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3章. ゆい
machi.50
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「久しぶりね」
翔の妊娠を告げて以来、4年ぶりに会う母は、どことなく小さくなったように感じた。
母が、稜さんのマンションを訪ねてきたのは、3月も終わりの桜が咲き始めた頃だった。一連の報道を見て、上京し、病院に訪ねてきたところを、稜さんが連れてきてくれたのだ。
「ゆい、ごめんね…」
警戒した翔を抱いたままの私に、母が腕を回す。
「もう、いいわ。もう、いいのよ…」
私の肩に顔を埋めたまま、母は涙声で細い肩を震わせた。
親を泣かせることなんて、しないと思っていた。
ずっと、地味で真面目で平凡な、「イイコ」だった。
なのに、大人になって思い出すのは、母の泣き顔ばかり。
それでも、私は。
今でもやっぱり、あの日の自分を後悔しない。
あれは私の平凡な人生に訪れた奇跡の夜だった。
「ゆい。よく頑張ったね」
ひとしきり泣いた母は、リビングで少し照れたように翔を撫でた。
「お父さんが、迎えに行って来いって言うの。…もう、充分だって。
私たちまでゆいを責めなくて、いいんじゃないかって」
母が涙に濡れた目で、私を見た。
「本当に一人で頑張るとは思ってなかったわ。
一人で子どもを育てるなんて大変だから、私もお父さんも、そのうち根を上げて帰ってくると思ってた。なのに、毎月、学費まで振り込んで、本当に…」
軽く首を振ると、寂しそうに笑った。
「こんなことになって、…あなた、本当に彼が好きなのね」
母の言葉は、行き場を求めてさまよっている私の気持ちを揺らし、
また、泣きそうになって、慌てて唇を噛んだ。
私の中はまだ悠馬でいっぱいで、ほんの少しでも揺らされたら
想いが涙になって溢れてしまう。
母はともかく、一度実家に戻ってくるように言って
翔を抱きしめ、帰って行った。
それがいいのかもしれない。
いつまでも、稜さんに甘えて、マンションに閉じこもっているわけにはいかない。
杏子師長からも、別の職場を世話してくれると言われている。
「秋田か。…遠いな」
実家に帰ろうと思っていると告げると、
稜さんは私を抱きしめてうなった。
「確かに、一度東京を離れたほうがいいかもしれないけど…」
稜さんの腕に力がこもる。
「会いに行くよ」
稜さんは思案するように私の髪をなでて、
「ゆい。もしも…」
聞こえないくらい小さく息を吐き、額にキスしてくれた。
その先を言わないのは、多分稜さんの優しさなんだと思う。
マリカちゃんも言っていた。
いつも、私を励ましてくれた広くて温かい稜さんの腕の中。
寂しさも切なさも悲しさも、包んでくれた大きな腕。
私は一人じゃない。
稜さん、杏子師長、マリカちゃん、…
みんなが支えてくれたから翔と歩いてこれた。
だから大丈夫。
これからも、きっと大丈夫。
桜の花が満開に咲いた日、
私は翔と共に、悠馬と出会った東京を後にした。
翔の妊娠を告げて以来、4年ぶりに会う母は、どことなく小さくなったように感じた。
母が、稜さんのマンションを訪ねてきたのは、3月も終わりの桜が咲き始めた頃だった。一連の報道を見て、上京し、病院に訪ねてきたところを、稜さんが連れてきてくれたのだ。
「ゆい、ごめんね…」
警戒した翔を抱いたままの私に、母が腕を回す。
「もう、いいわ。もう、いいのよ…」
私の肩に顔を埋めたまま、母は涙声で細い肩を震わせた。
親を泣かせることなんて、しないと思っていた。
ずっと、地味で真面目で平凡な、「イイコ」だった。
なのに、大人になって思い出すのは、母の泣き顔ばかり。
それでも、私は。
今でもやっぱり、あの日の自分を後悔しない。
あれは私の平凡な人生に訪れた奇跡の夜だった。
「ゆい。よく頑張ったね」
ひとしきり泣いた母は、リビングで少し照れたように翔を撫でた。
「お父さんが、迎えに行って来いって言うの。…もう、充分だって。
私たちまでゆいを責めなくて、いいんじゃないかって」
母が涙に濡れた目で、私を見た。
「本当に一人で頑張るとは思ってなかったわ。
一人で子どもを育てるなんて大変だから、私もお父さんも、そのうち根を上げて帰ってくると思ってた。なのに、毎月、学費まで振り込んで、本当に…」
軽く首を振ると、寂しそうに笑った。
「こんなことになって、…あなた、本当に彼が好きなのね」
母の言葉は、行き場を求めてさまよっている私の気持ちを揺らし、
また、泣きそうになって、慌てて唇を噛んだ。
私の中はまだ悠馬でいっぱいで、ほんの少しでも揺らされたら
想いが涙になって溢れてしまう。
母はともかく、一度実家に戻ってくるように言って
翔を抱きしめ、帰って行った。
それがいいのかもしれない。
いつまでも、稜さんに甘えて、マンションに閉じこもっているわけにはいかない。
杏子師長からも、別の職場を世話してくれると言われている。
「秋田か。…遠いな」
実家に帰ろうと思っていると告げると、
稜さんは私を抱きしめてうなった。
「確かに、一度東京を離れたほうがいいかもしれないけど…」
稜さんの腕に力がこもる。
「会いに行くよ」
稜さんは思案するように私の髪をなでて、
「ゆい。もしも…」
聞こえないくらい小さく息を吐き、額にキスしてくれた。
その先を言わないのは、多分稜さんの優しさなんだと思う。
マリカちゃんも言っていた。
いつも、私を励ましてくれた広くて温かい稜さんの腕の中。
寂しさも切なさも悲しさも、包んでくれた大きな腕。
私は一人じゃない。
稜さん、杏子師長、マリカちゃん、…
みんなが支えてくれたから翔と歩いてこれた。
だから大丈夫。
これからも、きっと大丈夫。
桜の花が満開に咲いた日、
私は翔と共に、悠馬と出会った東京を後にした。
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