19 / 95
second.18
しおりを挟む
「藤倉美雨です。紘弥がお世話になります」
柚くんの傍らにいた彼女は、可愛らしく会釈した。
桐生さんの素晴らしい誘導でスーツショップに向かう道すがら、仕事の話を始めた桐生さんと柚くん。その後ろから、美雨さんと並んで歩く。
「橘あおいと言います」
おずおずと名乗ると、美雨さんは一瞬目を見開いて表情をなくしたが、すぐに何事もなかったかのように
「よろしくお願いします」
にっこりと人好きのする笑顔に戻った。
モデルさん、かなぁ。
抜群のスタイルはもとより、
こちらを見つめる栗色の瞳。
カールしたまつ毛。高い鼻。艶やかな唇。
全て。自分にはないものばかり。
「フジクラ」美雨、さん。
締め付けられる胸の内に気づかないふりをして声を絞り出した。
「あの、…奥様、ですか?」
「ええ、まあ」
恥ずかしそうにうなずく彼女は、
自分でも驚くほどの破壊力で私を打ちのめした。
藤倉紘弥。
想像していなかったわけじゃない。
でも。
想像するのと事実を知るのは、全然違う。
『お前じゃなきゃ嫌だ』
もう柚くんはどこにもいない。
スーツショップに着くまで、何を話していたのか覚えていない。
周りの景色も、聞こえていたはずの音も、何も思い出せない。
色を失った世界で、斜め前を歩く柚くんの靴の踵だけが、妙に鮮明に焼き付いている。
「橘、大丈夫か?」
スーツショップで、柚くんが採寸してもらっている間、何度も桐生さんに尋ねられた。
よほどひどい顔をしているようだ。
必死で取り繕う自分の姿は、他人事のようでまるで実感がなかった。
藤倉紘弥はとっくに新しい人生を歩んでいる。
当たり前のことなのに、どうしようもなく胸が苦しい。
私だけが、未だにずっと囚われている。
あの日、柚くんのもとから逃げ出したのは、
罪の重さからじゃなく、こんな現実を見る勇気がなかったからだと
痛いほど思い知らされた。
「アイツはいいわけ?」
お手洗いから戻ろうとすると、柚くんが立っていた。壁にもたれかかって腕を組んでいる。長い脚が通路をふさぐ。
「え?」
不意打ちで、心の準備が出来ていない。
聞き返すと、ふいっと顔を背けられた。
柔らかい髪の間から形のいい耳がのぞく。
柚くんの耳。指で辿った記憶が蘇る。
柔らかい感触もくすぐったい髪も、全部覚えてる。心と身体が、全部覚えてる。
目を伏せて言い聞かせる。
あおい、プライドを持て。
心を殺して、自分を奮い立たせた。
「元気そう、だね…」
何気ないふりで話し掛けると、
とん。
グーで頭のてっぺんをこづかれた。
「…ばか」
柚くんの綺麗な瞳が揺れている。
なんで。
柚くんの声は甘く響くのかな。
なんで。
柚くんの手は優しく感じるのかな。
なんで。
もうどうにもならないのに再会しちゃったんだろう。
柚くんの傍らにいた彼女は、可愛らしく会釈した。
桐生さんの素晴らしい誘導でスーツショップに向かう道すがら、仕事の話を始めた桐生さんと柚くん。その後ろから、美雨さんと並んで歩く。
「橘あおいと言います」
おずおずと名乗ると、美雨さんは一瞬目を見開いて表情をなくしたが、すぐに何事もなかったかのように
「よろしくお願いします」
にっこりと人好きのする笑顔に戻った。
モデルさん、かなぁ。
抜群のスタイルはもとより、
こちらを見つめる栗色の瞳。
カールしたまつ毛。高い鼻。艶やかな唇。
全て。自分にはないものばかり。
「フジクラ」美雨、さん。
締め付けられる胸の内に気づかないふりをして声を絞り出した。
「あの、…奥様、ですか?」
「ええ、まあ」
恥ずかしそうにうなずく彼女は、
自分でも驚くほどの破壊力で私を打ちのめした。
藤倉紘弥。
想像していなかったわけじゃない。
でも。
想像するのと事実を知るのは、全然違う。
『お前じゃなきゃ嫌だ』
もう柚くんはどこにもいない。
スーツショップに着くまで、何を話していたのか覚えていない。
周りの景色も、聞こえていたはずの音も、何も思い出せない。
色を失った世界で、斜め前を歩く柚くんの靴の踵だけが、妙に鮮明に焼き付いている。
「橘、大丈夫か?」
スーツショップで、柚くんが採寸してもらっている間、何度も桐生さんに尋ねられた。
よほどひどい顔をしているようだ。
必死で取り繕う自分の姿は、他人事のようでまるで実感がなかった。
藤倉紘弥はとっくに新しい人生を歩んでいる。
当たり前のことなのに、どうしようもなく胸が苦しい。
私だけが、未だにずっと囚われている。
あの日、柚くんのもとから逃げ出したのは、
罪の重さからじゃなく、こんな現実を見る勇気がなかったからだと
痛いほど思い知らされた。
「アイツはいいわけ?」
お手洗いから戻ろうとすると、柚くんが立っていた。壁にもたれかかって腕を組んでいる。長い脚が通路をふさぐ。
「え?」
不意打ちで、心の準備が出来ていない。
聞き返すと、ふいっと顔を背けられた。
柔らかい髪の間から形のいい耳がのぞく。
柚くんの耳。指で辿った記憶が蘇る。
柔らかい感触もくすぐったい髪も、全部覚えてる。心と身体が、全部覚えてる。
目を伏せて言い聞かせる。
あおい、プライドを持て。
心を殺して、自分を奮い立たせた。
「元気そう、だね…」
何気ないふりで話し掛けると、
とん。
グーで頭のてっぺんをこづかれた。
「…ばか」
柚くんの綺麗な瞳が揺れている。
なんで。
柚くんの声は甘く響くのかな。
なんで。
柚くんの手は優しく感じるのかな。
なんで。
もうどうにもならないのに再会しちゃったんだろう。
1
お気に入りに追加
319
あなたにおすすめの小説
【改稿版・完結】その瞳に魅入られて
おもち。
恋愛
「——君を愛してる」
そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった——
幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。
あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは……
『最初から愛されていなかった』
その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。
私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。
『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』
『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』
でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。
必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。
私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……?
※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。
※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。
※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。
※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
再会したスパダリ社長は強引なプロポーズで私を離す気はないようです
星空永遠
恋愛
6年前、ホームレスだった藤堂樹と出会い、一緒に暮らしていた。しかし、ある日突然、藤堂は桜井千夏の前から姿を消した。それから6年ぶりに再会した藤堂は藤堂ブランド化粧品の社長になっていた!?結婚を前提に交際した二人は45階建てのタマワン最上階で再び同棲を始める。千夏が知らない世界を藤堂は教え、藤堂のスパダリ加減に沼っていく千夏。藤堂は千夏が好きすぎる故に溺愛を超える執着愛で毎日のように愛を囁き続けた。
2024年4月21日 公開
2024年4月21日 完結
☆ベリーズカフェ、魔法のiらんどにて同作品掲載中。
不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする
矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。
『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。
『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。
『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。
不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。
※設定はゆるいです。
※たくさん笑ってください♪
※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!
ロザリーの新婚生活
緑谷めい
恋愛
主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。
アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。
このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。
社長、嫌いになってもいいですか?
和泉杏咲
恋愛
ずっと連絡が取れなかった恋人が、女と二人きりで楽そうに話していた……!?
浮気なの?
私のことは捨てるの?
私は出会った頃のこと、付き合い始めた頃のことを思い出しながら走り出す。
「あなたのことを嫌いになりたい…!」
そうすれば、こんな苦しい思いをしなくて済むのに。
そんな時、思い出の紫陽花が目の前に現れる。
美しいグラデーションに隠された、花言葉が私の心を蝕んでいく……。
極道に大切に飼われた、お姫様
真木
恋愛
珈涼は父の組のため、生粋の極道、月岡に大切に飼われるようにして暮らすことになる。憧れていた月岡に甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、教え込まれるように夜ごと結ばれるのも、珈涼はただ恐ろしくて殻にこもっていく。繊細で怖がりな少女と、愛情の伝え方が下手な極道の、すれ違いラブストーリー。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる