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前夜の出来事
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しおりを挟むクラウスの話 王都編㉚
「冬夜、せっかく心地よく眠ろうとしている所起こして悪いが部屋に着いたぞ。眠ってしまうなら着替えた方がいいだろう。」
部屋に連れ帰りしばらく悩んでから冬夜に声を掛けた。
起こすことを選んだのは俺のわがままとも言える。思っていた程傍にいられなかった今日、もう少しだけ俺を見て笑う顔が見たい、俺の名前を呼ぶ声が聞きたい。
「いけない、着替えないと借りた服がしわくちゃになっちゃう。ありがとうクラウス。」
眠そうに目をこする冬夜をそっと床に下ろすと部屋を見回しテーブルに置いたカバンに手を掛けた。
「クローゼットの物は使わないのか?」
「あ、うん。ちゃんと持ってきたからわざわざ借りなくても大丈夫だよ。」
それが当たり前だと言う顔に「冬夜らしい」と感じた。
この部屋のすべてが冬夜の物であり好き勝手していいなんて思いもしないのだろう。あの忙しい首席補佐官殿が準備してくれたこの部屋のクローゼットの中身はしばらく出番がなさそうだ。
部屋を移り、なんとなく冷える感じがして首元を擦るとさっきまで冬夜が顔を埋めていたせいか花の香りをほのかに感じ同時に先輩騎士の叱責を思い出した。
『護衛対象の前で揺らぐな。』
そう言われても俺にとって冬夜はただの護衛対象じゃない。なのに強引に護衛から外された挙げ句どう見ても湯上がりで戻ってきたら動揺するなと言う方が無理だ。
手入れを受けた髪はいつもより黒を増し白い肌を浮き立たせる。その頬をほんのりと紅潮させながら『王妃様と一緒に風呂に入った』と告げられ焦る俺をよそに緩みきった顔でへにゃりと笑い身体に合わず大きく開いた襟元をバタつかせ甘い香りを振りまいた。
シャツから覗く白い肌に誘うような濡れた唇。色香にあてられ喉がゴクリと鳴った。
誰にも見せたくなくて思わず手をのばすとあっさりと受け入れた冬夜はよほど眠かったのか首元に顔を埋めるとあっという間に寝息を立て始めたのだけれどわずかな残り香であの時に触れた肌と溢れる吐息を思い出すなんて『指導不足』と言われても仕方ないかもな。
「俺以外誰もいないんだから座ってていいのに。」
気を引き締めるためガーデニア両陛下の肖像画の前で自分を律していた俺を着替えを終えた冬夜のねぎらう言葉が少しだけ後ろめたい。
ふたりきりとなった冬夜の前でただでさえ騎士であり続けるのは難しい。そうでない事を望まれたら尚の事目の前の可愛い恋人を抱き締めてしまいたい気持ちが抑えられるはずもなく、遠慮なく抱き上げれば揺れた髪から花の香がふわりと漂い鼻をくすぐった。
「王妃様の事は信用してるし冬夜も気分良さそうにしてるから嫌なことはされてないんだろうがお茶を飲むだけだと思ってたのになんで一緒に風呂に入る事になったんだ?」
「ごめん俺の言い方がおかしかった。そうじゃなくてその……王妃様のお手入れしてる横でお風呂に入れてもらったりマッサージしてもらったんだ。それが人前に出る子に母親がすることなんだって言ってくださって……。」
貴婦人の手入れと言われればすることの想像はつくがたとえ誰だろうがこの肌を見て触れたことが腹立たしい。もちろんそれを許した事もだが兄達の弟扱いにはにかみ、院長に『うちの』と言われ顔を蕩けさせる冬夜が王妃様に我が子の様に扱われたとしたらそれは冬夜にとって殺し文句に等しくこの笑顔にも納得だ。
「だからあんなにご機嫌だったのか。」
「髪もびっくりするくらいサラサラで伸ばしっぱなしだったのも少し整えて貰ったんだよ。肌もすごくすべすべなんだ、触ってみる?」
嫉妬を隠し理解ある恋人然とした態度を取れば蕩けた笑顔で自慢げにその身を差し出した。
「冬夜はもともと美しい髪に綺麗な肌をしてる。」
やり過ごそうとしたのに「ほら」と差し出され触ることを余儀なくされた。
手入れを受け一層なめらかなこの肌を指先で首元まで撫でたらどんなだろうか。
冬夜の無防備な仕草に他意などあるはずがなく掻き立てられた欲望を鍛えた理性で慌てずに抑え込む。だけどこうして触れてしまえば案外限界が近い事に否応なしに気付いてしまった。
起こすことを選択したのは間違いだった。さっさと俺から遠ざけなくては。
「もう風呂も済ませたなら湯冷めする前にベッドに入ろう。」
「……うん。」
そうする事が冬夜の為でもあるというのに伏し目がちで小さな唇を尖らせ不満げに返事をする。愛らしい仕草がたまらず目の前の額に口付けてしまった。
その肌触りにもっと触れていたくなってしまうがこれ以上はダメだ。
湯上がりの滑らかなこの肌にほんのわずか触れただけであの夜の熱を思い出してしまうのだから随分飢えたものだと自分でも思う。
一度許されてしまったこの身体に隅々まで口づけ思う存分かき抱いて柔らかい場所を押し開き快楽に戸惑いながら零す甘い声をもう一度聞きたい。
「……クラウスはどこで寝るの?」
煩悩を打ち消し椅子を引き寄せそこに座ると今日1番残念そうな顔を見せた。
護衛の為近衛騎士全員が対象の情報を共有しているから俺達の関係も勿論知られている。だからこそ今夜は冬夜に付いてこの部屋で朝まで過ごす事が許されている。この部屋は安全で共寝をしてもなんら支障はないけれど文字通り磨き上げられ美しく整い無自覚に俺を誘う冬夜を腕に抱いて手を出さないでいられる自信がない。
『王妃様からの伝言だ、「明日のためにせっかく磨いたのだから今宵の手出しは許さぬ」だそうだ。まぁ職務中だから当然だけどな。』
廊下で挨拶をさせて頂いた時は新人の俺が冬夜の護衛騎士になったのを疑問に感じていた様に思えたけれどきっと理由を話したんだろう。
伝言と言う名の命令がなければこの可愛いお誘いできっと陥落していた。
「冬夜が眠ったら宿舎へ戻るよ。ほら目を閉じろ、いつも眠る時間を過ぎてる。」
知ってしまってからのお預けが長すぎて今の俺は冬夜の仕草の一つ一つに煽られてしまうから本当にやっかいだ。
掛布を引き上げその悩ましい姿を視界から隠す。頼むからさっさと眠ってくれ。
「……うん、おやすみクラウス。」
「ああ、おやすみ。」
『桜の庭』の逢瀬の別れ際は望み望まれるまま口付けたけれど欲望をぎりぎりで抑え込んでいる今、あの誰にも見せたくない可愛い顔をされてしまうのは困るからおやすみの口付けも今夜は額にするべきだ。
つややかな黒髪は指先で触れるとするりと流れ形の良い額をあらわにする。
今夜許されるたった一つの場所に狙いを定め近づけばほんの僅かに遠ざかった。
それは冬夜が俺の口付けの行方を追いかける視線につられて顎を上げたからだった。
美しい黒曜石の瞳を揺らし、濡れた赤い唇を小さく開けた物欲しげなその顔に目が釘付けになる。
「その顔は反則だ。俺に命令違反させるつもりか?」
俺がなんとかやり過ごそうとしてるのにこう何度も煽られてしまえばいっそ腹立たしく感じてしまうのは仕方ないんじゃないだろうか。柔らかな下唇を押し上げて俺を誘う口を閉じさせるがそれは失敗だった。
「め、命令違反ってなんの事?」
散々仕掛けてきておいてその上とぼけたふりをしながら喋るせいで冬夜の唇がなぞる俺の指を啄みその舌先が触れる。
じっと見つめる黒曜石が俺の心を覗き込み抑え込んだ欲望を暴き立てる。これだけ煽られたら耐える自分が流石にバカらしくなってきた。
「強引に攫われて好き勝手されてその上こんな可愛い『よめさん』に誘惑されて俺だけ我慢だなんてどんな嫌がらせだ。」
「誘惑なんてしてない、俺はただいつもみたいにクラウスと一緒に眠れたらなって思って。でも仕事中だし俺だって我慢しようって……ぅんっ。」
言い訳の言葉ごと唇を飲み込めば甘い舌先がもっとよこせと絡みつき俺の首にしなやかな腕を絡ませる。
我慢?どこが?この嘘つきめ。
息切れするのも構わず唇に食らいつき甘い舌を絡め取り煽られ続け我慢を強いられた分、思う存分貪った。
欲望に抗えなかった俺は更に欲張りな『およめさん』に応えるため爪を傷めないよう飾釦の連なる騎士服を脱ぎブーツも脱いで引き寄せられるままベッドに上がり細い身体を抱き入れていた。
身体を預けきり手放す気などないくせに「戻らないのか」と問うなんていつからこんなにあざとくて可愛いのだろうか。陥落させられたけれどお陰でもう離れて眠る理由もない。
「……キスまでなら良いよな。」
手入れの尽くされた肌には触れていない。最低限の命令違反は回避した筈だ。
「うん、俺不安だよ。不安で眠れそうにないからクラウスが朝までこうしていて。」
俺以外に見せないだろう甘えた顔を胸にくっつけると幸せそうに笑ってそのまま目を閉じた。
最後の最後まで俺を煽り倒した冬夜を残りの理性で掛布でぐるぐる巻にしたは良いがさて。
「───どうすんだこれ。」
満足そうに眠る冬夜に反して冷めない熱を抱えた俺は一言文句を口にしなければ気がすまない。
まさに苦行。だけどこの腕に幸せに満ちた顔で眠る冬夜を抱きしめている事が幸せで心が満たされるのを感じながら小さな寝息に誘われ瞼を閉じた。
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