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第2部 『華胥の国の願い姫』
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しおりを挟む「ほらほらなんのためにベンチを運んだと思ってるんですかグラス一杯程度兄さん達にとってはジュースと同じでしょう?小鳥ちゃんの為にも一緒に座って下さい。ここは先生の素晴らしい防護魔法があるので護衛が必要ありません、ほらクラウスも座って座って。」
ベンチは空いているのに立ったままの騎士ふたりをルシウスさんが誘ってくれたお陰でアルフ様の向こう側にユリウス様が、俺の隣にはクラウスがグラスを手に座る。
そしてユリウス様の隣に座ったルシウスさんが自分の分の桜酒を用意したところでアルフ様がグラスを掲げた。
「では今宵も変わらず美しいトウヤの咲かせた桜に。」
俺が言ったら笑われそうなキザなセリフも絵本から抜け出した様な本物の皇子様ではなんの違和感もない。
そんな人ばかりが見守る中少しだけ口に含んだ桜酒は色が似せてあるだけで桜の味も香りもなかったけれどアルコールに混ざった柔らかなフルーツの香りとスッキリとした甘さが口の中に広がった。
「美味しい…。」
「トウヤはこの味が好きか、覚えておこう。」
俺の感想を見届けたアルフ様はグラスの桜酒をひと息に飲み干すとキレイに整えられた髪をグシャグシャと崩してしまった。
「あ~ようやく今日で桜祭りも終わりだ、これでなんとか一段落というところだな。トウヤは祭りに行ったのだろう?どうだ楽しめたか?」
「はい人が沢山で凄く賑やかでした。子供達も凄く楽しんでました。」
「そうか、トウヤが桜を咲かせた反響があまりにも大きく街の警備が整うのに時間がかかってしまった、しばらく外に出してやれなくてすまなかったな。子供達には窮屈だったのではないか?」
「そんな事ありません、ここのお庭も充分広いので子供達と一緒に工夫して毎日楽しく遊んでましたから大丈夫です。」
確かに退屈さから散歩に出たがる事はあったけれど退屈の原因は外に出られないからじゃなくマリーとレインがいないからでその喪失感を埋めるべくお互いに日々頑張ってる。
だから俺も子供達も本当に平気なのにアルフ様は「そうか」と言いながら慰めるように俺の頭をよしよしと撫でてくれる。俺としてはその頑張りを褒めてもらったみたいで嬉しかった。
「アルフ様は大変でしたか?」
俺の事ばかり気遣ってくれるけれど再び桜酒の満たされたグラスを傾けるアルフ様はどうだったのだろう。
「それはもう大変だったぞ、信じない者をどう納得させるかと前日まで散々論議して描いた戦略をトウヤにいい意味ですべてひっくり返されたからな。おかげで奇跡を起こした『失われた皇子』をひと目見たいと言う者達を窘めるのに随分と骨が折れた。」
素直に大変だと言いながら首元のタイと装飾に紛れた留め金を外し上着を少し着崩した。
でもその顔は確かに笑っている。
アルフ様が言う遥かに超えた反響もだけどその桜が手折ると消えてしまう事もアルフ様や王様をはじめ宰相様やリシュリューさんのようなお城で働く人達がずっと忙しく対応していたに違いないのにやっぱり褒めてもらってる気がして嬉しさと申し訳無さが混じり合う。
「ただひとつ残念に思うのはトウヤに対する数多の称賛の言葉を直に聞かせてやれなかった事だな。」
アルフ様がため息混じりにそんな事を言えばユリウス様は「ああ」と頷きルシウスさんが「ホントにね」と残念そうに笑った。
そう言ってくれるのは嬉しいけれどお披露目式で精一杯だった俺にはそんな大役は難しいから忙しくしていたアルフ様達には申し訳ないけれど『桜の庭』で子供達と楽しく遊び暮らさせてもらえて良かったと思う。
それにちゃんと沢山褒めてもらった。
「ここにいてもちゃんと聞けましたよ。大勢の人が私の咲かせた桜を凄いって綺麗だって褒めてくれました。それに街の人が私のことを『桜の皇子様』と呼んでくれました。初めてその呼び名を聞いた時どうしてかと訪ねたらその人はもう『失われた皇子』じゃないからって言ってくれて凄く嬉しかったです。」
クラウスが連れ出してくれたお祭りの中で沢山の人の声を聞いたけれどスノードームのおじさんがそう言って俺がここに存在することを認めてくれた事が忘れられない。
「『桜の皇子』かそれは良い。だがそれだけでは足りぬ、トウヤがもう少し自分の立場に慣れたらその時には共に聞こうな。」
「はいアルフ様。」
捨て子だった俺がこのフランディールで100年も愛されている絵本の中の皇子様。元ガーデニアの第一皇子で今は『桜の庭』で働くフランディール王国唯一の治癒魔法士冬夜=桜木=ガーデニア公爵。
そんな立場に馴れる日がいつかくるだろうか。
「なんだ今日は『お兄様』とは呼んでくれないのか?」
「えっ!…と、その…。」
今日は、と言われても今までに呼べたことはない。
それにアルフレッド様を『アルフ様』と呼ぶ事も馴れなれしい事だと思うのにいくらここに揃った面々の末っ子として迎え入れてられたとはいえ本当にそんな風に呼んでもいいのだろうか。
隣に座るクラウスに投げた視線は受け流された、ということはこれは俺が決めるべき事。悩む俺に助け舟を出したくれたのはユリウス様だった。
「無理強いは嫌われますよ第一皇子様、だから弟君達に嫌がられるのです。」
「何を言うトウヤも私の弟なのだからこれは正当な権利だ、それに新年が明けてからずっとトウヤの代わりに各方面の相手をしてきたのだかこのくらいの褒美はもらって良いだろう。ほら呼んでみろ。」
「立場を利用するなど論外です、いくら仮初めの兄とは言えこの国の第一皇子様をそのように呼ぶのは難しいものです……だがトウヤ、私は名実共にトウヤの義兄になるのだから兄と呼んでいいんだぞ。」
味方だと思ったのも束の間、ユリウス様はクラウスによく似た顔で口元を少しだけ緩めながら助け舟どころか同等の要求をしてきたからびっくりした。
だけどそれが末っ子としてではなくクラウスの伴侶と認めてくれているからだと気付いたら嬉しくて照れくさくて、クラウスと目が合えばどちらからともなくお互いに顔が緩んでしまった。
「立場を利用してるのはどっちだ!お前がクラウスの兄だと言うなら私だってクラウスの従兄だぞ!」
「なんですかそれ、私がクラウスの兄であることは事実です。」
「お二人共、今日は小鳥ちゃんを困らせに来たんですか?」
こちらの仲良しのはとこ同士の小競り合いは未だ収まらない。だけどそれも楽しくて今日の仲裁はルシウスさんお任せしてグラスを傾ければ桜酒が咽を通り過ぎたあたりで左手首のお護りがほわりと光る。
「どちらも付き合いが浅いのに立場だけでその称号を得ようというのは欲深いですね、兄と呼んで欲しいなら私のように名実ともに兄らしい事をしないと。」
「十分してると思うが?」
「それはフランディールの皇子としてでしょう?もっと小鳥ちゃんに近くなくては。私の場合はほら今だって一緒に桜酒を飲むのに貢献しているでしょう?」
そう言ってルシウスさんが指さしたのはクラウスとこっそり繋いだ左手。
途端にニヤニヤとアルフ様が笑うから慌てて離そうとしたけれどクラウスの大きな手にいじわるされてお酒には酔わないはずなのに頬が熱い。
「ではトウヤ、なにか望みを言ってみろ。」
「望み?」
「ああそうだ願い姫の願いを私が直接叶えてやるぞ。」
「もう沢山叶えてもらいました。今日だって一緒にお花見をしに来てもらえて凄く嬉しいです。」
安心して『桜の庭』に関わっていられる事もクラウスがそばに居ることも一緒に桜が見たいと呟いた些細な願いだって叶えてもらっているのにこれ以上何を望めと言うのだろう。
「相変わらず欲がないな。……ではそうだなこの先トウヤのしたい事を言ってみろ。」
したいことなら沢山ある。この世界の事をちゃんと知りたいしもちろん魔法の勉強もしたい。だけどそれは自分でやらないと意味がない。
「ではまた来年も一緒にお花見してください。」
「そんな事でいいのか?」
欲がないなんてアルフ様はわかってない俺はすっごく欲張りなんだ。
だってフランディール王国第一皇子様に王国近衛騎士隊長、それから次期王国魔法士長に向かって同時に自分のために時間を作れなんてこんな贅沢な願いはない。
でも来年のことだから許してくれるかな。
「では時間ができ次第また来よう、トウヤが王城に来るのもいいぞ主役不在の花見の茶会に母上が残念がっているからな。常春のガーデニアの様にこのまま咲き続けるならば花見などいつでも出来る。」
「え…それはちょっと困ります。」
「何故困るのだ。」
「だって桜は春に咲くから素敵でしょう?」
春を彩る桜が好きだ。
この世界の新しい年の始まりが春ならばやっぱり桜がよく似合う。
だけど役目を終えて散りゆく桜も好きなんだ。
雪のようにひらひらと舞い落ちる花びらや春風に煽られて飛ぶ花吹雪、水面に浮かぶ花筏も花が散るからこそ見れるのだから。
それに花が終えたら代わりに葉が生茂り夏には子供達の日よけに丁度良い大きな木陰を作るだろう。その深緑が夏の空によく映えて凄く素敵で教室の窓から飽きる程眺めていたけれどあの夏空はクラウスの瞳の蒼色によく似ている。
そして秋になって赤や黄色に変わって再び季節を彩ったあとに訪れる冬枯れの桜もまた自分の名前をなぞらえる様で好きなんだ。
桜ひとつをとっても四季それぞれの美しさがあるのだからこの世界の四季の美しさを見られないなんてつまらない。
今年は俺が無理やり咲かせてしまったけどまたこれからの1年間、春夏秋冬を経て力を蓄えたら次の春に再び美しく咲いて欲しい。
それを望むのはきっと俺だけじゃないから。
そう思いながら今もたわわに咲く桜を見上げたら不意に強い風が吹いた。
「わっ!」
「大丈夫か?凄い風だったな。」
「うん平気、でもびっくりした。」
驚いて目を瞑ったけど被害を被ったのは髪の毛だけでそれは何故かと言えばクラウスが腕の中に俺を抱き入れてくれたからだった。
乱れてしまった俺の髪をクラウスが手櫛で梳いてくれて大きな手で優しく髪を撫でるその肩に桜の花びらがひらりと舞い落ちて来た。
何気なく指でつまむと光の粒になって消えてしまったその花びらの落とし主を見上げたのはクラウスと同時。
「……う…わぁ。」
ひとひら、ふたひらと音もなく枝を離れた花びらが風に誘われまるでノートンさんが見せてくれた光の蝶みたいにほの白く輝きながら夜の空に次々と舞い上がってゆく光景がそこにあった。
「これはまた幻想的だな。」
「素晴らしい演出ですね。どうやら願い姫の願いを叶えるのは桜の木に先を越されたみたいですよアルフレッド様。」
俺は立ち上がったクラウスの腕の中。ユリウス様もルシウスさんも立ち上がりぐるりと庭を見回せばどの枝からも飛び立つように桜が舞っていた。
「これで終いだと思ったのにここに来てやってくれたな。戻るぞユリウス、ルシウスお前もだ!」
しばらくの間声もなくのけぞるような姿勢でベンチに背中を預け桜が舞う空を見上げていたアルフ様は立ち上がると同時に二人の名前を呼んだ。
「私もですか?」
迷惑そうに眉をひそめるルシウスさんをアルフ様が睨みつける。
「当たり前だろう、お前でなくて誰がこれを説明するのだ。」
「あの……ごめんなさいこんなつもりじゃ…。」
もう誰がなんと言おうと犯人は俺しかいない。
服を整えたらすぐにでも『桜の庭』を出ようとしているアルフ様に駆け寄って謝りたかったけれど抱き上げたままクラウスが離してくれない。
「何を言う桜まつりの最終日に桜が散るなどこれ以上に最高の幕引きはないだろう、よくやったトウヤ。」
「アルフ様…。」
「気分はどう?新たな魔法の痕跡は見当たらないから最初から仕込まれてたのかもだけどわかんないからまた三日くらいは安静にね、その間これでも飲んでゆっくりしててよ。まぁ必要ないかもだけどね~。」
そう言ってルシウスさんがクラウスにお姫様抱っこされたままの俺のお腹に乗せたのはまたまた大量の回復ポーションだった。
「でもこんな時間から王城に戻って大忙しだから応援の言葉が欲しいかなぁ兄さん達もそう思いませんか?」
にんまりと笑ったルシウスさんにアルフ様だけじゃなくユリウス様まで同調する。
「ルシウスの言うとおりだ。」
「確かに。」
「ほらほら」とルシウスさんにセリフまで耳打ちされたらもう言うしかなくて。
「頑張って下さい…お、お兄様!」
俺待ちという羞恥の中で絞り出した声は思ったよりも大きくて自分でびっくりしたけれどアルフ様とユリウス様とルシウスさんが笑顔で「任せておけ」と声を合わせて応えてくれた。
それからルシウスさんの魔法で姿を消して正門を通り抜けた時、お披露目式の時みたいな拍手と歓声が上がっているのを少しだけ聞かせてもらい凄く嬉しくなった。
お兄様達を見送った後はクラウスに抱きあげられたまま執務室へ向かって、話を聞いて窓の外を確かめたノートンさんからは三日間の休養を言い渡された。
それから俺は一歩も床に足を着けることなく新居に連れられ、翌朝にはひとひらの花弁も残さず消えた桜の枝に柔らかな若葉が芽吹いていた。
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