉をぎょろぎょろさせながら、
「ココリーネ、…?」
ココリーネの髪を咥えたまま、しわがれた声で呟いた。
だ、…誰。名前を呼ばれたものの心当たりがない。まじまじと老婆を見つめ返す。誰だろう。粉屋で働いていた時に出会っていたことのある誰かだろうか。
「…まさかね。あいつは死んだんだ。あたしが殺したんだよ」
ココリーネが記憶を手繰っている隙に、老婆はぶつぶつ呟くとぶちっと数本引き抜いたココリーネの髪をくちゃくちゃ噛みしめてから吐き出した。…痛い上に不気味だが、我慢する。
「何もかもあいつから奪って、あたしの圧勝だ。あたしの勝ちなんだ。なのに牧場の経営は傾いて人手に渡るし、マルスは愛人と遁走するし、破産した実家の親は早死にして、結局、あたしは最後、乞食だよ。死の病に冒されて、どんなに股を開いてももう誰も寄って来やしない。あたしが勝ったの!! あたしの勝ちだったのに、…っ」
老婆は一方的に野太い声で吠えると、力を使い果たしたのか、よろよろとくずおれ、
「…水。…ああ、喉が。喉が渇いた、…」
虫のようにうごめきながら焦げた地面を這いずっていく。足が悪く歩けないようだ。
「ココ、行こう。炎の軍を持つ隣国トルギラムに攻め入られたようだ。王城に戻って民を救う手立てを講じなければ」
突然の出来事に呆然としているココリーネの手を取って、レオンが王城に急ぐ。既に通り向こうに見えなくなってしまった老婆と同じく、途中で出会う人々は皆、瓦礫に埋もれ乾ききった街で、焼け焦げた大地に張り付いて恵みの水を求めていた。その荒れ果て干からびた光景に、ココリーネの身体の奥深く、リヴァイアサンに愛でられた細胞が脈打った。
『お前たちに幸を。水龍の加護を』
足を止めたココリーネを訝し気に見るレオンに頷きかけると、ふいにココリーネが歌った。一瞬にしてレオンを魅了した、柔らかくひそやかに、それでいて凛として美しく、魂を愛でるような澄み渡る声。レオンは灰色の空に水龍王の面影を感じ、そして。
雨が降りだした。
「み、…水だ。水、…」
焦げた荒野に恵みの雨が降る。炎の猛攻を鎮め、立ち込める煙を清め、ひび割れた大地を讃え、乾ききった人々を潤し、熱く焦げた傷口を癒す。
『案ずるな。お前は私の花嫁だ』
ココリーネはもう何もできないちっぽけな少女ではなかった。水龍王に愛された慈雨の使い手になっていた。
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