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Ⅴユイの章【鹿王】
03.
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「そなたは余程狭間に落ちやすいようだな」
鹿王ラキは髭を震わせた。なんだか笑ったように見えた。
凍湖の冷たい氷水の中にを彷徨い、息も出来ずに暗い底に引きずり込まれたユイは、気が付くと谷間の奥底にある不思議な空間で大鹿王のラキと対峙していた。巨大な身体を持つラキは足を組んで座り、手のひらにユイを乗せている。天まで届きそうに立派な角を高々とそびえ立たせて。
「…ラキ様」
そこはかつて訪れたことのある狭間の空間で、恐らく、この世とあの世の境ではないかと思われた。水を大量に飲み込んで苦しかったのに、ここには水はなく、苦しくない。実際に呼吸をしているかどうかは定かではないが。
「あの、…また助けて下さってありがとうございます」
「うむ。主がここに来るのは二度目だな」
「…はい」
ラキの声は独特の響きを持ち、音というより光のようにユイの頭に降り注いだ。
「現世で生きていくには、我とこの狭間のことは忘れねばならぬ。前回は忘れて現世に戻った。さて、今回はどうする? 主はどちらに進むか選ばねばならぬ。行くか、戻るか。このまま黄泉に渡るというなら、我が連れて行こう」
鹿族は冥途の案内人であると言われる。
かつては人狼のように群れを作り、高山の森に生息していたというが、いつからかその姿を見ることはなくなり、千年の間に滅んだと言い伝えられていた。
しかし、実際には滅んではいなかった。狭間の空間で、今なお行先に迷う者たちを案内していたのだ。
「私、…」
ラキに問われて、ユイは自分の胸の内を見つめ直した。
氷の湖に漂いながら、考えていたこと。
「行くところがないんです。行きたいところはあるけれど、行っちゃいけないって言うか、…」
「ふむ。いけないとは如何に如何に」
ラキの手のひらは温かな慈しみに満ちていて、降り注ぐラキの声は安らぎをもたらす。ユイは誰にも明かせず、でも捨てることも出来ない、切実な思いを初めて口に出した。
「私、ロウが好きなんです、…」
口にしたら、胸の奥がキュッと締まった。
「ロウだけがずっと好きで。どうしても好きで。でも、ロウは白き人狼だから、群れを統べる責務があるし、世継ぎも残さなきゃならなくて。好きになっちゃダメなんです。誰かが独占しちゃダメなんです」
言葉にすることで、改めてロウを思う気持ちとロウが担う役割が明白になる。
「それに、…何よりも、ロウが、私のことは妹としか思ってないんです」
その紛れもない事実の前に打ちのめされて胸が痛い。
苦しくて胸が詰まり、意識的に息をする。
「うむ。思いを遂げられぬ相手から離れたいけど離れられず、行き場を失っておると」
鹿王ラキの声が慈雨のように痛みを伴うユイの心に降り注いだ。
「…はい」
ロウが好き。どうしても消せない。
もうこの想いはユイがユイである全てだ。もし、ロウへの想いがなくなったら、ユイがユイである証は消えてしまうだろう。
鹿王ラキは髭を震わせた。なんだか笑ったように見えた。
凍湖の冷たい氷水の中にを彷徨い、息も出来ずに暗い底に引きずり込まれたユイは、気が付くと谷間の奥底にある不思議な空間で大鹿王のラキと対峙していた。巨大な身体を持つラキは足を組んで座り、手のひらにユイを乗せている。天まで届きそうに立派な角を高々とそびえ立たせて。
「…ラキ様」
そこはかつて訪れたことのある狭間の空間で、恐らく、この世とあの世の境ではないかと思われた。水を大量に飲み込んで苦しかったのに、ここには水はなく、苦しくない。実際に呼吸をしているかどうかは定かではないが。
「あの、…また助けて下さってありがとうございます」
「うむ。主がここに来るのは二度目だな」
「…はい」
ラキの声は独特の響きを持ち、音というより光のようにユイの頭に降り注いだ。
「現世で生きていくには、我とこの狭間のことは忘れねばならぬ。前回は忘れて現世に戻った。さて、今回はどうする? 主はどちらに進むか選ばねばならぬ。行くか、戻るか。このまま黄泉に渡るというなら、我が連れて行こう」
鹿族は冥途の案内人であると言われる。
かつては人狼のように群れを作り、高山の森に生息していたというが、いつからかその姿を見ることはなくなり、千年の間に滅んだと言い伝えられていた。
しかし、実際には滅んではいなかった。狭間の空間で、今なお行先に迷う者たちを案内していたのだ。
「私、…」
ラキに問われて、ユイは自分の胸の内を見つめ直した。
氷の湖に漂いながら、考えていたこと。
「行くところがないんです。行きたいところはあるけれど、行っちゃいけないって言うか、…」
「ふむ。いけないとは如何に如何に」
ラキの手のひらは温かな慈しみに満ちていて、降り注ぐラキの声は安らぎをもたらす。ユイは誰にも明かせず、でも捨てることも出来ない、切実な思いを初めて口に出した。
「私、ロウが好きなんです、…」
口にしたら、胸の奥がキュッと締まった。
「ロウだけがずっと好きで。どうしても好きで。でも、ロウは白き人狼だから、群れを統べる責務があるし、世継ぎも残さなきゃならなくて。好きになっちゃダメなんです。誰かが独占しちゃダメなんです」
言葉にすることで、改めてロウを思う気持ちとロウが担う役割が明白になる。
「それに、…何よりも、ロウが、私のことは妹としか思ってないんです」
その紛れもない事実の前に打ちのめされて胸が痛い。
苦しくて胸が詰まり、意識的に息をする。
「うむ。思いを遂げられぬ相手から離れたいけど離れられず、行き場を失っておると」
鹿王ラキの声が慈雨のように痛みを伴うユイの心に降り注いだ。
「…はい」
ロウが好き。どうしても消せない。
もうこの想いはユイがユイである全てだ。もし、ロウへの想いがなくなったら、ユイがユイである証は消えてしまうだろう。
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