1 / 125
プロローグ(1)
しおりを挟む
冷たい風が外を支配し、枯れた木の葉が目の前を横切った。ボロボロの布切れに身を包んでいたイザベルは、寒さにぶるりと震えつつ、両脇に監視を伴い断頭台へ向かっていた。
(ユースとフローラの結婚式、出席したかったな)
あわよくばそのあとの二人の人生を、幸福を、友人としてそばで見守りたかったのに。
──自分にはもう、叶わない。
木でできた階段を上り、死に場所に到着した。心を落ち着かせるために深呼吸をしている間にも、刻々と処刑の時刻が迫ってくる。
少し離れた場所で、イザベルの命を奪う刃が研がれていた。シュッシュッと音が聞こえてくる度に、錆び付いていた刃は鋭さを取り戻し、切れ味の良いものに変化していく。
スパッと切れるよう準備してくれるのは、情けなのか哀れみからの温情なのか。どちらにせよ、苦しまず逝けるに越したことはない。
「執行官さま」
「何だ。あれはきちんと持ってるぞ」
牢屋からここまで無言を貫いていた執行官は腕を組み、眉を寄せた。
「いいえ、その件ではなくて……第三皇子は戦場で成果をあげられていると聞きました。ほんとうですか?」
「……ああ、飛ぶ鳥を落とす勢いで猛進しているらしい。もしかしたら三ヶ月後には勝利を齎してくれるかもしれない」
「なら、良かった。聖女様もあの方の傍におりますし、安心して旅立てます」
ユリウスが上手く軍功を上げられているかは、イザベルの心残りのひとつだった。詳細が知れて本当に嬉しく感じる。
(出征前はもう一度会えると思っていたけれど……)
俯けば、両手の自由を奪う枷。
戦争が終わり、帰国後にこの件を知ったらユリウスは酷く怒るだろう。そういう人だから。
目を閉じて思い出に身を沈めようとしたその時だった。
馬の嘶き声とともに、聞こえてくるはずのなかった────会いたかった彼の声を聞いたのだ。
「──イザベルッ」
「でん、か?」
ここにいるはずのないユリウスを視界に捉え、イザベルは大きく目を見開いた。彼は三か月前、隣国との戦争に出陣し、当初の予定では帰還は早くて来年だと言われていたのだ。
ぼさぼさの髪にみすぼらしい服装のイザベルと目が合うと、ユリウスは馬から飛び降り、手網も放り出して一目散に駆けてくる。
「──刑の執行を止めろっ彼女は何もしてないだろう!? そもそもイザベルは私の……ベルッ」
階段を上る手間も惜しいのか、段を飛ばして断頭台に駆け上がる。
「ベル、どうして……何で、こんなことに」
乱入者を止めるため、騎士達がイザベルの前に立ちはだかった。
「邪魔だ。私のことが分からないのか」
「し、失礼いたしました。ですが、この者は罪人で」
相手が誰だか分かると騎士達は少し怯む。が、職務を全うするためにそれでも立ちはだかった。
「──命令だ。退け」
不機嫌を隠そうともせず、ユリウスは騎士を睨みつけている。
まさか前線にいるはずの第三皇子が現れると思っていなかったのだろう。立会人達もぽかんと口を開けて呆然としている。
イザベルはため息をついた。
(これでは埒が明かないわ)
困ったことになってしまった。どちらも譲歩する気はないようで、何なら殺気立ったユリウスが強行突破しそうな勢いである。
「執行官さま。あの、少しだけ殿下と話してもいいですか」
「……ああ」
齢十八にして処刑されるイザベルを哀れんだのか、執行官はユリウスと会話することを許した。
これは天国で感謝しなければならない。
騎士達が横に避けた途端、ユリウスは人目もはばからずめいいっぱいイザベルを抱きしめた。慣れた温もりに心が落ち着く。
「殿下、お久しぶりです」
「そんな挨拶している場合じゃないよ」
彼の焦りの要因はイザベルにあるのに、まるで他人事のようで。枷をつけた両手でそっと彼の頬を包む。
余程急いで前線から戻ってきたのだろう。艶やかな黒髪は土埃にまみれ、目の下にはクマがあった。どうやら不眠不休で馬を走らせたらしい。まったく無茶なことをする。
「ベル、約束しただろう? 何があっても僕の傍にいるって。置いていかないと」
「…………覚えているわ。忘れるはずがない」
(だって、私の中で一番大切な約束だもの)
込み上げてくるものがあり、胸が張り裂けそうになる。イザベルはじわりと滲む涙を溢れぬよう、ぎゅっときつく瞬きする。
約束があっても、隣にいられる権利は別の人。世界はそんなに都合よく回っているわけではないのだ。
(お別れしないと)
「ここからは、死に際の罪人の戯言だと聞き流してください」
「死なせないよ。不謹慎なこと言わないで、絶対に殺させない」
ふるふると首を振るユリウス。
助けようとしてくれている──その事実が泣きたくなるほどイザベルは嬉しい。そのままユリウスの手を取ってしまいたくなる。
そんなこと、彼を想うならば選べるはずのない選択肢だと理解していても。
ごめんね。と心の中でも謝って、ユリウスに微笑みかける。
無理やり笑みを作ったのは、彼の記憶に臆病で泣き出しそうな自分を残したくないわがまま。
だからイザベルは額と額をこつんとくっつけて、吐息が唇を掠めるほど至近距離で告げるのだ。
***
プロローグ(1)をお読み下さりありがとうございました!
他の作品共々、新作も少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。
(ユースとフローラの結婚式、出席したかったな)
あわよくばそのあとの二人の人生を、幸福を、友人としてそばで見守りたかったのに。
──自分にはもう、叶わない。
木でできた階段を上り、死に場所に到着した。心を落ち着かせるために深呼吸をしている間にも、刻々と処刑の時刻が迫ってくる。
少し離れた場所で、イザベルの命を奪う刃が研がれていた。シュッシュッと音が聞こえてくる度に、錆び付いていた刃は鋭さを取り戻し、切れ味の良いものに変化していく。
スパッと切れるよう準備してくれるのは、情けなのか哀れみからの温情なのか。どちらにせよ、苦しまず逝けるに越したことはない。
「執行官さま」
「何だ。あれはきちんと持ってるぞ」
牢屋からここまで無言を貫いていた執行官は腕を組み、眉を寄せた。
「いいえ、その件ではなくて……第三皇子は戦場で成果をあげられていると聞きました。ほんとうですか?」
「……ああ、飛ぶ鳥を落とす勢いで猛進しているらしい。もしかしたら三ヶ月後には勝利を齎してくれるかもしれない」
「なら、良かった。聖女様もあの方の傍におりますし、安心して旅立てます」
ユリウスが上手く軍功を上げられているかは、イザベルの心残りのひとつだった。詳細が知れて本当に嬉しく感じる。
(出征前はもう一度会えると思っていたけれど……)
俯けば、両手の自由を奪う枷。
戦争が終わり、帰国後にこの件を知ったらユリウスは酷く怒るだろう。そういう人だから。
目を閉じて思い出に身を沈めようとしたその時だった。
馬の嘶き声とともに、聞こえてくるはずのなかった────会いたかった彼の声を聞いたのだ。
「──イザベルッ」
「でん、か?」
ここにいるはずのないユリウスを視界に捉え、イザベルは大きく目を見開いた。彼は三か月前、隣国との戦争に出陣し、当初の予定では帰還は早くて来年だと言われていたのだ。
ぼさぼさの髪にみすぼらしい服装のイザベルと目が合うと、ユリウスは馬から飛び降り、手網も放り出して一目散に駆けてくる。
「──刑の執行を止めろっ彼女は何もしてないだろう!? そもそもイザベルは私の……ベルッ」
階段を上る手間も惜しいのか、段を飛ばして断頭台に駆け上がる。
「ベル、どうして……何で、こんなことに」
乱入者を止めるため、騎士達がイザベルの前に立ちはだかった。
「邪魔だ。私のことが分からないのか」
「し、失礼いたしました。ですが、この者は罪人で」
相手が誰だか分かると騎士達は少し怯む。が、職務を全うするためにそれでも立ちはだかった。
「──命令だ。退け」
不機嫌を隠そうともせず、ユリウスは騎士を睨みつけている。
まさか前線にいるはずの第三皇子が現れると思っていなかったのだろう。立会人達もぽかんと口を開けて呆然としている。
イザベルはため息をついた。
(これでは埒が明かないわ)
困ったことになってしまった。どちらも譲歩する気はないようで、何なら殺気立ったユリウスが強行突破しそうな勢いである。
「執行官さま。あの、少しだけ殿下と話してもいいですか」
「……ああ」
齢十八にして処刑されるイザベルを哀れんだのか、執行官はユリウスと会話することを許した。
これは天国で感謝しなければならない。
騎士達が横に避けた途端、ユリウスは人目もはばからずめいいっぱいイザベルを抱きしめた。慣れた温もりに心が落ち着く。
「殿下、お久しぶりです」
「そんな挨拶している場合じゃないよ」
彼の焦りの要因はイザベルにあるのに、まるで他人事のようで。枷をつけた両手でそっと彼の頬を包む。
余程急いで前線から戻ってきたのだろう。艶やかな黒髪は土埃にまみれ、目の下にはクマがあった。どうやら不眠不休で馬を走らせたらしい。まったく無茶なことをする。
「ベル、約束しただろう? 何があっても僕の傍にいるって。置いていかないと」
「…………覚えているわ。忘れるはずがない」
(だって、私の中で一番大切な約束だもの)
込み上げてくるものがあり、胸が張り裂けそうになる。イザベルはじわりと滲む涙を溢れぬよう、ぎゅっときつく瞬きする。
約束があっても、隣にいられる権利は別の人。世界はそんなに都合よく回っているわけではないのだ。
(お別れしないと)
「ここからは、死に際の罪人の戯言だと聞き流してください」
「死なせないよ。不謹慎なこと言わないで、絶対に殺させない」
ふるふると首を振るユリウス。
助けようとしてくれている──その事実が泣きたくなるほどイザベルは嬉しい。そのままユリウスの手を取ってしまいたくなる。
そんなこと、彼を想うならば選べるはずのない選択肢だと理解していても。
ごめんね。と心の中でも謝って、ユリウスに微笑みかける。
無理やり笑みを作ったのは、彼の記憶に臆病で泣き出しそうな自分を残したくないわがまま。
だからイザベルは額と額をこつんとくっつけて、吐息が唇を掠めるほど至近距離で告げるのだ。
***
プロローグ(1)をお読み下さりありがとうございました!
他の作品共々、新作も少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。
39
お気に入りに追加
1,110
あなたにおすすめの小説
花冠の聖女は王子に愛を歌う
星名柚花
恋愛
『この国で一番の歌姫を第二王子の妃として迎える』
国王の宣言により、孤児だった平民のリナリアはチェルミット男爵に引き取られ、地獄のような淑女教育と歌のレッスンを受けた。
しかし、必死の努力も空しく、毒を飲まされて妃選考会に落ちてしまう。
期待外れだったと罵られ、家を追い出されたリナリアは、ウサギに似た魔物アルルと旅を始める。
選考会で親しくなった公爵令嬢エルザを訪ねると、エルザはアルルの耳飾りを見てびっくり仰天。
「それは王家の宝石よ!!」
…え、アルルが王子だなんて聞いてないんですけど?
※他サイトにも投稿しています。

【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

王女を好きだと思ったら
夏笆(なつは)
恋愛
「王子より王子らしい」と言われる公爵家嫡男、エヴァリスト・デュルフェを婚約者にもつバルゲリー伯爵家長女のピエレット。
デビュタントの折に突撃するようにダンスを申し込まれ、望まれて婚約をしたピエレットだが、ある日ふと気づく。
「エヴァリスト様って、ルシール王女殿下のお話ししかなさらないのでは?」
エヴァリストとルシールはいとこ同士であり、幼い頃より親交があることはピエレットも知っている。
だがしかし度を越している、と、大事にしているぬいぐるみのぴぃちゃんに語りかけるピエレット。
「でもね、ぴぃちゃん。私、エヴァリスト様に恋をしてしまったの。だから、頑張るわね」
ピエレットは、そう言って、胸の前で小さく拳を握り、決意を込めた。
ルシール王女殿下の好きな場所、好きな物、好みの装い。
と多くの場所へピエレットを連れて行き、食べさせ、贈ってくれるエヴァリスト。
「あのね、ぴぃちゃん!エヴァリスト様がね・・・・・!」
そして、ピエレットは今日も、エヴァリストが贈ってくれた特注のぬいぐるみ、孔雀のぴぃちゃんを相手にエヴァリストへの想いを語る。
小説家になろうにも、掲載しています。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~
瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)
ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。
3歳年下のティーノ様だ。
本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。
行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。
なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。
もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。
そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。
全7話の短編です 完結確約です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる