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「橘くん、計算書類、E会議室ね。監査の人たち直接そっちに向かうから」
「はい」

監査の季節がやってきた。
毎年この時期は緊張で胃が痛くなるのだが、今年は何だかいろいろあって仕事に集中できなかったから、いつも以上に不安が募る。

無事に終わるといいなー。

箱詰めした書類を抱えてエレベータの到着を待っていると、

「手伝う」

ふっと腕の中から箱が消えた。

…柚くん!

長身の柚くんが軽々と箱を抱えて、到着したエレベータの扉を片手で押さえてくれた。

「ありがとう」

エレベータの中には誰も乗って居なくて、扉が閉まると柚くんと2人だけになった。

な、…なんか空気が薄い。
鼻息が聞こえてしまいそうでうまく息ができない。

そっと柚くんを伺い見ると、なぜかばっちり目が合った。

「…あれから何にもされてないよな?」

少し低めの柚くんのささやきに、無駄にドキドキしながら全速力で首を縦に振った。

っていうか、私!
この前どさくさに紛れて柚くんに抱きついた!
あのいい匂いのするワイシャツをみっともなく涙で汚してしまった!

っていうか、っていうか!
柚くんのあの桜色の柔らかい唇が私の頬に触れたような。
震えるほど優しく。
でも確かに。
柚くんのあの綺麗な顔が、長いまつ毛が近づいて。
まだかすかに甘い感触が頬に残ってる…

あああ、ううう、わあああ―――――

「着いたよ?」

気づけばエレベータは会議室階に到着し、柚くんが扉を押さえて待っていた。

ぎゃー、ヤバい。柚くんの顔見れない。
邪念よ、去れ!

「会議室Eだっけ?」
「その通りでっすー」

柚くんがその長い脚でさっさと会議室に向かっていくのを慌てて追いかけた。

「これで書類全部?」
「…はい」

会議室で、柚くんがテキパキと椅子をセッティングし、書類を並べていく。

椅子を運ぶ長い脚が絵になって。
書類を整える指先が綺麗で。
動くと揺れる髪がまぶしい。

会議室という名の密室に2人きり。

いや、別に、だから何だって話なんだけど、
体温が上昇気流にのって脳みそがとろけ、

…また「あおい」って呼んで欲しい。

あらぬ欲望が開花する。

柚くんが倉庫に来てくれた。
私の名前を呼んでくれた。
あの少し掠れた甘い声で。

あお…

「橘補佐、先戻ってます」

…ですよねー。

柚くんがいなくなった薄暗いただの湿った会議室で、がっくりと監査関係者を待っていると、程なくして監査法人の皆様がやってきた。

「こだま監査法人 公認会計士の加藤利一です」
「同じく 田原沙織です」
「アシスタントの恵那和馬です」

ご到着された監査法人の皆様がきびきびと名刺を出して挨拶を下さるのに、うちの課長がまだ来ない。

「経理課 課長補佐の橘あおいと申します。よろしくお願いいたします」

内心冷や汗をかきながら、へいこらとお辞儀をして回る。
と。

「橘さん、…」

女性会計士の田原さんが一瞬はっとした顔をした。
ん?

失礼ながらもう一度よく見てみると、どこかで見たことがあるような。

「…あ!」

この才女丸出しの立ち振る舞い、美人の代表みたいな容姿。
桐生さんの奥様だ! …元!
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