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第二章 【過去編】イザベル・ランドール
二度目の春
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「音は綺麗ですね」
目の下に濃いクマがあるシリルは聴診器を耳から外し、そう言った。
夜中に押しかけてきたイザークによって叩き起されたのにも関わらず、ユリウスとイザベルが仲良く就寝しているのを見て、起きてくるまで客室で待機させられていたのだ。
おかげでぴんぴんしている子供二人に対し、寝不足である。
「一応処方箋は出しますし、薬に効果はあると思いますが……呪いによる発作は私の専門外ですので対処療法しか提案できません」
申し訳なさそうに目尻を下げた。ユリウスは諦観していて顔色も変えず、その事実を受け止めていた。
「痛み、には慣れてるので……。それよりも」
「どうしましたか」
「手を繋ぐと、熱って下がるんですか」
「は?」
目を点にするシリルと対照的にイザークはおやっとした表情の後、にこにこし始めた。
「なるよ」
「え?」
正気かとシリルが疑いの目をイザークに向けている。
「──効果はやはりあるんだな」
「?」
「いや、こっちの話だよ」
やわらかな笑みで隠し、イザークはくしゃりとユリウスの髪の毛を混ぜる。
「ああでも、ベルだから使えるんだ。他の人と繋いでも何もならないからね」
「ベル、だけ」
「そう。私の娘は特別だから」
意味深な含みを持たせてイザークは言ったが、ユリウスはそれ以上追及しようとしなかった。
◇◇◇
「『凍てつく冬に終わりを告げ、新しい春へいざ変わらん。女神よ我らの声を聞きたまえ』」
色鮮やかな桃色と純白の装束をまとったイザベルはゆっくり目の前の池に花冠を投げ入れた。ぽちゃんと音がして落ちていく。
水面から眩い光が放たれ、雪は解け、土の中にあった種が芽吹く。
ふわっと優しい風が吹き込み、落ちていた枯葉や枝をどこかへと飛ばし、鳥達が囀る。湖の周囲は一気に春の景色へと様変わりした。
この神秘的な現象は何度見ても色褪せることは無いとイザベルは思う。
春の匂いを胸いっぱいに吸い込み、一礼して静かに池から背を向けた。
すると岸辺に集まっていた他の出席者達も席を立ち始める。
(……よかった。今年も無事終わって)
風にそよぐヴェールを脱いで、後ろで見守ってくれていた人物に笑顔で声をかけた。
「ユースどう?」
「きれいだった」
上手く言葉で表現できず、ユリウスはありきたりな返答になってしまったことにおろおろする。けれども、イザベルはふふっと笑って彼の元へ戻った。
「来てよかったでしょ?」
「うん」
イザベルがユリウスと出会って一年が経とうとしていた。
出会った頃とは見違えるようなさらさらな濡れ羽色の髪に、毎日軟膏を塗ることで傷だらけだった身体も治癒してきており、目立たない。食欲も戻り、今ではイザベルよりも多く食べるし健康体だ。
そして何より、笑顔を見せるようになった。
花がほころぶようなふわっと優しい笑顔で。見る度にこちらまで幸せになりそうな笑顔だ。
とはいえ、それはイザークとイザベルの前だけで、他の人間に向ける表情は固いか愛想笑い。
それでも、イザベルに心を許し始めていることを実感でき、とても嬉しかった。今日だって、ユリウスはその見目から大勢の人がいる場は避けるのに、イザベルがお願いしたら着いてきてくれたのだ。
(この行事は絶対ユースに見せたかったんだもの)
神殿で執り行われる春を呼び込む祭祀。
その大役を担うのはイザベルだった。
春以外にも、夏、秋、冬、と祭祀は行われる。担うのは四大公爵家の娘であり、もし娘が居ないのなら高位神官がその代のみ役を全うすることとなっている。
どの季節を担当するかは半分固定されていて、ランドール公爵家は春だ。
祭祀は至って簡単。祝詞をあげながら次来る季節の植物を使った花冠を池に投げ入れるだけ。
これを行うことで本格的に季節が移り変わる。
イザベルが祭祀を行ったことにより、明日からは心地よい春風がへストリアを駆けていくだろう。
来た道をユリウスと手を繋ぎながら歩いていると、周りの神官や貴族達が幼子のふたりに無遠慮な視線を寄越す。
大人達は隣にいるユリウスが気になるのだ。
ユリウスは対外的に遠い血筋から呼び寄せた親戚の子供であり、イザークの養子となっている。そして彼は顔の左側に仮面をつけていて、痣を隠している。
公爵家が突然養子を迎え入れ、出掛け先では仮面をつけている。そんな奇妙さから探りを入れようとじろじろ見てくるのだった。
幸い彼は気にしていないようで、他人なぞ眼中に無い。イザベルだけを見ている。
「ところで、ベルの話してた言語は何? 口の動きが少し違かったよね」
「よく見てるわね。あれはシルフィーア語よ」
まだまだ片言でしか話せないし、文章を読むのは難しい。けれども、あの文言だけはイザークに言われて自然な発音ができるよう暗記していたのだった。
「……僕も習いたいな」
「ユースも?」
「うん、新しい言語を習うのは楽しそうだから」
「ならお父様にお願いしましょ」
(一緒に授業受けたらきっと楽しいだろうな)
ユリウスは物覚えがよくてスポンジのように吸収していく。来た時は読み書きができなかったのに、ものの二ヶ月ほどで遜色ない所まで上達し、今ではイザベルだと開いただけで眠くなってしまいそうな小難しい本まで読破している。もう、びっくりだ。
そんなぐんぐん成長していくユリウスに少し寂しさを覚えているのはイザベルだけの秘密である。
目の下に濃いクマがあるシリルは聴診器を耳から外し、そう言った。
夜中に押しかけてきたイザークによって叩き起されたのにも関わらず、ユリウスとイザベルが仲良く就寝しているのを見て、起きてくるまで客室で待機させられていたのだ。
おかげでぴんぴんしている子供二人に対し、寝不足である。
「一応処方箋は出しますし、薬に効果はあると思いますが……呪いによる発作は私の専門外ですので対処療法しか提案できません」
申し訳なさそうに目尻を下げた。ユリウスは諦観していて顔色も変えず、その事実を受け止めていた。
「痛み、には慣れてるので……。それよりも」
「どうしましたか」
「手を繋ぐと、熱って下がるんですか」
「は?」
目を点にするシリルと対照的にイザークはおやっとした表情の後、にこにこし始めた。
「なるよ」
「え?」
正気かとシリルが疑いの目をイザークに向けている。
「──効果はやはりあるんだな」
「?」
「いや、こっちの話だよ」
やわらかな笑みで隠し、イザークはくしゃりとユリウスの髪の毛を混ぜる。
「ああでも、ベルだから使えるんだ。他の人と繋いでも何もならないからね」
「ベル、だけ」
「そう。私の娘は特別だから」
意味深な含みを持たせてイザークは言ったが、ユリウスはそれ以上追及しようとしなかった。
◇◇◇
「『凍てつく冬に終わりを告げ、新しい春へいざ変わらん。女神よ我らの声を聞きたまえ』」
色鮮やかな桃色と純白の装束をまとったイザベルはゆっくり目の前の池に花冠を投げ入れた。ぽちゃんと音がして落ちていく。
水面から眩い光が放たれ、雪は解け、土の中にあった種が芽吹く。
ふわっと優しい風が吹き込み、落ちていた枯葉や枝をどこかへと飛ばし、鳥達が囀る。湖の周囲は一気に春の景色へと様変わりした。
この神秘的な現象は何度見ても色褪せることは無いとイザベルは思う。
春の匂いを胸いっぱいに吸い込み、一礼して静かに池から背を向けた。
すると岸辺に集まっていた他の出席者達も席を立ち始める。
(……よかった。今年も無事終わって)
風にそよぐヴェールを脱いで、後ろで見守ってくれていた人物に笑顔で声をかけた。
「ユースどう?」
「きれいだった」
上手く言葉で表現できず、ユリウスはありきたりな返答になってしまったことにおろおろする。けれども、イザベルはふふっと笑って彼の元へ戻った。
「来てよかったでしょ?」
「うん」
イザベルがユリウスと出会って一年が経とうとしていた。
出会った頃とは見違えるようなさらさらな濡れ羽色の髪に、毎日軟膏を塗ることで傷だらけだった身体も治癒してきており、目立たない。食欲も戻り、今ではイザベルよりも多く食べるし健康体だ。
そして何より、笑顔を見せるようになった。
花がほころぶようなふわっと優しい笑顔で。見る度にこちらまで幸せになりそうな笑顔だ。
とはいえ、それはイザークとイザベルの前だけで、他の人間に向ける表情は固いか愛想笑い。
それでも、イザベルに心を許し始めていることを実感でき、とても嬉しかった。今日だって、ユリウスはその見目から大勢の人がいる場は避けるのに、イザベルがお願いしたら着いてきてくれたのだ。
(この行事は絶対ユースに見せたかったんだもの)
神殿で執り行われる春を呼び込む祭祀。
その大役を担うのはイザベルだった。
春以外にも、夏、秋、冬、と祭祀は行われる。担うのは四大公爵家の娘であり、もし娘が居ないのなら高位神官がその代のみ役を全うすることとなっている。
どの季節を担当するかは半分固定されていて、ランドール公爵家は春だ。
祭祀は至って簡単。祝詞をあげながら次来る季節の植物を使った花冠を池に投げ入れるだけ。
これを行うことで本格的に季節が移り変わる。
イザベルが祭祀を行ったことにより、明日からは心地よい春風がへストリアを駆けていくだろう。
来た道をユリウスと手を繋ぎながら歩いていると、周りの神官や貴族達が幼子のふたりに無遠慮な視線を寄越す。
大人達は隣にいるユリウスが気になるのだ。
ユリウスは対外的に遠い血筋から呼び寄せた親戚の子供であり、イザークの養子となっている。そして彼は顔の左側に仮面をつけていて、痣を隠している。
公爵家が突然養子を迎え入れ、出掛け先では仮面をつけている。そんな奇妙さから探りを入れようとじろじろ見てくるのだった。
幸い彼は気にしていないようで、他人なぞ眼中に無い。イザベルだけを見ている。
「ところで、ベルの話してた言語は何? 口の動きが少し違かったよね」
「よく見てるわね。あれはシルフィーア語よ」
まだまだ片言でしか話せないし、文章を読むのは難しい。けれども、あの文言だけはイザークに言われて自然な発音ができるよう暗記していたのだった。
「……僕も習いたいな」
「ユースも?」
「うん、新しい言語を習うのは楽しそうだから」
「ならお父様にお願いしましょ」
(一緒に授業受けたらきっと楽しいだろうな)
ユリウスは物覚えがよくてスポンジのように吸収していく。来た時は読み書きができなかったのに、ものの二ヶ月ほどで遜色ない所まで上達し、今ではイザベルだと開いただけで眠くなってしまいそうな小難しい本まで読破している。もう、びっくりだ。
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