前世と今世の幸せ

夕香里

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彼女の今世

閑話 セシル・アリリエットVI

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「ねえお姉様」

「なあにセシル」

 私の問いかけに安楽椅子に腰かけ、本の世界に浸かっていた銀髪の少女──お姉様はゆっくり顔を上げた。

「このご本読んで」

 差し出したのは一冊の絵本。

 これは夢だ。願望だ。こんな仲睦まじい光景なんて私達姉妹には一切なかったのだから。

「いいわよ。こっちにおいで」

 お姉様はソファに座り直して、私もその隣に腰かける。

「セシルは読み聞かせが好きね」

「うん! これ読み終わったら次はこっちも読んでくれる?」

「ええ、セシルのためなら何冊でも読むわ」

 願望の中のお姉様は微笑みながら私の額に唇を落とした。



◇◇◇



 バタバタと誰かが駆け寄ってくる音がして、私の意識は浮上した。

「──お嬢様?!」

「んっうぅ。なに……」

 ぼやける視界の先には私付きの侍女、エマがいる。

「セシルお嬢様、なぜこの部屋にいらっしゃるのですかっ!? お部屋に姿が見つからず、ずっとお探ししていたのですよ」

「なぜって……」

 頭が割れるように痛い。ズキズキと痛む頭を無理矢理持ち上げる。

(昨日は……ああ、ここの鍵が開いてて中に入って、泣いて、寝ちゃったんだ)

 頭が痛いのは泣きすぎて血管が切れたのだろう。瞼を下ろして上からそっと触れてみる。
 熱を持っていて、目が腫れてるのは容易に想像ついた。

 冷静に自分の状態を確認していた私にエマは驚いたような声で問う。

「──どうやってこの部屋に入ったのですか?」

「え? どうやってって、普通に開いていたわよ」

 欠伸を噛み殺しながら答える。

「まさか、そんなことはあり得ません」

 エマが首を横に振る。何か、信じられないものを見たかのように。
 そうして彼女は信じられないことを私に告げたのだ。

「お嬢様、ここの部屋は私が先程鍵を開けるまで閉まってしました。昨夜鍵を使用した者はいません」

「……う、そ」

 普段、お姉様の部屋は外から鍵で施錠されている。鍵は金庫の中で管理される。
 金庫を開けられるのはお母様とお父様、そして執事だけだ。

(…………私が廊下に出た時、開いていたのに)

 風がびゅうっと通り過ぎ、それで扉が開いていたことに気付いてお姉様の部屋に入ったのだから。
 ただただ呆然としている私を、エマは心配そうに見ている。

「それよりもお嬢様、ご支度なさいませんと。お部屋に戻りましょう」
「うん、変な格好で行けないもの」

 今日は大切な日だ。

 私はお姉様の部屋を出る前に、振り返った。

「……お別れを、言いに行きますね」

 すると不思議なことにバルコニーへ続く扉がひとりでに開き、柔らかい風が頬をくすぐった。
 纏わりつくようなそれは、私を包んで部屋を駆け抜けていく。視界の端でカーテンが淡く揺れた。

 エマが驚きながら扉を閉めに行った。

「まったく、何なんでしょうね? ……セシルお嬢様?」

 エマはポロポロ涙を流す私を見て、仰天している。

 願ったのは違うけれど、偶然かもしれないけれど、まるでお姉様が会いに来てくれたようで私は泣きながら笑ったのだった。



◇◇◇


「──お姉様、別れを言いに来ました」

 皇宮に到着した私は棺の前で別れを告げる。その隣ではお母様とお父様が、お姉様の胸に咲き誇っている青薔薇を抜いていた。

 すんなり引き抜かれた青薔薇の穴を氷が覆う。

「アルバート陛下」

 ルドルフに急かされ、黒い服に身を包んだ陛下は一歩前に出る。

「安らかな死を彼女に」

 アルバート陛下は形式的に言葉を紡ぎ、手順通り棺に手を触れ、青薔薇を納める。
 私達も引き抜いた物とは別の青薔薇を棺の中にそっと入れた。

「陛下、皇后陛下はどこに?」

 憔悴しきったお父様が尋ねる。ここにいるのはアルバート陛下の側近と私達だけだ。
 国母である皇后とは違い、側室の皇妃は国を上げての葬儀は行わない。それでも基本的にほかの貴族も葬儀に参加するが、両親がそのような形での弔いを拒否したのだ。

 例え、前例を覆し後ろ指さされることになっても、死してなお、見せ物のような場にお姉様を晒したくないと。

 そのような気遣いを、労りを、ひと欠片でも表に出していればよかったのに。

 やっぱりすることなすこと全てがもう、遅いのだ。

「皇后は……体調が悪くて欠席だ」

 歯切れの悪い返答にはっと乾いた笑い声が漏れる。

(意味の無いことを)

「そんな嘘、吐かなくていいですよ。だって私聞きましたもの」

 いきなり声を荒らげた私に、注目が集まった。

「──穢れるから行きたくない。そう仰ったんですよね? そんな奴、こちらからお断りです。来ないで欲しい」

 ここに来る途中、廊下で侍女達が話しているのを聞いてしまったのだ。

「セシルっ! またお前は」

「お父様には叱られたくないです」

 言えば、お父様は黙り込んでしまう。

「誰がなんと言おうと皇后は最低な女よ。人の死をなんだと思っているの? そもそも、死因を作った張本人なのにっ……! あの人がいなければお姉様は死ななかった! そうでしょう!?」

 私は陛下を──そしてその後ろに控えている側近たちを睨みつけた。
 彼らはお姉様と仕事をしていた文官達とはまた違い、陛下の言いなりで。傍観者で。結果的にお姉様を追い詰める一端を担った者達だ。

(私は知っているもの。日記に書いてあったんだから、あの人達も陰で嘲笑っていたって)

 彼らは視線を逸らす。罪と向き合いたくないという風に。その様子は眠っているお姉様と再会したあの日の陛下と同じで。

 私の感情はぐちゃぐちゃになってしまい、抑えきれなくなっていた。

「出ていってよ! 貴方達も出ていってっっ」

 喉を痛めてしまうくらい叫べば、誰も何も言えず静まり返る。

「……外に出ていなさい」

「し、しかし陛下! 危険です!」

「────危険? 何が? 私が危険だとでも?」

 この期に及んで。ただ、ヒステリックに叫ぶ私は傍から見たらそんな女だと捉えられても仕方がないのかもしれない。

(最後だから……穏やかにお別れをしたかったのに。無理だわ。腹が立つ)

 ふつふつと湧き上がる怒りをどうにか宥め、ふぅっと一回深呼吸する。

「そうね、今、とても機嫌が悪いから危険かもね。だから手が滑ってしまうわ」

 私は彼らの横を通り抜け、窓際に飾られていた花が生けられていない花瓶を手に持った。そうして思いっきり中身を彼らに向かってぶちまけた。

 派手な音がして、辺り一面水浸しになる。当たり前だが、側近たちもびしょ濡れでいい気味だ。

「なんということを……」

 お母様が唖然としているのを無視し、私は無理やり口角を上げて言葉を続けた。

「あらぁお召し物が濡れてしまいましたわ。そんな格好でこのような肌寒い部屋にいるのでは、お風邪を召されてしまいます。着替えてくるのがよろしいかと」

(もう帰ってくるな)

 出口を指さす。非難されてもおかしくない行動だが、こうでもしないと気が済まなかった。

「だから言っただろう。外に出ろと」

 淡々と陛下は言う。

「ですが……」

 諦めの悪いルドルフは渋り、チラチラと目をこちらに向けてくるので私は睨みつけた。

「出ろと言っているんだ。二度も言わせるな」

 今度は語気を強めたのでルドルフ達は恐れながら部屋から退出した。

「すまないな。私が皇后の分と側近達の分を謝罪しよう」

「陛下の謝罪なんていりません。一寸の価値も無い。それに、私ではなくお姉様にでしょう」

 口先だけの謝罪など無意味である。自由に口が動かせる限りどうとでも言えてしまえるから。
 それに陛下への信用は地に落ちているし、今後復活する可能性もない。

「辛烈だな」

「それだけの事を陛下達はしてますから」

 ヴェール越しに見える陛下の瞳はやっぱり虚ろだ。何を考えているのか分からない。

「陛下、儀式を終わらせましょう」

 一歩前に出たお父様が持っていた青薔薇を差し出した。薄ら氷を纏ったそれは棺の中に入れられた薔薇ではなくリーティアお姉様の胸元に咲いていた物だ。

「──ああ、確かに受け取った」

 手袋をつけて、アルバート陛下はそっと受け取った。そして棺桶の奥にある透明なケースの前に立つ。

 このケースは皇家所有の秘宝だった。歴代の皇族が亡くなった時に咲いた花を、一年後花びらを落とすまでこの中に保存するらしい。
 神秘的な細工が施され、現状帝国にいる職人では再現が不可能なこのケースは女神の遺物だとされている。

 アルバート陛下はお父様から受けとった青薔薇をケースの中に仕舞う。

 瑞々しい薔薇はケース内で不思議なことに空中で浮く。陛下は問題がないことを確認し、そっと閉じる。
 鍵は付いていないのにカチャリと音がしてケースは閉まった。

「この部屋での儀式は終わりだ。後はこれを────」

 アルバート陛下の声は闖入者によって遮られた。この場にはそぐわない花の匂いを纏ったその人は、陛下の腕に白く柔らかな己の腕を絡めた。
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