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第3章

35 手を伸ばす(1)

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 まるで嫁いできたばかりの頃に遡ってしまったのかと錯覚してしまうほど、セルゲイとの距離は遠くなってしまった。食事を共にしても無言の時間が増え、エヴェリがセルゲイを避けてしまう。

(今日もセルゲイさまは時間を作って付き添ってくださると言って下さりましたが……)

 エヴェリが断ったのだ。忙しい中、わざわざ時間を作ってもらうのは申し訳ないと。

 彼の忙しさは単なる口実だ。実際はセルゲイと接する時間を極力減らしたかった。

「本当に……どうしましょう」

 ため息を吐き、しばらくしてエヴェリが礼拝堂から出ると奥からリラが現れた。

「あ、やっとお姉さん見つけた!」

 ぎゅっと背後から抱きつかれる。

「わたくしを探していたのですか?」
「うん」
 
 頭を撫でてやるとリラは嬉しそうに頬を擦り寄せてくる。孤児院に移ったリラとは既に何度か顔を合わせている。そのうちに彼女は頭を撫でられるのが好きだと分かった。

「さっきさ、お姉さん難しい顔してたから。なんか一人にしちゃいけない気がして。わたし子どもだし、お貴族さまのことは何も分からないけど、話を聞くだけならできるよ?」

 そうやって気遣ってくれる心が嬉しく、申し訳ない気持ちも抱く。

(リラさんならいいでしょうか)

 舞踏会の日からセルゲイの告白をどうすればいいのか。藁にもすがる思いで女神に問うてしまうほど、エヴェリはずっと悩んでいた。

 誰にも話さない方がいいのだろうが、エヴェリは全ての物事の経験が少なく世間に疎い。自分の考えが極端な可能性もあって、確認のためにも他の人に聞いてほしかった。ただ、一日中屋敷の中で過ごすエヴェリに相談相手はいない。
 なので無邪気な幼子の意見も聞いてみたかった。

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて私のお話を聞いて下さりますか」
「うん、いいよ」

 もう一度、礼拝堂の中に戻る。長椅子に腰掛け、話し始める。一応、現実には存在しない架空の友達の話にして、どうして嫁ぐことになったのか、細かいところはぼかしつつも悩みを打ち明けた。

「要は騙している旦那さんに好きだと言われて、でも、後ろめたいから素直に受け取れないってこと?」
「そうです」
「で、どうすればいいのかお姉さんのご友人さんは悩んでいると」
「はい」

 リラはあっけらかんに答える。

「簡単じゃん。受け取ればいいよ。私ならそうする。なんでそんなに悩むの?」
「えっ」

 酷く驚くエヴェリに、リラは首を傾げる。

「でも、騙しているから……」
「騙してるって嫁いだときから入れ替わってるんでしょう?」
「そうですけど……」

 ならさ、とリラは立ち上がってエヴェリの前に立つ。

「私を助け出してくれたのは、お兄さんと一緒に居たのはお姉さんだよね? あの時のお姉さんと今のお姉さんは別人なの?」
「いいえ」

 ふるふると首を振る。あの日、リラに手を差し伸べたのはセルゲイとエヴェリだ。

「それと同じだよ。うまく説明できるか分からないんだけど……旦那さんが今まで見てきたのは嫁いできたご友人さんの姿じゃん。見たこともない本物?の人ではなくて、一緒に過ごして話したご友人さんだからこそ、好きになったんじゃないの……? 旦那さんにとっては身代わりの人こそ、自分の本物の奥さんだもん」
「そう……でしょうか……」

 目頭が熱くなる。
 シェイラという器を借りたエヴェリ自身を、セルゲイは正体を知らなくとも見てくれているのだろうか。

「他の人の成果をさ、横取りしてるなら悪い人間だけど…………違うんでしょ? なら、騙してるとかあまり関係ないんじゃないかな」

 リラの言葉に肩の荷が少し下りる。

「だって例えば、お姉さんに今の今まで私のことを騙してるよって言われても、これまでの積み重ねがあるから、お姉さんのこと好きなのは変わらないもん。まあ、内容によるけど……」

 むむむと唸るリラを見つめる。

(…………王族の身代わりだなんて。リラさんが想像するよりも大罪なのですが、それでも手を伸ばしても許されるでしょうか)

 幼子の言葉だ。それにエヴェリは細かい事情を省き、彼女は仔細を知らない。国同士の複雑な関係性やエヴェリの立つ基盤は脆く、容易く崩れることも、一歩間違えたら奈落の底に突き落とされることも。
 けれど、リラの意見はウジウジと後退してばかりの自分の背中を押してくれた気がした。

「ありがとうございました。友人に伝えておきますね」
「うん。じゃあ、次は私の用事に付き合って! お天気いいからお外行こーよ」

 嬉々として飛び跳ねたリラは、座っていたエヴェリの手を握って引っ張る。廊下を抜けて庭に出る。青空の下、とある一角に子供たちが集まっている。その中心に大人がいて────

(あっ)

 ピタリとエヴェリの足が止まる。
 その大人は周囲の子供に裾を引っ張られ、声を張り上げた。

「すまない。今日は時間がないんだ。今度来た際、順番に遊んであげるから、引っ張るのはやめてくれないか」
「えーー公爵さまお忙しくていつ来るかわからないじゃん!」
「…………それを言われると何も言えなくなるな」

 エヴェリは子供たちに囲まれたその人に近づき、声をかける。

「セルゲイさま」

 彼は気まずそうにエヴェリの方へ振り向いた。
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