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第三章 不穏な侍女生活
知らない貴方(2)
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『イザベル・ランドール』
墓石にはそう彫られていた。その隣にある墓石にもイザーク・ランドールと名前が彫られている。
「私とお父様の……どうして」
そうっと彫られた文字をなぞろうとしたその瞬間だった。私の耳元を勢いよく何かが掠め、鈍い音と共に大樹に突き刺さったのだ。一瞬にして背筋が凍る。
思わず後ずさり、突き刺さったそれを見る。
(投げナイフ!! 何でっ!?)
いきなり命の危険に晒された私は、背後からざくりと土を踏む足音が聞こえてきて心臓の鼓動は最高潮に達する。
振り向いた──私の背後にいた人物にはっと息が詰まった。
憎々しげに私のことを見つめる人物は漆黒のつややかな髪を持ち、ゾッとするほど冷たい瞳を向けていた。
(ゆー、す)
恋焦がれる彼との二度目の対面は言うまでもなく最悪だ。言葉を交えなくても分かる。ユースは私に対してどうやら怒りを抱いているらしい。
つかつかと近寄ってくる彼は低く、淡々と問う。
「なぜこんなところにいる」
「…………」
「答えろ」
と言われても、その鬼迫る様子に声を出そうにも躊躇われ、息さえも止まってしまいそうなほど全身が強ばる。
そんな私の様子に訝しむユースは間合いを詰めてくる。ジリジリと追い詰められ、私の背中が大樹に当たったところで痺れを切らしたユースは鞘に収まっていた剣を引き抜いた。
「答えろと私は言っているんだ」
威嚇のためかそのまま剣を勢いよく大樹に突き刺し、私を睨めつける。ひんやりとした剣の感触が首元に伝わってきて、彼が本気で脅してきているのだと身をもって知る。
(怖い)
至近距離で対面するユースは過去の面影など何一つ残っていない。弁明をしなければいけないのに恐怖から唇は動きそうにもなかった。
「ここは立ち入り禁止区域だ。どうしてこの区画にいる?」
「…………」
未だ口を閉ざす私に美しい相貌が静かに歪む。
「──貴様、死にたいのか?」
「まさか! し、死にたくありませんっ!」
突拍子もない発言にようやく声が出た。
こんなところで死ぬなんて勘弁だ。前世よりも早いではないか。せめて同じ年まで最低でも生きさせて欲しい。
しかも好きな人に誤解されて殺されるのだけは絶対に嫌だ。
「わっわたし」
(どうして……まったくわけがわからない)
何がこれほど彼の逆鱗に触れてしまったのか。立ち入り禁止区域に入ったことに対して怒るのは理解できるが、それでも敵意をむき出しにするほどの激情は持たないはずだ。
でも悩んで何も言わずに無言を貫いていたら、これ以上機嫌を損ねれば、イザベル時代のユースを知っていても、この人は本当に殺すかもしれないと思ってしまう。
「知らなかったんです! ここが立ち入り禁止なのを。あの、私まだ働き始めたばかりで」
まだほつれのないお仕着せの裾を持ってひらひらと動かす。
「この道の始まりにバケツが置いてありませんでした? 私、この近くにある井戸で新しく水を汲もうとここを通りがかった際に、この小道を見つけまして…………どこにつながっているのかと不思議に思い、足を踏み入れてしまいました。大変申し訳ありませんっ!」
とにかく事情の説明と謝罪をしなければと早口に捲し立てる。
「それと、失礼ながら貴方様は皇帝陛下でお間違えないでしょうか」
「…………」
「間違えていますか? 三ヶ月ほど前に私がご挨拶させていただいた陛下だと思ったのですけれど」
おそるおそる尋ねると、青い瞳を支配していた激情が鳴りを静める。
「…………そうだ」
ユースは剣を鞘に収めた。同時に発されていた威圧も雲散する。
私はひとまず危機を脱出したことに安堵した。
墓石にはそう彫られていた。その隣にある墓石にもイザーク・ランドールと名前が彫られている。
「私とお父様の……どうして」
そうっと彫られた文字をなぞろうとしたその瞬間だった。私の耳元を勢いよく何かが掠め、鈍い音と共に大樹に突き刺さったのだ。一瞬にして背筋が凍る。
思わず後ずさり、突き刺さったそれを見る。
(投げナイフ!! 何でっ!?)
いきなり命の危険に晒された私は、背後からざくりと土を踏む足音が聞こえてきて心臓の鼓動は最高潮に達する。
振り向いた──私の背後にいた人物にはっと息が詰まった。
憎々しげに私のことを見つめる人物は漆黒のつややかな髪を持ち、ゾッとするほど冷たい瞳を向けていた。
(ゆー、す)
恋焦がれる彼との二度目の対面は言うまでもなく最悪だ。言葉を交えなくても分かる。ユースは私に対してどうやら怒りを抱いているらしい。
つかつかと近寄ってくる彼は低く、淡々と問う。
「なぜこんなところにいる」
「…………」
「答えろ」
と言われても、その鬼迫る様子に声を出そうにも躊躇われ、息さえも止まってしまいそうなほど全身が強ばる。
そんな私の様子に訝しむユースは間合いを詰めてくる。ジリジリと追い詰められ、私の背中が大樹に当たったところで痺れを切らしたユースは鞘に収まっていた剣を引き抜いた。
「答えろと私は言っているんだ」
威嚇のためかそのまま剣を勢いよく大樹に突き刺し、私を睨めつける。ひんやりとした剣の感触が首元に伝わってきて、彼が本気で脅してきているのだと身をもって知る。
(怖い)
至近距離で対面するユースは過去の面影など何一つ残っていない。弁明をしなければいけないのに恐怖から唇は動きそうにもなかった。
「ここは立ち入り禁止区域だ。どうしてこの区画にいる?」
「…………」
未だ口を閉ざす私に美しい相貌が静かに歪む。
「──貴様、死にたいのか?」
「まさか! し、死にたくありませんっ!」
突拍子もない発言にようやく声が出た。
こんなところで死ぬなんて勘弁だ。前世よりも早いではないか。せめて同じ年まで最低でも生きさせて欲しい。
しかも好きな人に誤解されて殺されるのだけは絶対に嫌だ。
「わっわたし」
(どうして……まったくわけがわからない)
何がこれほど彼の逆鱗に触れてしまったのか。立ち入り禁止区域に入ったことに対して怒るのは理解できるが、それでも敵意をむき出しにするほどの激情は持たないはずだ。
でも悩んで何も言わずに無言を貫いていたら、これ以上機嫌を損ねれば、イザベル時代のユースを知っていても、この人は本当に殺すかもしれないと思ってしまう。
「知らなかったんです! ここが立ち入り禁止なのを。あの、私まだ働き始めたばかりで」
まだほつれのないお仕着せの裾を持ってひらひらと動かす。
「この道の始まりにバケツが置いてありませんでした? 私、この近くにある井戸で新しく水を汲もうとここを通りがかった際に、この小道を見つけまして…………どこにつながっているのかと不思議に思い、足を踏み入れてしまいました。大変申し訳ありませんっ!」
とにかく事情の説明と謝罪をしなければと早口に捲し立てる。
「それと、失礼ながら貴方様は皇帝陛下でお間違えないでしょうか」
「…………」
「間違えていますか? 三ヶ月ほど前に私がご挨拶させていただいた陛下だと思ったのですけれど」
おそるおそる尋ねると、青い瞳を支配していた激情が鳴りを静める。
「…………そうだ」
ユースは剣を鞘に収めた。同時に発されていた威圧も雲散する。
私はひとまず危機を脱出したことに安堵した。
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