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37.人事を尽くして天命を待つ
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アヤメを刺した。刺してしまった、…!!
ガマニエルは絶望の深い沼に叩き落されていた。
この手で。アヤメを刺してしまった。それだけは避けたかったのに。
どうしようもない絶望に襲われて震える。
何としてもアヤメだけは守りたかった。卑怯であろうと愚劣だろうと。誰に何と言われようと。この身にどんな咎を受けようと。大切で大切で命より大切な。何を引き換えにしても惜しくない。この世で出会った生まれて初めての大切な大切な存在を、…守りたかったのに。
「うおおおおおおお――――――っっ!!」
俺がこの手で刺してしまった、…
どうにもならない絶望に叫ぶと、
蓮の花のように可憐で、甘く柔らかい愛しさの塊がガマニエルの腕の中でわずかに目を開けた。
「旦那様、…」
「あ、あ、アヤメ、…っ」
ガマニエルの両目からボロボロ涙が零れ落ち、愛しいアヤメの頬を濡らした。思えば、ガマニエルは泣いたことがなかった。人生イージーモードの月皇子時代も。醜悪で不気味なガマ妖怪時代も。こんな風に心が引きちぎられるような、砕けて散り散りに割れてしまうような、悲しい思いをしたことがなかった。
「…私、旦那様が好きです」
「あ、…アヤ、…っ」
言葉にならない。
好き、という一言がこれほどまで心を揺さぶるということを初めて知った。
「だから、…傷つけないで欲しいです」
アヤメがその細い手を伸ばしてガマニエルの涙に濡れた頬に触れる。小さくて温かい。可愛くて慈しみに満ちた優しい手。その手を荒らして、痛めつけられて、それでも諦めずに伸ばしてくれる強く勇敢な手。
この手を伸ばして、…
アヤメはガマニエルを守るために飛び出してきたのだ。ガマニエルが魔王剣で自分自身を刺そうとしたから。真実を貫くのなら、刺すしかない。嘘と傲慢でかけられた呪いを都合よく解こうとした、断罪されるべきは自分だった。
それなのに。
アヤメは、そんな自分を好きだと言ってくれた。傷つけないで、と。
「アヤメ。俺、…俺も、お前が好きだ。愛してる」
愛しさに震える。胸がいっぱいで涙が止まらない。零れ落ちる涙をそのままに、自分に伸ばされた小さな手に手を重ねて、ガマニエルが必死で告げると、アヤメはにっこり笑った。
「…旦那様、私をお嫁さんにしてくれてありがとう。大好き、…」
蓮の花が開いたような神聖さで、清らかに可憐に、この上なく美しい笑みを残して、アヤメは目を閉じた。
「アヤメ? アヤメ、…? ダメだ、逝くな、逝っちゃだめだっ!! 俺を置いて逝かないでくれ、…っ!!」
涙で前が見えない。
何よりも何よりも大切な温もりをかき抱いて、声を上げて泣いているガマニエルは、自分の容姿が元に戻っていることに気づいていなかった。気づいていたとしてもどうでも良かった。月皇子でもガマ妖怪でも何でもいい。アヤメがいればいい。アヤメがいてくれれば、他には何もいらないから、…っ
「あ、あ、アニキぃ、…っ」
砂漠の荒くれ者トカゲ族のマーカスは、自分が惚れ込んでついてきた最強の男が声を上げて泣き崩れているのを前に、どうすることもできない無力感に陥っていた。最強の力をもってしても奪えず、最高の財宝をもってしても手に入れられない、そんなかけがえのないものがこの世の中にはあるのだ。
「ガマニエル様ぁ、…っ」
「うっ、うっ、お美しい、…っ!!」
アマリリスとアネモネもまた、涙が止まらなかった。
それは自身が助かった喜びだけではなかった。世にも美しい男が目の前に甦ったからだった。いや、違うし。それもあるけど。それだけじゃないし!(姉妹談)…そう、世にも美しい男が人目もはばからずに号泣していて、顔は涙でぐちゃぐちゃなのに、こんなにも尊く美しく悲しい姿を今まで見たことがなかったから。誰かのために涙を流すことが、自分たちにはあっただろうか、…
「あの、…あのぉ、…」
そして魔王ドーデモードは逡巡していた。
美麗この上ないガマニエルに臆したからではない。ガマニエルに話しかけたかったのだが、さすがに空気を読んだのだ。ゴブリンABCたちももはや意味も分からずもらい泣きしているし、愛するラミナ妃の呆然と立ちすくんでいる様子も怖い。
だいたい、ラミナはいつから居たんだ? 私の悪役全開なところを見ていたのか? かっこ良かったかな? ところでラミナが連れてきたっぽいあの牛蒡女は一体誰だ??
一から説明してほしいところだが、場の雰囲気を盛り下げそうで怖いし、悪役大魔王の沽券に関わるし、でもやっぱり気になることがあるし、…
ていうか、すごく気になることが、…
「あの、…あのさぁ、ガマ、…」
ひどく大切そうに牛蒡女を抱きしめているガマニエルに近づき、遠慮深く覗き込んだら、ものすごい殺気が漂った。
ガマニエル先輩、怒ってらっしゃる、…っっ
いや待て。誰が先輩だこら。
と、思うもののそれ以上先を続ける勇気が出ない。美しい人は怒らせると怖いというが、華麗なるラミナも怖いけど、史上最高に美しいガマニエル先輩は、その数百万倍恐ろしい。
悲しみに暮れている周囲を見渡し、天井が突き抜けて妙に明るくなった謁見の間から空を見上げ、愛妃ラミナがこっちをちっとも向かないな、ということを確認してから、
「…あのう、ガマニエル先輩。お伺いしたいことがあるんですけど、ちょっとお時間よろしいでしょうか」
ドーデモードは魔王就任以来、最大限の勇気を振り絞ってガマニエルに話しかけた。
ガマニエルは絶望の深い沼に叩き落されていた。
この手で。アヤメを刺してしまった。それだけは避けたかったのに。
どうしようもない絶望に襲われて震える。
何としてもアヤメだけは守りたかった。卑怯であろうと愚劣だろうと。誰に何と言われようと。この身にどんな咎を受けようと。大切で大切で命より大切な。何を引き換えにしても惜しくない。この世で出会った生まれて初めての大切な大切な存在を、…守りたかったのに。
「うおおおおおおお――――――っっ!!」
俺がこの手で刺してしまった、…
どうにもならない絶望に叫ぶと、
蓮の花のように可憐で、甘く柔らかい愛しさの塊がガマニエルの腕の中でわずかに目を開けた。
「旦那様、…」
「あ、あ、アヤメ、…っ」
ガマニエルの両目からボロボロ涙が零れ落ち、愛しいアヤメの頬を濡らした。思えば、ガマニエルは泣いたことがなかった。人生イージーモードの月皇子時代も。醜悪で不気味なガマ妖怪時代も。こんな風に心が引きちぎられるような、砕けて散り散りに割れてしまうような、悲しい思いをしたことがなかった。
「…私、旦那様が好きです」
「あ、…アヤ、…っ」
言葉にならない。
好き、という一言がこれほどまで心を揺さぶるということを初めて知った。
「だから、…傷つけないで欲しいです」
アヤメがその細い手を伸ばしてガマニエルの涙に濡れた頬に触れる。小さくて温かい。可愛くて慈しみに満ちた優しい手。その手を荒らして、痛めつけられて、それでも諦めずに伸ばしてくれる強く勇敢な手。
この手を伸ばして、…
アヤメはガマニエルを守るために飛び出してきたのだ。ガマニエルが魔王剣で自分自身を刺そうとしたから。真実を貫くのなら、刺すしかない。嘘と傲慢でかけられた呪いを都合よく解こうとした、断罪されるべきは自分だった。
それなのに。
アヤメは、そんな自分を好きだと言ってくれた。傷つけないで、と。
「アヤメ。俺、…俺も、お前が好きだ。愛してる」
愛しさに震える。胸がいっぱいで涙が止まらない。零れ落ちる涙をそのままに、自分に伸ばされた小さな手に手を重ねて、ガマニエルが必死で告げると、アヤメはにっこり笑った。
「…旦那様、私をお嫁さんにしてくれてありがとう。大好き、…」
蓮の花が開いたような神聖さで、清らかに可憐に、この上なく美しい笑みを残して、アヤメは目を閉じた。
「アヤメ? アヤメ、…? ダメだ、逝くな、逝っちゃだめだっ!! 俺を置いて逝かないでくれ、…っ!!」
涙で前が見えない。
何よりも何よりも大切な温もりをかき抱いて、声を上げて泣いているガマニエルは、自分の容姿が元に戻っていることに気づいていなかった。気づいていたとしてもどうでも良かった。月皇子でもガマ妖怪でも何でもいい。アヤメがいればいい。アヤメがいてくれれば、他には何もいらないから、…っ
「あ、あ、アニキぃ、…っ」
砂漠の荒くれ者トカゲ族のマーカスは、自分が惚れ込んでついてきた最強の男が声を上げて泣き崩れているのを前に、どうすることもできない無力感に陥っていた。最強の力をもってしても奪えず、最高の財宝をもってしても手に入れられない、そんなかけがえのないものがこの世の中にはあるのだ。
「ガマニエル様ぁ、…っ」
「うっ、うっ、お美しい、…っ!!」
アマリリスとアネモネもまた、涙が止まらなかった。
それは自身が助かった喜びだけではなかった。世にも美しい男が目の前に甦ったからだった。いや、違うし。それもあるけど。それだけじゃないし!(姉妹談)…そう、世にも美しい男が人目もはばからずに号泣していて、顔は涙でぐちゃぐちゃなのに、こんなにも尊く美しく悲しい姿を今まで見たことがなかったから。誰かのために涙を流すことが、自分たちにはあっただろうか、…
「あの、…あのぉ、…」
そして魔王ドーデモードは逡巡していた。
美麗この上ないガマニエルに臆したからではない。ガマニエルに話しかけたかったのだが、さすがに空気を読んだのだ。ゴブリンABCたちももはや意味も分からずもらい泣きしているし、愛するラミナ妃の呆然と立ちすくんでいる様子も怖い。
だいたい、ラミナはいつから居たんだ? 私の悪役全開なところを見ていたのか? かっこ良かったかな? ところでラミナが連れてきたっぽいあの牛蒡女は一体誰だ??
一から説明してほしいところだが、場の雰囲気を盛り下げそうで怖いし、悪役大魔王の沽券に関わるし、でもやっぱり気になることがあるし、…
ていうか、すごく気になることが、…
「あの、…あのさぁ、ガマ、…」
ひどく大切そうに牛蒡女を抱きしめているガマニエルに近づき、遠慮深く覗き込んだら、ものすごい殺気が漂った。
ガマニエル先輩、怒ってらっしゃる、…っっ
いや待て。誰が先輩だこら。
と、思うもののそれ以上先を続ける勇気が出ない。美しい人は怒らせると怖いというが、華麗なるラミナも怖いけど、史上最高に美しいガマニエル先輩は、その数百万倍恐ろしい。
悲しみに暮れている周囲を見渡し、天井が突き抜けて妙に明るくなった謁見の間から空を見上げ、愛妃ラミナがこっちをちっとも向かないな、ということを確認してから、
「…あのう、ガマニエル先輩。お伺いしたいことがあるんですけど、ちょっとお時間よろしいでしょうか」
ドーデモードは魔王就任以来、最大限の勇気を振り絞ってガマニエルに話しかけた。
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