【完結】金の国 銀の国 蛙の国―ガマ王太子に嫁がされた三女は蓮の花に囲まれ愛する旦那様と幸せに暮らす。

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番外編.そんなふたりの初めては【前編】

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 初めて会った相手にする話ではなかった。ユウさんは言葉を失っている。そりゃそうだ。ここは相談所でもメンタルヘルスでもなければただの居酒屋だ。

 気持ちが不安定だからか、やけに人の視線を感じる。まるで店中の客が自分に注目しているような。この店に客は二人しかいないのに。

 漢梅サワーを飲み干し、カバンから財布を取り出す。長居は無用だ。お通し込みで千円いかないのはありがたい。店内の空気を悪くしてしまった以上、もう二度と来れないが。

 別に救いを求めているわけじゃない。ただ、心に溜まった毒を吐き捨てたかっただけ。被害者ぶってはいるが、姫川琉璃からすればわたしだって先輩と同罪なのだ。わたしが元彼にアポイントをとらなければ、ここまで世間を騒がすことはなかった。彼女の芸能生命を奪うこともなかった。



 悔しい。



 悔しい。悔しい。悔しい。



「……梅茶漬け、お待ち」



「え?」

 黒い焼き物の茶碗に、白米と薬味、真ん中にちょこんと載った梅干し。梅と出汁のいいにおいが鼻孔をくすぐる。

「あの、これは……」
「ゆき……あちらの客からだ」

 ユウさんの視線を追うと、カウンターの死角から青年がひょっこりと顔を出した。

「どうも」

 青年につられて、わたしも会釈する。

「ここのお茶漬け、シメなのに食べごたえがあっておすすめなんですよ。さっきからうるさくしちゃってたお詫びも兼ねて」

 驚いた。声ははきはきして、身なりも整っていて、絵に描いたような好青年だった。おまけに声が大きかったという自覚もある。大学生だろうか。

 ナンパ……ではないか。わたしの知っている「あちらのお客様から一杯」とは違う。

「漢梅サワーを飲んでたので梅は食べられると思ったんですが、もしかして苦手でした?」
「あ、いや」

 改めてお茶漬けと向き合う。

 小盛りのご飯の上に、白ごまと梅干し。千切った海苔は炙ってあるのか、香ばしい。

 おいしそう。食欲が湧くなんていつ以来だろう。

「いただくわ。ありがとう」
「いえいえ」

 青年はにこりと微笑み、カウンターの奥に戻った。

「いただきます」

 小さなレンゲでご飯と出汁をすくう。ふぅふぅと冷ましてから、ゆっくりと一口。

 昆布と鰹の風味が広がる。見た目に反し、しっかりとした味付け。でも濃すぎずさっぱりして、クセがない。ほのかに漂う梅の香りが爽やかだ。ご飯もふんわりしている。

 優しい味って、こういうのを指すのだろうか。

 今度は梅干しをほぐし、しっかり混ぜ込む。口の中で唾がぎゅっと出てきた。食べると強い酸味が舌を刺激する。それを白出汁が包み込み、旨みを重ねている。白ごまのつぶつぶ食感も楽しい。

「おいしいです」
「そうか、よかった」
「特にこの梅干しが、酸っぱいんだけど甘みもあって」
「ああ、それは駅前の漬物屋で買っているんだ。自分でも作ったことはあるんだが、ここの味には勝てなくてな」

 ユウさんが屈託のない笑みを見せる。年相応で、可愛らしい。

「ちなみに、お通しをお茶漬けに入れてもうまいぞ」

 ごくり、と喉が鳴る。

 言われた通り、残った身欠きにしんを投入し、軽く混ぜる。

 三度みたび、口の中へ。



 ぶわっ、と味の波が押し寄せてくる。

 ご飯の甘み、梅干しの酸味、出汁の滋味に、にしんのコクと塩味が加わって、舌を通じて脳へと味を刻み込んでいく。口内が空っぽになるのが惜しくて、レンゲを運ぶ手が自然と動いてしまう。

 そうだ、わたしはお腹が空いていたんだ。

 空っぽの胃袋に、お茶漬けを次々にくべていく。

 額にうっすらにじむ汗が心地よい。身体だけでなく心も温まっていく感じがした。

 あっという間に茶碗の中身はなくなった。出汁まで飲みきって、完食だ。

「おいしかったですか?」

 後ろに立っていたのは、梅茶漬けをご馳走してくれた青年だった。会計を済ませたのか、開いた財布とレシートを片手に握っている。

「ええ、とても。久しぶりに食事を楽しんだわ」
「それはよかった」

 わたしの顔は自然とほころんでいた。一杯のお茶漬けで、これほどに気持ちが軽くなるなんて。



 やっぱりこのままじゃ終われない。

 先輩の言うことが間違っていないとしても、自分の目指す道とは違うのだ。誰もがわたしを否定したって、わたしは自分を信じたい。信じる道を、信じたい。

 わたしは自然と、手を差し出していた。

 青年は一瞬戸惑う様子を見せたが、おごったことへの感謝と受け取ったのか、握り返してくれた。ああ、酔ってるな、わたし。上半身が少しふらついた。

「おっと」

 手を連結していたため、青年もバランスを崩してしまい、財布を落としてしまう。

「ごめんなさい、すぐに拾うね!」

 いけない。これじゃあ若い子に絡んでいるだけのやっかいな酔っ払いだ。わたしは身を屈め、椅子の下に滑り込んだ長財布に手を伸ばす。すぐ近くには、お札入れから飛び出したと思われる名刺もあった。

「ごめんね、これで全部?」
「はい、ありがとうございます」

 長財布と名刺をそれぞれ差し出す。青年はにこやかに受け取って、もう一度会釈をしてから店を出ていった。



「口ではああ言っていたが、完全に吹っ切れてはいないか」



 青年を見送るユウさんの目は、なぜか心配そうだった。



 わたしが尋ねるのは少々野暮なようだ。彼にも辛い過去があるのだろうか。あるいは今も、しがらみに囚われているのかもしれない。次にこの店で会うことがあったら、もっと話してみたいな。



 食の好み。



 学校のこと。あるいは仕事のこと。



 他のおすすめメニュー。



 それと。










 どうして、あなたが望海のぞみすみかの名刺を持っているのか。
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