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「へぇ、…」
一瞬の沈黙の後、桐生さんの低い声が聞こえた。恐る恐る桐生さんを伺い見ると、
「…じゃあ俺も行こうかな」
いつも通りの穏やかな表情でそう言った。
「おおっと、これは鋭い切り返し」
「黙れよ、清水」
え、え、え、…
「あ、いや、あの、…」
どうしよう。
いたたまれなくて、冷や汗どころか大汗かいている私の耳に、
「…ああ、その方がいいかも」
予想外の柚くんの返答が届いた。
え、いいの!? いいの!?
「いやぁ、これは斜め上の展開だわ」
「いや、本当だわ」
「ふぅん、いいんだ」
桐生さんが片眉を上げてみせると、柚くんは声を落として囁いた。
「カズマが逃げた」
柚くんのマンションは、最寄駅から徒歩数分の小高い住宅街にあり、案内された部屋は物が少なく、きれいに片づけられていた。
ソファ、リビングテーブル、チェスト。
テレビ、パソコン、DVDプレーヤー。
白と黒が基調のシンプルな部屋は、家庭教師で通っていた頃の柚くんの部屋をほうふつとさせて、なんだか胸が締め付けられる。
私。
柚くんのこと、何にも知らない。
何をしてくるかわからないから、ちゃんと話しておきたい、と柚くんは言った。
柚くんが教えてくれるなら、
何でも知りたい。
「アンドラーシ・ペーテル・カズマは、海外でいくつもの企業からデータを奪ったり改ざんしたりテロ組織に売ったりしている。そいつを、…多分藤倉の誰かが雇った」
恵那さん、…カズマ容疑者が脱走したのは今日の夕刻のことらしい。
それはそうと。
…美味し過ぎます!
帰りに飲み物とご飯を少し買って来たのだけど、
「多分、長くなるから、…」
と言って、柚くんが、手品みたいに素早くおつまみを作ってくれた。
「お前、料理するんだ」
キッチンに立つ柚くんを桐生さんが感心したように見ている。
「…したい時だけ」
たたききゅうり。鶏ひきとごぼうのつくね揚げ。豚コマ唐揚げ。大根もち。もやしの和え物。餃子の皮ピザ。厚揚げステーキ。焼きおにぎり茶漬け。
「柚くん! これ! これ! すごく美味しい」
熱々でもちもちしていて、あんまりにも美味しくてテンションが上がってしまった。
口をふがふがさせながら頬張っていると、柚くんがすごく優しい顔で見ていたので、なんだか恥ずかしくなって黙って噛み締めた。
「…なるほど。したい時、ね」
桐生さんが何かに納得している。
「でも、確かにうまい。嫁に欲しいな」
それな!
桐生さんに激しく同感する。
いいなぁ、奥さんになる人。
と思って、ちょっと胸が軋んだ。
一瞬の沈黙の後、桐生さんの低い声が聞こえた。恐る恐る桐生さんを伺い見ると、
「…じゃあ俺も行こうかな」
いつも通りの穏やかな表情でそう言った。
「おおっと、これは鋭い切り返し」
「黙れよ、清水」
え、え、え、…
「あ、いや、あの、…」
どうしよう。
いたたまれなくて、冷や汗どころか大汗かいている私の耳に、
「…ああ、その方がいいかも」
予想外の柚くんの返答が届いた。
え、いいの!? いいの!?
「いやぁ、これは斜め上の展開だわ」
「いや、本当だわ」
「ふぅん、いいんだ」
桐生さんが片眉を上げてみせると、柚くんは声を落として囁いた。
「カズマが逃げた」
柚くんのマンションは、最寄駅から徒歩数分の小高い住宅街にあり、案内された部屋は物が少なく、きれいに片づけられていた。
ソファ、リビングテーブル、チェスト。
テレビ、パソコン、DVDプレーヤー。
白と黒が基調のシンプルな部屋は、家庭教師で通っていた頃の柚くんの部屋をほうふつとさせて、なんだか胸が締め付けられる。
私。
柚くんのこと、何にも知らない。
何をしてくるかわからないから、ちゃんと話しておきたい、と柚くんは言った。
柚くんが教えてくれるなら、
何でも知りたい。
「アンドラーシ・ペーテル・カズマは、海外でいくつもの企業からデータを奪ったり改ざんしたりテロ組織に売ったりしている。そいつを、…多分藤倉の誰かが雇った」
恵那さん、…カズマ容疑者が脱走したのは今日の夕刻のことらしい。
それはそうと。
…美味し過ぎます!
帰りに飲み物とご飯を少し買って来たのだけど、
「多分、長くなるから、…」
と言って、柚くんが、手品みたいに素早くおつまみを作ってくれた。
「お前、料理するんだ」
キッチンに立つ柚くんを桐生さんが感心したように見ている。
「…したい時だけ」
たたききゅうり。鶏ひきとごぼうのつくね揚げ。豚コマ唐揚げ。大根もち。もやしの和え物。餃子の皮ピザ。厚揚げステーキ。焼きおにぎり茶漬け。
「柚くん! これ! これ! すごく美味しい」
熱々でもちもちしていて、あんまりにも美味しくてテンションが上がってしまった。
口をふがふがさせながら頬張っていると、柚くんがすごく優しい顔で見ていたので、なんだか恥ずかしくなって黙って噛み締めた。
「…なるほど。したい時、ね」
桐生さんが何かに納得している。
「でも、確かにうまい。嫁に欲しいな」
それな!
桐生さんに激しく同感する。
いいなぁ、奥さんになる人。
と思って、ちょっと胸が軋んだ。
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