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彼女の今世
episode39
しおりを挟む初夏をゆうに通り越し、夏真っ盛りである今日この頃。
茹だるような暑さの中、菫色のドレスに身を包み、左手には小さな籐のバスケット、右手には花緑青色の生地に、縁を白レースが囲った日傘をさした少女は、静かに廻廊を歩いていた。
結を解いたら腰までありそうな白銀のつややかな髪は、ローズピンクの鮮やかなリボンと共におさげに編み込まれ、一歩歩くごとに楽しそうに揺れる。
長さが足りず編み込めなかった横髪の一部は、月をモチーフにした細かい金細工のヘアピンで前に垂れてこないようにとめられていた。
少女が歩いている廻廊の左には庭園が広がっており、花の開花シーズンでもある今は甘い香りが強く漂ってくる。
「お待ちしておりました。リーティア・アリリエット公爵令嬢」
パッと開けた視界。
気遣うような声色。
爽やかな風に伴って色彩豊かな花弁が宙を舞い、俯きかげんだった頭を上にあげる。彼女の行く手に立ち塞がったのは腰から剣を携帯した近衛騎士。そう、ここは皇宮なのだ。
「こんにちは」
玲瓏に挨拶を述べて、一旦傘を畳んだリーティアは近衛騎士に対しても、誰が見ても綺麗だと言うであろうカーテシーをする。
スカートの裾を手に取って右足を少し引き、膝を曲げて頭を下げる。パッとシフォン生地から手を離せば支えを失った裾が風に拾われてふんわりと広がり、近衛騎士はその優雅さに歎称の声をあげそうになった。
「────公爵令嬢、お手をどうぞ」
この奥にある指定された場所に案内してくれるのだろう。気を取り直した近衛騎士はリーティアをエスコートするために手を差し出す。
「ありがとうございます」
リーティアは感謝を述べて左手を添えた。
◇◇◇
皇宮の庭園は、この帝国の財と腕利きの庭師を集めた最高峰。もう少しすると、ほんの一部分のみだが一般市民にも公開されることになっていて、毎年賑わう場所でもあった。
その中でも、皇族と皇族に許可された人のみ立ち入ることが出来る場所がある。それが西側の庭園にある|花園(ここ)だ。
花園という名の通り、隙間なく花々が咲いている。しかも、季節ごとに植え替えをしているので夏を過ぎると違う花が土に根を下ろす。普段鑑賞するのは皇家の方々。ゆえに一番庭師達の力が入っている場所でもあった。
目を細めてしまうほど燦々と輝く太陽の下で、庭師達は汗を拭いながら今日も樹木や花の手入れをしている。
宮廷の庭師の仕事はとても大変で手間がかかる上に、体力消耗が激しい。はっきり言ってしまうと簡単ではない。だが、ここで働いている方達は自分の仕事に誇りを持っていて、訪れる度にとても輝いて見える。
「公爵令嬢、着きましたよ」
花壇の方を見ていた私は日傘をずらして近衛騎士を見る。すると彼は温室のガラス扉の取っ手を掴んでいた。
「案内、ありがとうございました」
傘をさしたままであるが、再び頭を下げる。
「仕事ですから。中へどうぞ」
朗らかな笑みを浮かべた近衛騎士はそのまま扉を開けてくれる。
ゆっくりと開いた扉から、ひんやりとした冷気が外に逃げるように身体を包んだ。私は日傘を閉じて温室に足を踏み入れる。
全面ガラス張りであるが、外からは魔法によって内部が見えなくなっている空間。六角形になっている温室は、不規則に宙に浮かんでいる透明な魔晶石によって室温が管理され、真ん中にテーブルとイスが設置されていた。
「リーティア様こんにちは」
最初に私に気が付き、声をかけてくださったのはキャサリン様だった。彼女は座席には座らず、扉の近くにあった観用植物を見ていたようだ。
「こんにちは。お久しぶりですね」
外行きの笑顔を浮かべながら挨拶をする。
「ええ、夏季休暇に入ってしまったらリーティア様や他の方達とお会いする機会がなくて……本日、お会いできてとても嬉しいです」
にっこりと笑いながらそう仰ったキャサリン様。奇妙なことに何故か私はそこに引っかかりを覚える。
(うーん、なんだろう……?)
どこかで同じようなことを見た気がして記憶を辿る。しかし何も思い出せない。
「リーティア様、どうぞこちらにおいでくださいませ」
話を繋げるわけでも、かといって動こうともしなかった私に次に声をかけて下さったのは、既に席に着席していたエレン様だった。彼女が示してくれたのは縦長のテーブルの一番端の席で、私がいつも座っている席。
正面にはアイリーン様もいて、小さく手を振ってくれている。
「ああ、エレン様が呼んでますね。私も座らなくては……」
キャサリン様と一緒にテーブルに近づき、私はエレン様の隣に腰掛ける。
「まさか今回の定期茶会にリーティア様が参加されるとは思いませんでした」
エレン様は声のトーンを落として、他の人に聞こえないくらいの声で尋ねて来た。そう思うのも妥当だ。実は一昨日まではルーキアの南の方にある公爵領の別荘に、家族と一緒に避暑に行っていた。
周りは森に囲まれた自然豊かで、別荘から数分歩けば海がある。毎年、夏の間ずっと滞在する場所。
今年は夏季休暇に入る前に足を怪我してしまったので行けるか不安だったが、休みに入る前に骨折も治り、思う存分楽しむことが出来た。
瞳を閉じれば今でも情景を思い出せる。窓を開ければ海に冷やされた冷たい空気を潮風が室内に運び、小鳥がチュンチュンと鳴く音で目を覚ます。昼は釣りをしたり、別荘にしか置かれていない蔵書を読んだり、木々に実る杏や油桃を搾った果汁でジュースやジャムを作ったり。天気が良くて波が荒れていない日は海でも遊んだ。
他の方も自分の領地に避暑に行くが、アリリエット家の領地は馬車でも数日かかり、帰ってくるのが大変だ。
そのため避暑に出かけてしまうこの時期の定期茶会だけは毎年欠席していた。
それでも今回は無理やり日程を調整して首都に帰ってきたのは理由がある。
「今回のお茶会は原則参加して欲しい。と招待状に書かれていましたので」
手紙に書かれていたから来た。というのはあくまでもアリリエット公爵家として。私個人としては3ヶ月前に私の部屋に不法侵入し、別荘にも周りがいない時を見計らって私の前に現れた青年が、この茶会にどのように関係しているのか? ということの方が気になっていた。
朝、一人で敷地内の森を散歩していた時のこと。
『お届けものだよ』
そう言って湖畔の木の影からいきなり現れた魔法使い。
驚いて尻もちをついた私を見て、紅の瞳を細めながら笑っていた。
ひとしきり笑った彼は、座り込んでしまった私に手を差し伸べて起き上がらせたあと、一通の手紙を渡して直ぐに転移魔法で消えてしまった。
私は誰から受け取った手紙なのかを両親は勿論。誰にも言わなかった。
避暑には数人の昔から仕えてくれている者しか着いてきていない。なので自ずと普段より周りにいる人が減る。だから嘘をついてもバレにくい。
加えて私はみんなより早く起きて1人で散歩するのが日課だったのと、手紙に皇家の蝋が押されていたこともあり、「ポストの中に入っていた」と嘘を言っても誰も疑わなかったのだ。
まあ、皇家からの手紙なのに何故使者が直接渡しに来なかったのか疑問はあったかもしれないけど……。何も言われなかったから大丈夫だろう。
「リーティア様、紅茶をお注ぎ致します。アイスとホットどちらに致しましょう?」
そう言ってスっと寄ってきた皇宮の侍女は、傍に玻璃のアイスペールを置いた。
これは紅茶の温度を調節するための氷を入れたもの。
夏でも温かい紅茶を飲む人がいれば、氷をたくさん入れて冷たくして飲む人、氷を入れずに少し置いておいて常温にする人など好みが分かれる。
私の場合、夏は紅茶を冷たくして飲む派だ。
「アイスでお願いします」
「かしこまりました」
侍女はティーカップをテーブルに置き、アイストングで氷をカップの縁付近まで入れ、温かい紅茶を静かに注いでくれる。
洗練された動きは不要な動作がひとつもない。
彼女は紅茶を注ぎ終わると、アイスペールの蓋を閉め、音を立てずに後ろに戻る。そして他の給仕達と同様に、茶会の邪魔にならないよう気配を極力薄くする。
氷によって急速に冷えた紅茶はクリームダウンを起こすことなく透明を維持し、口に含むと仄かに薔薇の香りが私を包んだ。
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