私は貴方に堕ちている

夕香里

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前編

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ハリントン家の美しい花々が咲きほこる庭園。
 その一角にある東屋で、本を読みふけている青年に一人の令嬢は話しかけた。

「エド、聞いてらして?」
「んー? 聞いてるよ」

 エドと呼ばれた青年はシルバーの髪を少し揺らしたが、金の瞳は書物に書かれた文字を追い続けている。

 そして何事も無かったかのようにペラリと次のページを開き、すぐに本の世界へと戻っていってしまった。

 私はそれが気に入らなくて、向かいに座っている彼に手を伸ばし、の書物を掻っ攫う。

「あっちょっとロティ……」

 ようやく顔を上げたエドは少し気だるげに視線を合わせた。

「返さないわよ元々この本は私の家の物だし、続きが読みたいなら私の話を聞く事ね」

 ふんっと首を横に向けると正面からため息がこぼれる。

「……だってまたデビュタントの話でしょ? ロティは何でも着れるからどれでもいいと思うよ。ほら、本を」

 話は終わりだとばかりに、するりと手を伸ばされて慌てて書物を後ろに隠す。
 少しも掠らなかった彼の手が、その本を渡してとクイッとジェスチャーをしたが、私は返すつもりがない。

「だから貴方の好みを聞いてるの! どれでもいいとか聞いてないの!」
「ロティの服装に興味ないし……別に……ロティなら──」

 どれでも似合うから。そう答えようとしたはずのエドヴィンの言葉。声が小さすぎて彼女には伝わらなかった。

「────興味無い? そうね、本の虫のエドに聞いたのが間違いだったわ」

 我ながら思ったよりも冷たい声が口からこぼれる。その声を聞いて、エドはしまったという風に表情が固まっている。

「あっロティ!」

 私は本を東屋のテーブルにそっと置いて脱兎のごとくその場から逃げ出した。

 生温い風が、プラチナブロンドの髪を掬っては後ろに流す。

 分かってる。エドヴィンの中では私はいつも付きまとうめんどくさい親の縁で結ばれた婚約者。

(彼が私に対して笑ってくれることなんてないもの……)

「……エドのバカっ! アホ!」

 先日、子息令嬢たちが話していた会話が蘇る。

『エドヴィン・ハリントンは、シャーロット・カーディナルが婚約者で可哀想』
『あのシャーロットのせいでエドヴィン様に近づけない』
『シャーロットは邪魔者』

 それをドア越しに聞いてしまった私は鈍器で殴られたかのような衝撃が走った。

 薄々気が付いていたが、やはり周りから見ても私は彼と釣り合ってないのだろう。先程も言ったように彼は私と話していても笑ってくれない。
 話しかけても本を読むのを優先されてしまう。それぐらいなのだ。彼の中で婚約者である私の存在は。
 
 涙が溢れそうになるのをグッと堪えて迎えの馬車まで歩みを進める。
 途中、一瞬淡い期待を抱いて「もしかしたらエドヴィンが追いかけてきてくれてるかも……」と振り向いてみたが、静まり返った廊下には人影さえもない。

「バカバカバカっ! 普通追いかけてくるでしょうが! 何もエドは分かってないわ! いつも本ばっかり読んでるくせに!」

 そうして私は馬車まで全速疾走した。


◇◇◇



 私は小さい頃、お転婆娘と呼ばれていた。そう呼ばれていたのも理由がある。

 それは私が普通の貴族令嬢のようなお淑やかさが嫌いで、侯爵邸の庭をお兄様と走り回ったり土いじりをしたり、普通の令嬢ならしないようなことばかりをしていたからだ。

 お父様とお母様には最初は叱られていたが、途中から諦めたのか何も言ってこなくなったので私は大いに土いじりをした。

 勿論、勉強や貴族としての嗜みはちゃんと身体に身につけている。ただ、それよりも土いじりとかの方が楽しかっただけで。

 そんなお転婆娘だった私にも婚約者が出来たのが七歳の時。

 お父様の友人であるハリントン公爵とお父様は、家柄も、年齢も、釣り合いの取れている私たちをちょうどいいだろうと婚約させた。

 私もいつかは婚約しないといけないし、まあお父様が選んだ方なら大丈夫だろうと反対はしなかった。それに七歳だったからというのが、どのようなものなのか分かってなかったのもある。

 初めてエドヴィンに合った時はなんて綺麗な人なのだろうかと幼いなりに思ったものだ。

「お初にお目にかかります。カーディナル侯爵家長女、シャーロット・カーディナルです」
「こんにちは、僕はエドヴィン・ハリントン。これから宜しくね」

 日光が当たったシルバーの髪は輝き、月のような金の瞳を優しく細めるエドヴィン。私は見蕩れてしまって一瞬固まってしまった。

「えっと……シャーロットさん?」
「っ失礼しました」
「大丈夫だけど……そうだ僕のことはエドって呼んでね」
「エドですね。それでは私のことはロティと」

 初対面の私は、まだ化けの皮が剥がれていないのでエドにはとっても大人しい令嬢だと受け取られていたらしい。

 お父様もそんな私を見てようやく大人しくなってくれると期待したらしいが、その期待は呆気なく散ることとなる。

 何故ならこの数日後、正式に婚約証明書を書くためにハリントン公爵がエドヴィンを連れて侯爵邸に訪れた際、庭でエプロン姿の私が土まみれになりながら土いじりをしている所を見てしまったからだ。

「あっ」

 しまった、まずい。と思った時には既に手遅れで、エドヴィンと視線が交じあう。

「……シャーロット?」

 私はすぐに手に持っていたスコップを放り投げ、室内へと走り出した。しかしハリントン公爵を迎えるために、エントランスに姿を現したお父様に呆気なく捕獲された。

「……ロティ、何をしてたのかな?」

「おっお父様、これはですねあのっそのっ」

 懸命に弁明を試みるが、みるみるうちにお父様の表情が悲しみに包まれていく。

「すまない……この通り我が娘はお転婆で目を離すといつもこうなんだ。エドヴィン君と婚約すれば直るかと思ったら……」
「はははっ良いじゃないか。元気な娘さんで」
「ほらっ! 公爵様もそう言ってますよお父様!」
「ロティ、君は黙っているんだ。普通の令嬢は泥まみれになりながら土いじりなんてしないんだよ。お願いだから大人しくなってくれ……」
「普通の令嬢になんてなりたくないです。私は私の好きなことを思う存分やりたいの」

 だってそうしないと人生楽しくないでしょう? と続けざまに言った。今思い返せばお転婆と言うよりだ。

「ふふふロティって面白い子なんだね」
「えっ」

 グリンと首を回して笑い声が聞こえた方を見るとエドヴィンが笑っていた。それが私が見た最初で最後の彼の笑顔。

「僕はそのままの君が────」

 あの後何かエドヴィンが言っていたが私は覚えていない。でも、言われて嬉しかった言葉だと思う。今思い出しても心が温まるから。

 それから十年、私達の関係に進展はない。

 強いて言うならば、私が彼をあっちこっちに引っ張っていくことぐらいだ。
 何故ならエドヴィンは本の虫で暇さえあれば本をずっと読もうとするから。

 まあそのおかげで彼は十七歳にして、他の子息よりも知識が豊富で王宮に勤め始めた。

 これは本当に凄いことで、王宮で文官として務めるのは最年少らしい。本人はあまりそこら辺を気にしていなくて、私の方が任命された時喜び、お祝いの品として万年筆とインク壺を送った。

 王宮務めが始まっても、僅かな休暇は本を読もうとするエドは婚約者の私を放ったらかしにする。
 そのため私から誘い続けた結果、周りから彼に付きまとうめんどくさい婚約者認定をされたらしい……。

 私から見ても、一方通行な片思いのようにしか見えなくてあながち間違ってないのだけれど。
 それに見てしまったのだ。彼がほかの女性といる所を。

 最初は目を疑ったが、お相手の令嬢は私も知っている方でそれに何よりエドヴィンが笑っていたのだ。
 子息達の噂話を聞いた時は鈍器で殴られたような感じだったが、こちらは鋭利な刃物で滅多刺しされたような感じだった。
 立っていられずに、思わずその場でしゃがみこんでしまうほど。

 だってお相手の令嬢はこの国1番の美しさで傾国の美女とも呼ばれているアマリリア・エルヴェス公爵令嬢だったから。

 容姿も、学力も、知識にも富んだパーフェクトヒューマンだ。私が勝てる部門など一つも残ってない。辛うじて爵位が等しいくらいである。

 で、なぜ私が二人の姿を目撃したのかというとお父様が忘れたものを王宮に届けに来たからだ。
 その際に中庭の東屋でワイワイと他の人も交えていたが、あの二人だけ雰囲気が違かったのを私は察知した。

「……私には笑ってくれないのに、他の人の前では朗らかに笑うのね」

 ポツリと呟いた言葉をかき消すように立ち上がって、お父様の元へ忘れ物を届けた。
 しかし見た光景がショックすぎてふらついてしまい、頭を何度も左右の壁にぶつけてしまう始末。

 見兼ねたお父様は少し休憩していきなさいと紅茶を注いでくれた。

 ゆらゆらと揺れる湯気と共に紅茶の水面に映る私の顔。とっても悲壮感が漂っていて、身内以外に見せられるような状態ではなかった。

「私は婚約破棄されるのかしら? 成人前ならば何回婚約結び直してもいいことになっているし」

 そうなのだ。この国は奇妙なことに成人前の婚約破棄・解消は悪い物とはされていない。婚約も何回結び直しても何も言われない。

 だから婚約破棄も十分にあり得る。

 私は彼の婚約者から転げ落ちる可能性を考えたくなくてかぶりを振った。そして忘れることにしたのだ。いつも通りのを演じられるように。

 こうして最初のデビュタントのドレスの話にもどる。

 デビュタントは十七歳の時で、対象の令嬢は最初は純白のドレスを着てダンスを踊る。そしてドレスにはワンポイントで色を付けられる。

 大方の令嬢は婚約者の瞳・髪・好きな色を入れるのだ。だから私はエドに聞いた。どんなドレスがいいと思う? と。

 それなのにあの回答……どうせ私の事なんてどうでもいいのだろう。ただ、だから親切にしてくれているだけで。

 そう思ってしまって私は馬車の中で我慢していた涙をポロポロと流した。
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