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1章.奪われた花嫁は海の藻屑に
02.ココリーネ・リンシャ
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暗闇を落ちていく。
どこまで続くか分からない深く暗い泉に沈んだココリーネは、不思議な感覚にとらわれていた。とっくに息が続かなくなっているはずなのに苦しさはなく、脳裏には記憶の残像がもの凄い速さで流れていく。
人生の走馬灯が、虚しく回る、…―――
ココリーネ・リンシャは親を知らない。
捨て子で、物心ついた時には粉屋夫婦に引き取られていたが、夫婦は程なくして生まれた一人娘のメアリを溺愛し、ココリーネはメアリを引き立てるための道具になった。食事、服装、教育、仕事、あらゆる場面でメアリには与えうる最高のものが与えられ、ココリーネには最低のものが与えられた。メアリがパンとスープとチキンなら、ココリーネは水と干からびた雑穀。メアリがドレスを新調してパーティに繰り出せば、ココリーネは擦り切れたスモックで薪を割る。メアリが紳士淑女の学校に通う間、ココリーネは掃除と洗濯に励み、メアリの靴を磨いておく。メアリがハンサムな恋人と愛を語らう時には、部屋を整えお茶とお菓子でもてなし着替えやシーツを用意した。
しかしながら、ココリーネは自分を不幸だと思ったことはなかった。
メアリは夫妻の大切な一人娘で、自分と比べるべき相手ではない。自分を拾ってくれた粉屋のために働くことは当然で、自分はそのためにいるのだとちゃんと分かっていた。
ココリーネは類まれなる美少女だったが、それを人に悟られないようにした。容姿でもてはやされるようなことがあれば、メアリに妬まれ夫妻に疎まれる。鞭打ちや食事抜き程度で済めば良いが、家を出されでもしたら自分のように才能も教養もない女が生き延びることは難しい。境遇が悪くなることはあれ、良くなることはあり得ない。年頃になって粉屋の主人や取引に来るお客、街ゆく若者やメアリが連れてくる学友たちが自分を見る視線に、好色めいたものを感じる度、ますます用心した。
髪はボサボサにして鬱陶しく顔を隠し、着るものはメアリのお古の中でも薄汚れた地味なものに徹する。話す時は相手の顔を見ずに下を向き、なるべく声を出すことも控えた。「なんてみすぼらしく器量の悪い子だ。無能でなんの役にも立ちゃしない」粉屋のおかみさんはココリーネを聞こえよがしに罵り、「それに引き換えメアリの輝くばかりの美しさ。性根の素晴らしさ。ああ本当に私は我が子に恵まれた!」と、メアリを誉めそやした。それでも異性の視線がココリーネを捉えると、「このあばずれが! 恥を知れっ」おかみさんは激怒して、気が済むまでココリーネを鞭で打ち据えた。ココリーネは身体中に残る痣とミミズ腫れの痛みで時に眠れない夜を過ごしたが、努力の甲斐あってその天性の美しさに気づく者はいなかった。
あの日、王子の目に止まるまでは。
どこまで続くか分からない深く暗い泉に沈んだココリーネは、不思議な感覚にとらわれていた。とっくに息が続かなくなっているはずなのに苦しさはなく、脳裏には記憶の残像がもの凄い速さで流れていく。
人生の走馬灯が、虚しく回る、…―――
ココリーネ・リンシャは親を知らない。
捨て子で、物心ついた時には粉屋夫婦に引き取られていたが、夫婦は程なくして生まれた一人娘のメアリを溺愛し、ココリーネはメアリを引き立てるための道具になった。食事、服装、教育、仕事、あらゆる場面でメアリには与えうる最高のものが与えられ、ココリーネには最低のものが与えられた。メアリがパンとスープとチキンなら、ココリーネは水と干からびた雑穀。メアリがドレスを新調してパーティに繰り出せば、ココリーネは擦り切れたスモックで薪を割る。メアリが紳士淑女の学校に通う間、ココリーネは掃除と洗濯に励み、メアリの靴を磨いておく。メアリがハンサムな恋人と愛を語らう時には、部屋を整えお茶とお菓子でもてなし着替えやシーツを用意した。
しかしながら、ココリーネは自分を不幸だと思ったことはなかった。
メアリは夫妻の大切な一人娘で、自分と比べるべき相手ではない。自分を拾ってくれた粉屋のために働くことは当然で、自分はそのためにいるのだとちゃんと分かっていた。
ココリーネは類まれなる美少女だったが、それを人に悟られないようにした。容姿でもてはやされるようなことがあれば、メアリに妬まれ夫妻に疎まれる。鞭打ちや食事抜き程度で済めば良いが、家を出されでもしたら自分のように才能も教養もない女が生き延びることは難しい。境遇が悪くなることはあれ、良くなることはあり得ない。年頃になって粉屋の主人や取引に来るお客、街ゆく若者やメアリが連れてくる学友たちが自分を見る視線に、好色めいたものを感じる度、ますます用心した。
髪はボサボサにして鬱陶しく顔を隠し、着るものはメアリのお古の中でも薄汚れた地味なものに徹する。話す時は相手の顔を見ずに下を向き、なるべく声を出すことも控えた。「なんてみすぼらしく器量の悪い子だ。無能でなんの役にも立ちゃしない」粉屋のおかみさんはココリーネを聞こえよがしに罵り、「それに引き換えメアリの輝くばかりの美しさ。性根の素晴らしさ。ああ本当に私は我が子に恵まれた!」と、メアリを誉めそやした。それでも異性の視線がココリーネを捉えると、「このあばずれが! 恥を知れっ」おかみさんは激怒して、気が済むまでココリーネを鞭で打ち据えた。ココリーネは身体中に残る痣とミミズ腫れの痛みで時に眠れない夜を過ごしたが、努力の甲斐あってその天性の美しさに気づく者はいなかった。
あの日、王子の目に止まるまでは。
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