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番外編(1)
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──一目惚れだった。この子が欲しいと、心の底から恋焦がれたのは初めてだった。
シルヴィア・エバンス。朝露に濡れる菫のような透き通った瞳に、絹のように柔らかく毛先はふわっと緩く巻く白銀の髪。
風が吹けばつややかな髪が柔らかくなびき、甘い匂いが鼻をかすめる。口元を軽く緩めるだけで見た者を虜にさせるほど整った容姿に、身も心も奪われる。
それがレイノルドの最愛の婚約者だ。
自分より三歳年下。出会いのきっかけは些細な王宮での出来事だ。
迷子になっていた彼女を親元に返しただけ。だが、ひと目で恋に落ちた。
齢五歳の彼女を助けた別れ際に、ぎゅっとシャツの裾を掴んで「ありがとう」と言われた姿を夢にまで見て忘れられなくなってしまうほど。
侯爵家の嫡男として妻となる人物は家門に利益をもたらす人が選ばれるはずだったのを、両親に訴えて彼女以外では結婚しないと宣言してしまうくらいには、シルヴィアに堕ちていた。
そんな婚約者の理想的な殿方とは、「大人びて誠実そうな人」らしい。
レイノルドの本来の性格は喜怒哀楽がはっきりとしているし、何なら隠し事は苦手な人間だった。しかしそれを耳にして以降、落ち着いた人間になれるよう、感情を表に出さないような努力を始めた。
それにこんな重苦しい想いはシルヴィアに引かれてしまうだろう。
だから日々のレイノルドは己の身を焦がすほどの恋慕をひた隠しして、遠くからシルヴィアのことを目で追いかけている。
◇◇◇
「──今日もシルヴィアが一番可愛らしいな。微笑んでいる姿も美しい」
中庭で友人と談笑しながら昼食を頂いている婚約者を窓から見下ろしたレイノルドは、そのような独り言を呟いていた。
そんな声を拾ったジョナスはまたかと呆れた眼差しを彼に向ける。
「まーーたシルヴィアを眺めていたの? 毎日毎日よく飽きないというか、見つけるね?」
窓の外には小高い丘が広がっており、学園の生徒たちは心地よい風と降り注ぐ陽光を一身に受け止めつつ、思い思いの場所に座って昼休みを謳歌していた。
その人数は両手の指でも足りないほどで、特定の人を探すのは難しい。なのにレイノルドの目は易々とシルヴィアの姿を捉えていた。
「シルヴィアは他の者より可愛らしく美しい。だからすぐに見つけられる。ほら、今も」
仏頂面のまま彼が指し示した先には、一緒に居た友人らしき人物に花冠を被せられ、はにかむシルヴィアがいた。
その様子を見てふっと口元を弛めたレイノルドに、日頃から婚約者に対しての言動に不満を持っていたジョナスはポロリと零す。
「そうやって遠くから眺めて呟くなら本人に言ってあげればいいのに」
「シルヴィアに言えるわけないじゃないか。可愛いだなんて私が言ったらおかしいだろう?」
シルヴィアから目を離し、レイノルドはジョナスに向き直る。
「それにしまりのない顔になってしまう。それだけは絶対にダメだ。シルヴィアに幻滅されたら生きていけない……」
「彼女はそんなことで幻滅なんてしないだろうに」
「するさ。シルヴィアのこととなるとヘナヘナになる婚約者なんて引くに決まっている。現に私が彼女の理想的な婚約者になれていないから、あのような柔らかい微笑みを私には向けてくれないのだ」
「いや、お前の前でシルヴィアの表情が固いのは別の理由だと思うけど……」
話を聞いていないレイノルドに、ジョナスは埒が明かないと話を切りあげる。
「レイノルド、散々言っているが努力する方向を間違えているよ。シルヴィアに愛想を尽かされても俺は知らないからね。さあ、次は薬学の授業だ。移動しよう」
幸か不幸か。レイノルドは午後の授業でうっかり未完成の魔法薬を被り、一時的に記憶を失ってしまった。
きれいさっぱり過去を忘れ去ったレイノルドが医務室で目を覚ますと、目の前に見目麗しい令嬢が心配そうにこちらを覗き込んできた。
それだけでレイノルドはもう一度、彼女に恋をしたのだ。
そうして一週間後、自室で目覚めると同時に記憶を取り戻したレイノルドは頭を抱えた。
(…………あぁ失態だ。あんなに纏わり付かれたら誰だって嫌になるだろう。「こんな気持ち悪い人間だとは知らなかった。婚約を破棄したい」などと言われたら私はもう生きていけない)
走馬灯のように一週間の出来事が駆け巡る。
顔面蒼白になり寝台から中々降りられない。見かねた世話役が茫然自失のレイノルドを無理やり寝台から引っ張り出して、朝食の席まで連れていくほどだった。
シルヴィア・エバンス。朝露に濡れる菫のような透き通った瞳に、絹のように柔らかく毛先はふわっと緩く巻く白銀の髪。
風が吹けばつややかな髪が柔らかくなびき、甘い匂いが鼻をかすめる。口元を軽く緩めるだけで見た者を虜にさせるほど整った容姿に、身も心も奪われる。
それがレイノルドの最愛の婚約者だ。
自分より三歳年下。出会いのきっかけは些細な王宮での出来事だ。
迷子になっていた彼女を親元に返しただけ。だが、ひと目で恋に落ちた。
齢五歳の彼女を助けた別れ際に、ぎゅっとシャツの裾を掴んで「ありがとう」と言われた姿を夢にまで見て忘れられなくなってしまうほど。
侯爵家の嫡男として妻となる人物は家門に利益をもたらす人が選ばれるはずだったのを、両親に訴えて彼女以外では結婚しないと宣言してしまうくらいには、シルヴィアに堕ちていた。
そんな婚約者の理想的な殿方とは、「大人びて誠実そうな人」らしい。
レイノルドの本来の性格は喜怒哀楽がはっきりとしているし、何なら隠し事は苦手な人間だった。しかしそれを耳にして以降、落ち着いた人間になれるよう、感情を表に出さないような努力を始めた。
それにこんな重苦しい想いはシルヴィアに引かれてしまうだろう。
だから日々のレイノルドは己の身を焦がすほどの恋慕をひた隠しして、遠くからシルヴィアのことを目で追いかけている。
◇◇◇
「──今日もシルヴィアが一番可愛らしいな。微笑んでいる姿も美しい」
中庭で友人と談笑しながら昼食を頂いている婚約者を窓から見下ろしたレイノルドは、そのような独り言を呟いていた。
そんな声を拾ったジョナスはまたかと呆れた眼差しを彼に向ける。
「まーーたシルヴィアを眺めていたの? 毎日毎日よく飽きないというか、見つけるね?」
窓の外には小高い丘が広がっており、学園の生徒たちは心地よい風と降り注ぐ陽光を一身に受け止めつつ、思い思いの場所に座って昼休みを謳歌していた。
その人数は両手の指でも足りないほどで、特定の人を探すのは難しい。なのにレイノルドの目は易々とシルヴィアの姿を捉えていた。
「シルヴィアは他の者より可愛らしく美しい。だからすぐに見つけられる。ほら、今も」
仏頂面のまま彼が指し示した先には、一緒に居た友人らしき人物に花冠を被せられ、はにかむシルヴィアがいた。
その様子を見てふっと口元を弛めたレイノルドに、日頃から婚約者に対しての言動に不満を持っていたジョナスはポロリと零す。
「そうやって遠くから眺めて呟くなら本人に言ってあげればいいのに」
「シルヴィアに言えるわけないじゃないか。可愛いだなんて私が言ったらおかしいだろう?」
シルヴィアから目を離し、レイノルドはジョナスに向き直る。
「それにしまりのない顔になってしまう。それだけは絶対にダメだ。シルヴィアに幻滅されたら生きていけない……」
「彼女はそんなことで幻滅なんてしないだろうに」
「するさ。シルヴィアのこととなるとヘナヘナになる婚約者なんて引くに決まっている。現に私が彼女の理想的な婚約者になれていないから、あのような柔らかい微笑みを私には向けてくれないのだ」
「いや、お前の前でシルヴィアの表情が固いのは別の理由だと思うけど……」
話を聞いていないレイノルドに、ジョナスは埒が明かないと話を切りあげる。
「レイノルド、散々言っているが努力する方向を間違えているよ。シルヴィアに愛想を尽かされても俺は知らないからね。さあ、次は薬学の授業だ。移動しよう」
幸か不幸か。レイノルドは午後の授業でうっかり未完成の魔法薬を被り、一時的に記憶を失ってしまった。
きれいさっぱり過去を忘れ去ったレイノルドが医務室で目を覚ますと、目の前に見目麗しい令嬢が心配そうにこちらを覗き込んできた。
それだけでレイノルドはもう一度、彼女に恋をしたのだ。
そうして一週間後、自室で目覚めると同時に記憶を取り戻したレイノルドは頭を抱えた。
(…………あぁ失態だ。あんなに纏わり付かれたら誰だって嫌になるだろう。「こんな気持ち悪い人間だとは知らなかった。婚約を破棄したい」などと言われたら私はもう生きていけない)
走馬灯のように一週間の出来事が駆け巡る。
顔面蒼白になり寝台から中々降りられない。見かねた世話役が茫然自失のレイノルドを無理やり寝台から引っ張り出して、朝食の席まで連れていくほどだった。
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