前世と今世の幸せ

夕香里

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彼女の今世

episode78

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『よく来たね。さあ、こちらにおいで』

 促されて近寄れば、髪型を崩さない程度にわしゃわしゃと撫でられ慈愛に満ち溢れた微笑みを注がれる。
 そうして白い手袋に覆われた手を差し伸べてくれた。

『今の時期は庭園の薔薇が綺麗なんだ。お近付きの印に私が案内しよう』

 差し出された手を取るか取らないか。幼子ながら目の前にいるお方がこの国で一番高貴で尊いお方なのだと、両親からしつこく叩き込まれていた私は恐れ多くて握るのを躊躇してしまう。

 顔色を窺うように見上げれば、パチリと──これから先、何年もの月日の間恋焦がれる相手と同じ、透き通るような碧眼がゆるりと細められた。形の良い口元が柔らかく弧を描いたかと思いきや、いきなり私の視線が高くなる。

 驚いて言葉を発せない私を抱き上げた高貴なお方──ルーファス陛下は、茶目っ気たっぷりにウィンクして朗らかに笑って歩き出すのだ。

『まるで娘ができたようだな。しっかり掴まっていなさい』

 ──それが前世の私が初めてルーキアの皇帝として君臨し、妻であるアデライン陛下と共に、実の親以上に私を優しく可愛がってくれたルーファス陛下との出会いだ。


 ◇◇◇


 前世の私にとって大切な人というのはほとんど居なかったけれど、両陛下は数少ない大切なお方。お二人が立て続けにこの世から旅立たれた際には酷く悲しくて胸が張り裂けそうだった。

 ルーファス陛下は、未来の君主となり民の命を一身に背負うこととなるアルバート殿下のことを厳しくしつけていたけれど、褒めるところはきちんと褒めるお方で、殿下もとても尊敬していたように思う。

(だから陛下が虹の橋を渡られた直後は、アルバート殿下も動揺を隠せていなかった)

 そんな彼を支えたいと前世の私は色々手を尽くしたのだが、迷惑だったのか却って態度が硬化して一時遠ざけられてしまったのだ。そのためレリーナが現れる前に既に私達の関係には目に見えない亀裂が入っていたとも言える。

「もし、ルーファス陛下を助けられるなら未来は大きく変わると思うのです」

 彼があの若さで即位しないなら、きっと前世よりは良い方向に未来が動く。
 モルス様はしばし思案し、口を開いた。

「病であれば治すことは可能です。世界は帳尻を合わせようと動く。まして今回の生は、ノルン様からリーティア様に対する贖罪です。リーティア様が望むのなら如何様にもなります。ただ……」

「ただ?」

「その選択を取った時、未来がどう変わるのかは定まっていません。今世のリーティア様はアルバート殿下から距離を置きたいのだとお見受けしますが」

「そうですけど」

「なら、少々残酷ではありますが助けない方がよろしいのではありませんか? 助けて、もし、救った人がリーティア様だと皇族の方々が気づいた暁にはその功績として婚約者の座を渡すと私は愚考します」

 考えないようにしていることを突きつけられて目を逸らしてしまう。ただ、先程も思ったようにあの優しく手を差し伸べてくださったルーファス陛下を……嘆き悲しみ、後追いするように亡くなられたアデライン陛下の運命を知っていて、傍観は出来ない。

(助けられるなら助ける。そう、決めたの。今世では周りの人達には笑っていて欲しいから)

「矛盾しているのは理解しています。わざわざ避けられる危険に首を突っ込むのは馬鹿なのも。それでも前世で頂いた恩を返したいのです。私にとって烏滸がましいですが……家族のような方たちだったので」

 私に笑いかけてくれた唯一の人達と言っても過言ではない。

「であれば悔いが残らぬよう、リーティア様のお好きなように行動されるとよろしいかと。病であればリーティア様の魔法で治すことが可能ですから」

「本来の生を延ばして問題は生じませんか?」

「起こらない、とは言えませんが…………歴史が変わるような大きな出来事で命を落とす運命であった訳でもありませんし、可能性は低いでしょう。もし何かあればこちらで対処しますから大丈夫です」

「ありがとうございます」

 私はモルス様にお礼を言って、絶対にルーファス陛下を助けようと決意を新たにする。

(ルーファス陛下が命を落とすまではまだ時間はある)

 つい最近、公式行事にて遠目から陛下をお見かけした。顔色は良く、やせ細ってもいなかった。現状は健康体だ。今すぐに倒れたり、寝台の上から起き上がれなくなるような状態にはならないはず。

(問題は……)

「モルス様、もうひとつお尋ねしたいことが」

 治すといっても、懸念事項が残っている。

「──陛下の詳細な死因をご存知でしょうか」

 ルーファス陛下は病死として詳細な死因は明かされていなかった。
 当時の私は気にもしていなかったけれど、病ならばどのような病なのか──今世では必要な情報なのだ。

(私の魔法は万能ではないから……)

 己の手を握ったり開いたりする。

 傷や病を治す魔法は、原因を特定しないと上手く対象にかからない。適当にかけたところで無意味な魔法なのだ。そのため、できる限り詳細な情報が必要だった。

 モルス様なら知っているだろうと尋ねたのだけれど、彼はふるふると首を横に振った。

「申し訳ありません。通常通り循環する魂はそこまで注意を払っておらず……」

「そうですか」

 思わず肩を落としてしまう。この有能な方なら覚えているかも……と思ったけれど、既に十数年経っているのだ。数多の魂を管理する彼のことだから、すべてを覚えているわけが無いのは当然のこと。
 仕方のないことだと理解しても、しょんぼりする私を励まそうとモルス様はひとつ提案してくださる。

「ノルン様の宮に戻って調べてみます。もしかしたら記録があるかもしれません」

 そう言って、ついでにノルン様にも聞いてみると約束してくださったモルス様は、私を公爵邸の中庭まで送ってくださった。
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