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第2章

27 この世に一つだけの

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 エヴェリがセルゲイの元に嫁いでから二ヶ月は経っているが、その間に訪れた場所はリラに会ったあの日のクラーラの店と宝飾店のみで、舞踏会が開かれる王宮には足を踏み入れたことはない。

 シュタインズ公爵邸から王宮までの距離は近いようで、門を抜けると暗闇の中に煌々と輝く王宮らしき大きな建物が浮かび上がっていた。

 馬車はその建物に向かって走る。目を細めてしまうほど眩しいくらいにあちらこちらに明かりが取り付けられ、警備の騎士たちが一定間隔に立ち並ぶポーチに入っていく。

「──シェイラ」

 馬車が停止し、さあいよいよだと気を奮い立たせようとしたところでセルゲイに声をかけられた。

「今宵の舞踏会は貴女にとって居心地の悪いものだろう。申し訳ないが、ヴォルガの貴族にハーディングの姫を良く思う者はいない。だが、何があっても私は貴女の味方だ。貴女を害する全ての物事から守り抜く」

 真摯な眼差しにエヴェリは驚きつつも頷く。彼の言葉は不思議と信じられる気がした。

「それと、本来ならこのような場所ではなく屋敷で渡せばよかったのだが……着飾った貴女のあまりの美しさに当てられて、すっかり忘れてしまった品を受け取ってくれるか?」
「? はい」

 セルゲイは背広の内ポケットから小さな箱を取りだし、エヴェリの前で開けた。中身は指輪だった。石座には花の形にカットされた蒼い宝石が嵌め込まれ、燦然と輝いていた。
 指輪の腕部分には蔦模様の繊細な細工が施されており、職人の技巧がふんだんに使われている。

「これは……」

 目を引く蒼の宝石はエヴェリの本来の瞳と同じ色で。何だか運命を感じる。

「ハーディングでは夫が妻に指輪を贈る慣習があると思い出して……。特注品なのだがどうだろうか? 気に入ってもらえると嬉しいのだが……」
「つまり、この品物をわたくしにですか?」

 信じられなくて問い返してしまう。

「他に誰がいる? ああ、念の為言っておくが、前のように妻だから義務で用意したのではない」

 そこで一旦区切り、少し吃りながらも続ける。

「その……貴女に喜んでもらいたかったのと、私が貴女に似合うようなものを、貴女の為だけに一から考えて贈りたいと思ったからだ」

 その言葉に心を揺さぶられる。ひどく目頭が熱い。

「私がシェイラの指にはめてもいいか?」
「もちろんです」

 左手を差し出す。セルゲイは箱から指輪を取りだし、エヴェリの薬指にそっとはめた。
 まるで最初からそこにあったかのように馴染む。月明かりにかざすとより一層きらきらと輝いた。

(私だけのもの)

 気づけばぽろりと瞳から溢れた涙が頬を伝い落ち、セルゲイがギョッとする。

「泣くほど嫌だったなら無理して受け取らなくていい」

 セルゲイはすぐさま嵌めたばかりの指輪を外そうとエヴェリの左手に手を伸ばしてくるが、エヴェリはふるふると首を横に振って左手を胸元に持っていき、右手で覆い隠す。

「違うのです。セルゲイさまからの贈り物を嫌だなんてそんなことありえません」

 勘違いさせるような涙なんて早く止めたいのに、中々止まらない。

 それにエルゼがせっかく身支度を頑張ってくれたのだ。ここで泣いて化粧が崩れるのは避けなければならない。ハンカチで涙を拭い、弁明する。

「セルゲイさまからの贈り物がとても嬉しくて涙が溢れてしまうのです。すみません」

 胸がじんわりと温かい。

(だって私、こういった贈り物をいただくのは初めてですから)

 心のこもった贈り物など、生きてる価値さえないエヴェリの人生には無縁なものであるはずだった。ましてや指輪なんて。

(まるで──ずっとそばにいていいと仰ってくれてるように感じてしまいます)

 ハーディングでは、妻に指輪を渡すのは永遠の愛への誓いを目に見える証とするためだ。

 嫌われ、憎まれて当然なのに。エヴェリの存在を、居場所を、肯定してくれていると勘違いしてしまいそうになる。
 そんなことありはしないと分かっていても、今だけはエヴェリの好きなように受け取っても良いだろうか。

「指輪、ありがとうございます。肌身離さず大切に着けますね」

 泣き笑いの形になってしまったが、微笑めばセルゲイも表情を弛めた。

 少し時間がかかってしまったが、セルゲイが先に馬車から降りるためにドアを開くと、ザワザワと人々の話し声が耳に入ってくる。
 中でもセルゲイが降り立つとざわめきが大きくなった。

『見て! セルゲイ様よ』
『ああ、いつ見てもうつくしい顔立ちだわ』
『今日は王家から何やら発表があるとか。もしかして今まで婚約の打診を全て切り捨てていた公爵様が花嫁探しをするのかしら?』

 セルゲイは目を向けることもなく、緊張で再び表情が強ばってしまったエヴェリを優しい声でほぐす。

「私は何があっても貴女の味方だ。大丈夫だからおいで」

 彼の手を取れば軽く握られる。深呼吸して馬車から出る。

 すると周囲の貴族達はセルゲイに甲斐甲斐しくエスコートされる着飾った娘の登場に、困惑を顕にし、エヴェリは彼らの視線を一身に集めたのだった。
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