33 / 95
second.32
しおりを挟む
細田課長から電話があったのは、謹慎8日目の木曜日の夜だった。
「常務が、依願退職することになった」
え、…
課長が告げた内容に、言葉を失った。
内部調査により、BBAファイナンスは常務が個人的に設立した企業であり、経営が立ち行かなくなっていたこと、会社の資金を流用して債務の弁済にあてようとしていたことが判明したという。
「不正取引した300万は返済され、会社とは示談が成立した。社長が、ともかく橘さんに謝りたいから戻ってきてほしい、と」
「…はあ」
常務は赤ら顔でフグ刺しを堪能していて、お金に困っているなんて全然わからなかった。
乾いた風が心を冷やす。
何だか胸が痛い。
「橘さんは課長補佐に昇進する予定だ。海外事業部の桐生くんが内部調査にだいぶ貢献してくれたんだが、社長に詰め寄ってね。まあ実際、課長の私以上の仕事をしてくれているわけだし」
…桐生さん。
大人で優しくて仕事ができて頼りになる。
こんな人、他にいない。
そばにいて慰めて励ましてくれた。
私にはもったいない本当に素敵な人。
「それと、これは言うなと言われたんだが、…今回の内部調査、藤倉財閥グループが動いた」
え…
電話を切る直前、課長がついでのように言った。
「WEB振込の不正アクセスに気づいて常務に目を付けたのは彼なんだが、藤倉くんの働きなしには解明は望めなかったよ」
うまく返事が出来なかった。
…柚くん。
電話を切った後、また泣けてきて困った。
さんざん泣いたのに、涙が枯れない。
どうして。
いつも柚くんが私を見つけてくれる。
柚くん。
柚くん。
こんなの。
どうやって諦めたらいい?
どうやって忘れたらいい?
どうしても溢れてしまう。
前よりもっと。ずっと。限りなく。
柚くんが愛しい。
翌朝、桐生さんが迎えに来てくれた。
「一緒に行こう」
桐生さんの大きな手が私を勇気づけ、立ちすくみそうになる私の背中を押してくれた。
「あ、の、…ご心配を、…」
フロアで経理課のメンバーを見たら、なんだか胸がいっぱいになって上手くしゃべれなくなってしまった。
「…おかえり」
柚くんの少し掠れた声が、沈黙を破る。
「おかえり」「おかえりなさい」
課長と清水さんと谷くんの声が合わさる。
「もお、主任がいないから仕事がたまりにたまってますよ」
「すまん、橘。決算書類、早急に仕上げて欲しい」
「清水さん、役に立たな過ぎて」
「黙れよ、谷」
経理課にいつもの空気が戻り、いつもの業務が始まった。
「あの、…ありがとう」
デスクに戻る前に柚くんを捕まえてそう告げると、ちょっとふて腐れたようにそっぽを向いて、グーで頭を小突かれた。
『世界は優しいばかりじゃないけど、そう悪くないこともたまにはある』
神さま、どうか許してください。
どうしても。
柚くんが愛しい。
「常務が、依願退職することになった」
え、…
課長が告げた内容に、言葉を失った。
内部調査により、BBAファイナンスは常務が個人的に設立した企業であり、経営が立ち行かなくなっていたこと、会社の資金を流用して債務の弁済にあてようとしていたことが判明したという。
「不正取引した300万は返済され、会社とは示談が成立した。社長が、ともかく橘さんに謝りたいから戻ってきてほしい、と」
「…はあ」
常務は赤ら顔でフグ刺しを堪能していて、お金に困っているなんて全然わからなかった。
乾いた風が心を冷やす。
何だか胸が痛い。
「橘さんは課長補佐に昇進する予定だ。海外事業部の桐生くんが内部調査にだいぶ貢献してくれたんだが、社長に詰め寄ってね。まあ実際、課長の私以上の仕事をしてくれているわけだし」
…桐生さん。
大人で優しくて仕事ができて頼りになる。
こんな人、他にいない。
そばにいて慰めて励ましてくれた。
私にはもったいない本当に素敵な人。
「それと、これは言うなと言われたんだが、…今回の内部調査、藤倉財閥グループが動いた」
え…
電話を切る直前、課長がついでのように言った。
「WEB振込の不正アクセスに気づいて常務に目を付けたのは彼なんだが、藤倉くんの働きなしには解明は望めなかったよ」
うまく返事が出来なかった。
…柚くん。
電話を切った後、また泣けてきて困った。
さんざん泣いたのに、涙が枯れない。
どうして。
いつも柚くんが私を見つけてくれる。
柚くん。
柚くん。
こんなの。
どうやって諦めたらいい?
どうやって忘れたらいい?
どうしても溢れてしまう。
前よりもっと。ずっと。限りなく。
柚くんが愛しい。
翌朝、桐生さんが迎えに来てくれた。
「一緒に行こう」
桐生さんの大きな手が私を勇気づけ、立ちすくみそうになる私の背中を押してくれた。
「あ、の、…ご心配を、…」
フロアで経理課のメンバーを見たら、なんだか胸がいっぱいになって上手くしゃべれなくなってしまった。
「…おかえり」
柚くんの少し掠れた声が、沈黙を破る。
「おかえり」「おかえりなさい」
課長と清水さんと谷くんの声が合わさる。
「もお、主任がいないから仕事がたまりにたまってますよ」
「すまん、橘。決算書類、早急に仕上げて欲しい」
「清水さん、役に立たな過ぎて」
「黙れよ、谷」
経理課にいつもの空気が戻り、いつもの業務が始まった。
「あの、…ありがとう」
デスクに戻る前に柚くんを捕まえてそう告げると、ちょっとふて腐れたようにそっぽを向いて、グーで頭を小突かれた。
『世界は優しいばかりじゃないけど、そう悪くないこともたまにはある』
神さま、どうか許してください。
どうしても。
柚くんが愛しい。
1
お気に入りに追加
316
あなたにおすすめの小説
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
【改稿版・完結】その瞳に魅入られて
おもち。
恋愛
「——君を愛してる」
そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった——
幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。
あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは……
『最初から愛されていなかった』
その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。
私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。
『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』
『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』
でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。
必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。
私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……?
※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。
※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。
※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。
※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。
隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される
永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】
「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。
しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――?
肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる