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第二章 【過去編】イザベル・ランドール
密かに抱く決意
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「地に降り立った女神は、そこで、こい、に、おち……────あっ」
するりとイザベルの手から本がすり抜ける。代わりに現れたのは青年の整った顔だった。
「ベル、その格好はダメだよ」
靴を脱ぎ、ソファの上に寝転がるように座っておみ足を惜しげも無く晒しているイザベルに、ユリウスは持ってきたひざ掛けをかけた。
「誰もいないもの」
「それでもダメなものはダメ」
ひざ掛けをどかそうとするイザベルを手で制し、もう片方の手で奪った本をパラパラめくる。
「古文書……しかも神話だなんて。読んで何してるのさ」
「…………調べ物」
不貞腐れたようにイザベルは言った。
彼女の横にあるテーブルには山のように書物が積まれていた。それはへストリア建国にまつわる歴史書だったり、薬草に関してだったり────
図書館で片っ端から借りてきた書物にひたすら目を通していた。けれども、手に入れたい手がかりは何も掴めず投げ出す寸前だった。
(貴方の呪いを解く方法を探ってたなんて言えない)
本に目を落とすユリウスをちらりと盗み見る。彼の顔半分は相変わらず黒塗りのようで、痣も残念なことに現存だ。
出会ってから早九年が経っていた。十六歳のイザベルはもう子供ではない。ユリウスと皇家のいざこざや呪いについても理解していた。
最近はよく、呪いのことを考えている。
──もし、解けたら。ユリウスは本来居るべき場所に戻れるのではないか。戻るべきなのではないか、と。
ユリウスは皇族だ。本来は今みたいにイザベルにひざ掛けをかける召使いみたいなことをしなくていい。彼は貴き血を継ぐ者であり、全ての貴族から敬われる対象なのだ。
イザークによって助けられ、ランドール公爵家に来た訳だが、生涯をここで過ごすべき人ではない。
障害が全て彼の前から消えるならば、きらびやかな皇宮で皇子として生きていく方が彼にとって絶対にいい。
だからイザベルは何としてでもユリウスの呪いを解かなければならないと思っていた。
「ユース」
「ん?」
手を伸ばし、彼の頬に触れる。ユリウスはされるがままにイザベルの手を受け入れた。
濡れ羽色の髪は見る角度によって紫や他の色にも見え、光を反射して天使の輪が綺麗に浮かび上がっていた。けぶるように長い睫毛に、美しい碧眼は優しい眼差しをイザベルに向けている。
慣れている自分でも不意打ちに向けられたら見蕩れてしまうような顔立ちの青年に成長しつつあった。
「ユースは世界で一番容姿が優れてるわ」
「いきなりどうしたの」
ユリウスは持っていた本を置き、形の良いくちびるが弧を描く。ふっと微かに彼から息が漏れた。
それさえも絵画になりそうで。イザベルは再度頬を撫でてからそっと手を離した。
「なんか……言いたくなったから」
「変なベル。僕をそう評価するのはベルだけだよ」
ユリウスは笑い、携えていた剣をソファの横に立てかけた。そうしてイザベルの横に座る。
六歳の誕生日に彼は剣を持った訳だが、才能もあったのか、みるみるうちに上達した。今では騎士団の騎士とも対等に渡り合えるようになっていた。
上達の速度が早すぎて、イザークでさえも目を丸くしたくらいだ。イザベルも時間さえ合えば鍛錬に付き合って見学しているのだが、素人目でも剣さばきが他の騎士と違う。多分、剣の神様か何かに愛されているのだ。
しかも、ユリウスには知の才能もあるのだから驚いてしまう。
イザベルはシルフィーア語だけでいっぱいいっぱいなのに対し、ユリウスはあっという間にすらすら話し、読めるようになり、他言語も習得している。あっさりと抜かされすぎて、嫉妬さえも湧かない。
(天才なのよね)
そういう所をみても、やっぱりユリウスはここにいる人間ではないのだ。その頭脳や、剣の腕前を、本来の地位で発揮し、名声を得るべきだった。
ふうっと息を吐いて気持ちを切り替えてからイザベルは立ち上がった。そばに置いていた日傘を握ると、不思議そうにユリウスが問う。
「出掛けるの?」
「うん、最近人気のお菓子屋さんに今日は絶対行くって決めてたから」
甘いチョコレートケーキや旬のフルーツをふんだんに使ったパイが人気のお店。開店前から買いに来た人で行列が形成され、午後を過ぎる頃には売り切れてしまう。
今日はいつもより早く起きたのでのんびりしていたのだが、そろそろ出掛けなければ売り切れる可能性がある。
「──着いてくよ」
「貴方が?」
「暇だから」
(嘘おっしゃい)
最近寝る暇も惜しんで彼は何かを勉強しているし、日中は騎士団の騎士たちと鍛錬を積み、イザベルと共に座学も学んでいる。一体いつ休んでいるのか心配になる。
「今日は久しぶりのお休みでしょう? ゆっくりするべきだわ」
「でも、護衛が必要でしょ」
「必要ないわ。お父様の部下の方……本来の護衛担当にお願いしてあるの」
ユリウスがイザベルの護衛を毎度買って出るので形骸化しているが、一応イザベル付きの騎士がいる。ただ、役目を全てユリウスに奪われているだけで。
「……なら普通について行く」
食い下がるその言葉の真意を、イザベルだけが有名店のお菓子にありつこうとしているとユリウスが思っている────そう勘違いした。
「ああ、自分は食べられないとか思ってる? 安心してね。ユースの分も買ってくるから。塩林檎のパイとかどう?」
「そういう問題じゃない。他の者を選ばないで。僕を選んで」
思わぬ真剣な声と言葉に固まってしまうと、今度は打って変わってユリウスは茶目っ気を混ぜる。
「お供させてくださいお姫さま」
「……もー驚いた。芝居がかった台詞はやめて!」
ぷっと吹き出してしまい硬直が解ける。イザベルはくすくす笑いながらユリウスの手を取った。
するりとイザベルの手から本がすり抜ける。代わりに現れたのは青年の整った顔だった。
「ベル、その格好はダメだよ」
靴を脱ぎ、ソファの上に寝転がるように座っておみ足を惜しげも無く晒しているイザベルに、ユリウスは持ってきたひざ掛けをかけた。
「誰もいないもの」
「それでもダメなものはダメ」
ひざ掛けをどかそうとするイザベルを手で制し、もう片方の手で奪った本をパラパラめくる。
「古文書……しかも神話だなんて。読んで何してるのさ」
「…………調べ物」
不貞腐れたようにイザベルは言った。
彼女の横にあるテーブルには山のように書物が積まれていた。それはへストリア建国にまつわる歴史書だったり、薬草に関してだったり────
図書館で片っ端から借りてきた書物にひたすら目を通していた。けれども、手に入れたい手がかりは何も掴めず投げ出す寸前だった。
(貴方の呪いを解く方法を探ってたなんて言えない)
本に目を落とすユリウスをちらりと盗み見る。彼の顔半分は相変わらず黒塗りのようで、痣も残念なことに現存だ。
出会ってから早九年が経っていた。十六歳のイザベルはもう子供ではない。ユリウスと皇家のいざこざや呪いについても理解していた。
最近はよく、呪いのことを考えている。
──もし、解けたら。ユリウスは本来居るべき場所に戻れるのではないか。戻るべきなのではないか、と。
ユリウスは皇族だ。本来は今みたいにイザベルにひざ掛けをかける召使いみたいなことをしなくていい。彼は貴き血を継ぐ者であり、全ての貴族から敬われる対象なのだ。
イザークによって助けられ、ランドール公爵家に来た訳だが、生涯をここで過ごすべき人ではない。
障害が全て彼の前から消えるならば、きらびやかな皇宮で皇子として生きていく方が彼にとって絶対にいい。
だからイザベルは何としてでもユリウスの呪いを解かなければならないと思っていた。
「ユース」
「ん?」
手を伸ばし、彼の頬に触れる。ユリウスはされるがままにイザベルの手を受け入れた。
濡れ羽色の髪は見る角度によって紫や他の色にも見え、光を反射して天使の輪が綺麗に浮かび上がっていた。けぶるように長い睫毛に、美しい碧眼は優しい眼差しをイザベルに向けている。
慣れている自分でも不意打ちに向けられたら見蕩れてしまうような顔立ちの青年に成長しつつあった。
「ユースは世界で一番容姿が優れてるわ」
「いきなりどうしたの」
ユリウスは持っていた本を置き、形の良いくちびるが弧を描く。ふっと微かに彼から息が漏れた。
それさえも絵画になりそうで。イザベルは再度頬を撫でてからそっと手を離した。
「なんか……言いたくなったから」
「変なベル。僕をそう評価するのはベルだけだよ」
ユリウスは笑い、携えていた剣をソファの横に立てかけた。そうしてイザベルの横に座る。
六歳の誕生日に彼は剣を持った訳だが、才能もあったのか、みるみるうちに上達した。今では騎士団の騎士とも対等に渡り合えるようになっていた。
上達の速度が早すぎて、イザークでさえも目を丸くしたくらいだ。イザベルも時間さえ合えば鍛錬に付き合って見学しているのだが、素人目でも剣さばきが他の騎士と違う。多分、剣の神様か何かに愛されているのだ。
しかも、ユリウスには知の才能もあるのだから驚いてしまう。
イザベルはシルフィーア語だけでいっぱいいっぱいなのに対し、ユリウスはあっという間にすらすら話し、読めるようになり、他言語も習得している。あっさりと抜かされすぎて、嫉妬さえも湧かない。
(天才なのよね)
そういう所をみても、やっぱりユリウスはここにいる人間ではないのだ。その頭脳や、剣の腕前を、本来の地位で発揮し、名声を得るべきだった。
ふうっと息を吐いて気持ちを切り替えてからイザベルは立ち上がった。そばに置いていた日傘を握ると、不思議そうにユリウスが問う。
「出掛けるの?」
「うん、最近人気のお菓子屋さんに今日は絶対行くって決めてたから」
甘いチョコレートケーキや旬のフルーツをふんだんに使ったパイが人気のお店。開店前から買いに来た人で行列が形成され、午後を過ぎる頃には売り切れてしまう。
今日はいつもより早く起きたのでのんびりしていたのだが、そろそろ出掛けなければ売り切れる可能性がある。
「──着いてくよ」
「貴方が?」
「暇だから」
(嘘おっしゃい)
最近寝る暇も惜しんで彼は何かを勉強しているし、日中は騎士団の騎士たちと鍛錬を積み、イザベルと共に座学も学んでいる。一体いつ休んでいるのか心配になる。
「今日は久しぶりのお休みでしょう? ゆっくりするべきだわ」
「でも、護衛が必要でしょ」
「必要ないわ。お父様の部下の方……本来の護衛担当にお願いしてあるの」
ユリウスがイザベルの護衛を毎度買って出るので形骸化しているが、一応イザベル付きの騎士がいる。ただ、役目を全てユリウスに奪われているだけで。
「……なら普通について行く」
食い下がるその言葉の真意を、イザベルだけが有名店のお菓子にありつこうとしているとユリウスが思っている────そう勘違いした。
「ああ、自分は食べられないとか思ってる? 安心してね。ユースの分も買ってくるから。塩林檎のパイとかどう?」
「そういう問題じゃない。他の者を選ばないで。僕を選んで」
思わぬ真剣な声と言葉に固まってしまうと、今度は打って変わってユリウスは茶目っ気を混ぜる。
「お供させてくださいお姫さま」
「……もー驚いた。芝居がかった台詞はやめて!」
ぷっと吹き出してしまい硬直が解ける。イザベルはくすくす笑いながらユリウスの手を取った。
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