前世と今世の幸せ

夕香里

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彼女の今世

閑話 セシル・アリリエットⅡ

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 お姉様のことを思い出していると微かに足音が聞こえてきた。

「────陛下、何故ここに?」

「……顔を見なくても分かるんだな」

「ここに来る方は限られています。両親と私以外に来るとするならば────陛下だけです。何故なら皇后陛下は絶対にいらっしゃらないから」

 ここは皇宮の地下に存在する場所。歴代の皇族の方達が葬られている。今日は元々陛下と話があって皇宮に来たのだが、それならばお姉様の所に寄ろうと少し早く到着したのだ。

 所持していた扇を広げて顔を隠し、陛下の方へ振り向く。

 この国で喪を意味する黒を纏い、階段を降りきった陛下は直近に行われた公の場で見た時よりも少しやつれた気がする。それはきっと気の所為ではないだろう。

「……そうだな。リーナは来ないだろう」

「そうですか。では、私の最初の質問に答えてください。何故、ここに? 約束している時間はまだのはずですが」

 着けてきた腕時計を見るが、やはり約束の時間に遅れてはいない。

「セシル嬢が地下にいると聞いたからだ。それに皇妃もここに居るから」

 先程私がしたように陛下は棺に手を添えた。

 それが異様に優しい手つきで忌々しい。今更お姉様を気遣うの? 扇によって陛下に見えないことを幸いに口元が歪む。

「それなら少し時間は早いですが上でお話を……」

 踵を返して階段の段に足をかける。

「いや、ここでいい。今から話す内容は彼女に関係があるのだから」

 本来なら陛下とは謁見の間で、従者や記録者がいる中で話をするきまりだ。

 記録を取ることによって、不正や虚言が出来ないようにするために。

 それなのに陛下はここで話をすると言った。私と陛下、そして永遠とわの眠りについている皇族の方々しかいない中で。

「……まあ陛下がそう思うのでしたらそうしましょう」

 パチンとわざと音を立てて扇を閉じ、陛下の正面に立つ。

「それでアリリエット公爵家の要望だが……」

「えぇ、リーティア皇妃殿下の棺を引き取らせていただきたく思いますわ」

 途中で黙り込んでしまった陛下の代わりにはっきりと言った。

「本当に引き取るのか?」

「勿論。お父様とお母様、そして私は望んでいます。前例はありますよね? 記録があることは確認しておりますから難しいことではないはずです」

 〝皇妃〟という地位にいた女性が少なかったため、昔の人はどうしていたのか探すのには手間取った。でも懸命に探した結果、ほとんどの棺は元の家へ引き取られていた。

 それを陛下が知らないはずがない。なのに何故──

「移動させなくても良いのではないか?」

 書面で尋ねた時と同じ返答。

 愚帝が、蔑ろにした人間が、言える立場ではないのに。お姉様が幸せだったのなら、こうはならなかったのに。

「何を……我が公爵家は皇妃殿下を弔いたいのです。生前、出来なかったことを取り戻すことは出来ませんがそれならばせめてこれからは……と」

「ここでも十分に弔えるのではないか? わざわざ公爵家が引き取らなくても」

 あくまでも了承しないのね。でも、こちらだって譲れない。お姉様は公爵邸も嫌いかもしれないが……お父様とお母様はお姉様が帰ってくることを切望しているのだ。






 あの日宮から遣いが来た時、お母様と私は温室で刺繍をしていた。

 久しぶりに時間が空いたお母様は私に薔薇の刺繍の仕方を教えてくれていた。お母様は無意識かもしれないけど刺繍を刺す時、お姉様が好きだった植物をモチーフにする事がよくある。あの時もお姉様が好きだった薔薇だった。

 温室のガラス張り越しに本邸から駆け足に走ってくる執事と侍女長が見えて、いつも冷静な彼らが困惑しているのに違和感を持った。

「あら、どうしたのかしら。セシル、分かる?」

「いいえ。何も知りません」

「奥様、セシルお嬢様!」

「どうしたの? そんなに急いで」

 少しだけ不安を覚えながら尋ねると、執事は持っていた手紙をお母様に差し出す。

「たっ大変です! 皇宮から…」

「皇宮から?」

(────あれは皇家の紋章。それもこんなに急いで出してくるなんて……お姉様に何かあったの?)

 お姉様が嫁いでから約1年。お姉さまからは一通も私的な内容の手紙は届いていない。届くのはこちらが出した手紙に対する返信のみ。それも当たり障りないことしか書いておらず、お姉様が何をしているのかは何も書かれていなかった。

 加えて皇妃となったお姉様は気軽に会いに行ける身分ではなく、公式の場でならば様子が見れると思っていたのだがお姉様は表舞台に1度も出てこなかった。

 皇家主催の晩餐会、お茶会、舞踏会、全てにおいて姿を見た人はいなかった。見かけるのはあの皇后となったレリーナだけ。他の貴族も不自然に思っただろうが、それを表に出して発する者はいなかった。

 所詮は。 

 貴族からすれば皇后に何も無ければ皇妃なんてどうなってもいいのだ。

 それに皇后になったレリーナ様は貴族ではなかったため、後ろ盾が無く、傀儡にしやすい立場だったが、お姉様は皇妃とは言え、筆頭公爵家の長女。
 筆頭公爵家を敵に回したい貴族なんて殆どいなく、邪魔だと思っているだろう。

 けれども悪い噂は流れてこなく、耳に挟むのは執務を終わらせるのが早くて優秀だということ。

 それでも顔を見れないことが心配で、病気なのかと便りを送っても元気よ、と送られてくるだけ。流石に自分の娘の姿が見えないことに不安を持ったお父様とお母様は、面会を陛下に願ってみたらしいが門前払い。

 この1年、式の時のお姉様の表情を忘れた訳では無い。だからお父様の忘れ物を届ける際に、文官様にそれとなくお姉様の評判を尋ねた。すると彼らは皆、皇妃殿下は素晴らしい人だと噂の通り褒めていた。

 だから……悪い知らせでは無いはず……なのに不安は増大する。

「そっそれが皇妃殿下が……リーティアお嬢様が……お亡くなりになられたと」

 カシャンと音を立てて木でできた丸枠が地面に落ちた。

 (お姉……様……が亡くなっ……た?)

「うっ嘘よ! だってあの子は……リーティアは……大きな病にかかったことも無いし、病弱だった訳でもない! だから嘘よ!」

「奥様!」
「お母様!」

 前にいたお母様が手紙を握りしめたまま、倒れ込む。咄嗟にそれを侍女長と一緒に支える。

 顔を覗き込むと、気を失っただけのようでどこか頭をぶつけたりはしていないようだ。

「セシルお嬢様、奥様は私達が運びますのでご支度を」

「分かったわ皇宮に……行くのね」

「左様です。公爵様は皇宮にいらっしゃいますのでセシルお嬢様も公爵様の所へお願い致します」

「……お母様は?」

「奥様は……無理でしょう」

 真っ青な顔で気を失っているお母様。お母様がお姉様のことでこんなに取り乱すところを初めて見た。
 だから意識を取り戻しても皇宮には行けないだろう。

「そうね」

「さあお嬢様、こちらに」

 侍女長に促されて本邸の中に戻ろうと1歩足を動かすと、コツンと何かに靴が当たる。

「……汚れてしまったわね」

 しゃがみこんで丸枠を拾い上げると、途中まで刺してあった刺繍は砂と土によって汚れていた。

「セシルお嬢様、私が後ほど綺麗にしておきますので今はお急ぎ下さい」

「ええ……お願い」

 汚れてしまった布を丸枠と共に侍女長に渡すと今度こそ自室に戻り、着替える。
 
 そして気が付いた時には馬車の中で、御者が開いた扉の外から私が降りやすいように手を差し伸べていた。

(いつの間に皇宮に……)

「セシルお嬢様、どうぞ」

「ありがとう」

「アリリエット公爵令嬢お待ちしておりました。陛下と公爵様の元にご案内致します」

 馬車から降りると、皇宮に務めている騎士の方がいた。騎士様はお父様と陛下の元に連れて行ってくれるようで、私を皇宮の中へと促す。

 皇宮はいつもよりも暗い雰囲気で、あちらこちらで侍女や騎士、政務官達が小声で話している。

 途切れず聞こえてくる話し声。誰も窘める者はいなく、チラチラこちらを見てくる人もいる。

 それらを見て見ぬふりをして、前を歩く騎士様の後を少しうつむき加減について行く。

 お姉様に最後に会ったのは教会。それも、お父様達はお姉様と陛下の邪魔をしては行けないとそそくさと帰ってしまったので、話しかけることが出来なかった。

 歩いている最中、お姉様の部屋にお父様と陛下はいると騎士様は言った。続けて皇妃殿下はそこでお眠りになられていますと。

 私はその話を聞いても、お姉様がこの世に居ないことをまだ信じられなかった。
 
 だからありえないと分っていても、向かっている部屋の中からひょっこりと出てきてくれるかもしれないという願望に取り憑かれそうになる。

 いつかは仲良く出来る。だから今度……今度こそ。そうずっと思っていた。それがダメだった。無理にでも会いに来ればよかった。話す機会をつくればよかった。
 
 後悔だけが私を囚える。

「──こちらです」

「……嘘ですよね? 皇宮の配置図を把握していない私でも分かります。ここは────」

 騎士様が案内したのは、1階の1番端。豪華絢爛とは言えない廊下。そして皇族にの護衛騎士が配置されていたようには見えない一室。

 唖然とする私に対して騎士様は罰が悪そうに視線をずらす。

「……中にお入りになれば分かります。どうぞ」

 いつの間にか震えている手で3回ノックした後、ドアノブに手を伸ばす。

 (しっかり……するのよ。中には陛下とお父様もいるのだから)

 動揺を隠すために深呼吸をしてドアを開けると、冷たい冷気が頬を掠めた。

 それは、リーティアお姉様が死んだということを無理やり分からせるには充分なことで、じわりと今になって涙が滲んだのだった。
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