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第三章 不穏な侍女生活
懐かしいお茶(2)
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中に入った私はワゴンを押しながら顔を上げないこの部屋の主に声をかける。
「執務中失礼致します。ユリウス陛下、そろそろご休憩されませんか」
「不要だ。そこに置いて下がれ」
ペンを置かず机上に積まれた書類を決裁するユースは空いていた左手で退出を促す。私はそれを無視し、執務机まで近づいた。
出払っているのかユース以外に人はいなかった。
「……陛下、休憩は大切ですよ」
そこでようやくユースと目が合う。
「いつもの侍女はどうした」
「宮廷で流行っております病により、本日はおやすみです。代わりに侍女長から私が陛下のお茶汲みをするよう承っています」
私はユースの質問に答えながら問答無用でお茶の準備を始めた。
茶葉の入った瓶を開け、スプーンで適量掬い出す。いつもの手順でカップにお茶を淹れ、角砂糖を溶かして蜂蜜をたらした。
「どうぞお菓子を召し上がりながらお飲みください」
すっと机上に置くと、書類捌きの手が止まる。
「…………最初に不要だと伝えたはずだが」
「申し訳ありません。聞き落としていたようです」
もちろん聞き漏らすことなんてありえない。笑顔でシラを切る私にユースは物言いたげに眉を寄せる。
「おひとくちだけでも飲んでいただけませんか? 冷めてしまっては美味しさも半減してしまいますし」
(ユースが嗜んでいた茶葉だもの。苦手な紅茶ではないはずだから、飲んで少しでも肩の力を抜いてほしい)
自分だったら気が滅入りそうな量の書類に淡々と目を通し、決裁するのは体力と気力の多くを持っていかれてしまうだろう。こういう頭を使う仕事は、適度に休憩することで効率が上がると聞く。
なので注いだ紅茶を飲むよう積極的に進めたのだが、彼は別の意味を読み取ったらしい。
「…………何か毒でも盛ったのか」
「そんなつもりはありません! しかしながら代役で給仕しに来た私を警戒されるのも当然ですので、予備のカップに茶を注いで私が毒味致しましょう」
それでもよろしいですか? と尋ねる前に、ユースはカップの取っ手に指をかける。
「要らん。どうせ私には効かない。無駄な確認……──」
私の淹れた紅茶がユースの喉を滑り落ちていく。こくんと喉が動いた途端、彼は目を見張った。
バッといきなり顔を動かすのでこちらまで驚いてしまう。
「お前、どこで習った」
「な、なんのことでしょうか」
勢いよく立ち上がったユースはつかつかと距離を詰めてきて、私は何が何だか分からずジリジリ後退する。
(めちゃくちゃ不味くて飲めたもんじゃないとか!? だからこんな酷い淹れ方をどこで習ったんだ! とお怒りなのかしら。それとも好みが変わってこの茶葉は好きではなくなったとか?)
二十年も経ち、大人になった彼の好みが変わっている可能性を失念していた。
「どこでこの淹れ方を習ったのだ」
「お母様と学園で習いました。お気に召されなかったようで大変申し訳ございません。新たな紅茶をご用意いたします」
背の高さを利用した物理的な圧迫感に耐えられず、しゃがんで彼の包囲をすり抜ける。
「このカップも一旦下げさせてください」
とりあえず部屋から退避しようと、淹れたばかりで湯気がほわほわと立ち上る飲みかけのティーカップをワゴンに戻そうとしたのだが。
ティーカップに伸ばした手首をがっしりとした硬い手に掴まれた。
「陛下?」
見上げた先には動揺する蒼い瞳がある。
「本当に学校とお前の母からだけか? 書物で知ったとかではなく?」
「淹れ方などの書物を読んだことはあるので無意識に影響を受けている可能性は拭えませんが、至って普通の淹れ方かと。他の者と変わった部分でもありましたでしょうか」
「いや…………」
掴まれた手が自由になる。それっきりユースはだんまりを決め込み、私も口を閉ざしたので沈黙が辺りを支配する。
「…………まだ、お前の名前を聞いていなかった。名をなんと申す」
「テレーゼ、テレーゼ・デューリングです」
「ではテレーゼ、担当者が復帰するまでお茶汲みは貴女がしてくれ」
「…………」
たっぷり三十秒は固まったと思う。初めて私の名前を呼んでくれたのと、気まぐれだろうが私のお茶を求めてくれた歓喜で胸がいっぱいだ。
「私でよろしいのでしょうか」
「かまわん。貴女の茶だから気に入った。嫌ならばこれまで通り全てを断るまでだ」
「でしたら精一杯代理を務めさせていただきます!」
侍女が復帰するまでの数日限りだが、その間は毎日会えるのだ。下っ端で全く皇帝に近づけない普段の仕事からは、よくチャンスを掴んだと私自身を褒めたく、仕事を振ってくださったチェルシーさんには感謝してもしきれない。
「お飲みになりたい紅茶はありますか」
「ない。今日と同じ物で結構だ」
「かしこまりました。明日からも同様の茶葉を準備します」
茶漉を取り出し、紅茶の入ったポットだけ置いていく。
(名前を覚えてもらえたのは大進歩よね!?)
着実にあの日、墓石の前で再会してからどんどん距離が縮まっている。
執務部屋を退出した私は廊下で大きくガッツポーズをしたのだった。
「執務中失礼致します。ユリウス陛下、そろそろご休憩されませんか」
「不要だ。そこに置いて下がれ」
ペンを置かず机上に積まれた書類を決裁するユースは空いていた左手で退出を促す。私はそれを無視し、執務机まで近づいた。
出払っているのかユース以外に人はいなかった。
「……陛下、休憩は大切ですよ」
そこでようやくユースと目が合う。
「いつもの侍女はどうした」
「宮廷で流行っております病により、本日はおやすみです。代わりに侍女長から私が陛下のお茶汲みをするよう承っています」
私はユースの質問に答えながら問答無用でお茶の準備を始めた。
茶葉の入った瓶を開け、スプーンで適量掬い出す。いつもの手順でカップにお茶を淹れ、角砂糖を溶かして蜂蜜をたらした。
「どうぞお菓子を召し上がりながらお飲みください」
すっと机上に置くと、書類捌きの手が止まる。
「…………最初に不要だと伝えたはずだが」
「申し訳ありません。聞き落としていたようです」
もちろん聞き漏らすことなんてありえない。笑顔でシラを切る私にユースは物言いたげに眉を寄せる。
「おひとくちだけでも飲んでいただけませんか? 冷めてしまっては美味しさも半減してしまいますし」
(ユースが嗜んでいた茶葉だもの。苦手な紅茶ではないはずだから、飲んで少しでも肩の力を抜いてほしい)
自分だったら気が滅入りそうな量の書類に淡々と目を通し、決裁するのは体力と気力の多くを持っていかれてしまうだろう。こういう頭を使う仕事は、適度に休憩することで効率が上がると聞く。
なので注いだ紅茶を飲むよう積極的に進めたのだが、彼は別の意味を読み取ったらしい。
「…………何か毒でも盛ったのか」
「そんなつもりはありません! しかしながら代役で給仕しに来た私を警戒されるのも当然ですので、予備のカップに茶を注いで私が毒味致しましょう」
それでもよろしいですか? と尋ねる前に、ユースはカップの取っ手に指をかける。
「要らん。どうせ私には効かない。無駄な確認……──」
私の淹れた紅茶がユースの喉を滑り落ちていく。こくんと喉が動いた途端、彼は目を見張った。
バッといきなり顔を動かすのでこちらまで驚いてしまう。
「お前、どこで習った」
「な、なんのことでしょうか」
勢いよく立ち上がったユースはつかつかと距離を詰めてきて、私は何が何だか分からずジリジリ後退する。
(めちゃくちゃ不味くて飲めたもんじゃないとか!? だからこんな酷い淹れ方をどこで習ったんだ! とお怒りなのかしら。それとも好みが変わってこの茶葉は好きではなくなったとか?)
二十年も経ち、大人になった彼の好みが変わっている可能性を失念していた。
「どこでこの淹れ方を習ったのだ」
「お母様と学園で習いました。お気に召されなかったようで大変申し訳ございません。新たな紅茶をご用意いたします」
背の高さを利用した物理的な圧迫感に耐えられず、しゃがんで彼の包囲をすり抜ける。
「このカップも一旦下げさせてください」
とりあえず部屋から退避しようと、淹れたばかりで湯気がほわほわと立ち上る飲みかけのティーカップをワゴンに戻そうとしたのだが。
ティーカップに伸ばした手首をがっしりとした硬い手に掴まれた。
「陛下?」
見上げた先には動揺する蒼い瞳がある。
「本当に学校とお前の母からだけか? 書物で知ったとかではなく?」
「淹れ方などの書物を読んだことはあるので無意識に影響を受けている可能性は拭えませんが、至って普通の淹れ方かと。他の者と変わった部分でもありましたでしょうか」
「いや…………」
掴まれた手が自由になる。それっきりユースはだんまりを決め込み、私も口を閉ざしたので沈黙が辺りを支配する。
「…………まだ、お前の名前を聞いていなかった。名をなんと申す」
「テレーゼ、テレーゼ・デューリングです」
「ではテレーゼ、担当者が復帰するまでお茶汲みは貴女がしてくれ」
「…………」
たっぷり三十秒は固まったと思う。初めて私の名前を呼んでくれたのと、気まぐれだろうが私のお茶を求めてくれた歓喜で胸がいっぱいだ。
「私でよろしいのでしょうか」
「かまわん。貴女の茶だから気に入った。嫌ならばこれまで通り全てを断るまでだ」
「でしたら精一杯代理を務めさせていただきます!」
侍女が復帰するまでの数日限りだが、その間は毎日会えるのだ。下っ端で全く皇帝に近づけない普段の仕事からは、よくチャンスを掴んだと私自身を褒めたく、仕事を振ってくださったチェルシーさんには感謝してもしきれない。
「お飲みになりたい紅茶はありますか」
「ない。今日と同じ物で結構だ」
「かしこまりました。明日からも同様の茶葉を準備します」
茶漉を取り出し、紅茶の入ったポットだけ置いていく。
(名前を覚えてもらえたのは大進歩よね!?)
着実にあの日、墓石の前で再会してからどんどん距離が縮まっている。
執務部屋を退出した私は廊下で大きくガッツポーズをしたのだった。
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