145 / 150
番外編
愛しい宝物(1)
しおりを挟む
「あ、ははうえー!」
その声に反応して振り返ると、まだおぼつかない足取りでこちらに駆けてくる小さな姿があった。
「あらあら乳母はどこに行ったの?」
満面の笑みで抱きついてきた我が子を優しく抱き上げ、柔らかな頬にチュッと口付けした。くすぐったそうに目を細めたキースはエレーナにキスを返す。
「くるよ。ほら」
見れば、曲がり角から慌てた様子の乳母が現れる。
「申し訳ございません。少し目を離した隙に王妃様を探しに出られたようで……」
ようやくキースに追いついた乳母は肩で息をしながら弁明する。
「キース、乳母の話はほんとう?」
「うっ、ほ、ほんとう……です」
視線を逸らしながらもキースは答える。
「困らせてはいけないといつも教えているでしょう」
無理やり視線を合わせ、眉間に皺を寄せて叱れば我が子は瞳に涙をためる。
「だっ、だってぇ。侍女たちが……ははうえが今、廊下にいるって。休憩だからお菓子をさしいれましょうって」
キースは説明しながらぽろぽろと涙をこぼす。エレーナはそれをハンカチで拭った。
「だからって勝手に部屋から出てはダメよ」
「でもぉ、ははうえ、最近おいそがしくて……見かけても急いでて、きゅうけいなら、お邪魔じゃないって……うぅ」
段々と涙声に変わり始める。
「しつむ、だけじゃなくて、ぼく、のこともかまってぇ」
そこで堰を切ったようにびぇぇっとキースは声を上げて泣き始めた。
「リリアン」
呼べば、後ろに控えていたリリアンはエレーナの言いたいことを汲み取り、即答する。
「──二日です。お眠りになっている時を外したら三日日です」
「そんなに?」
「はい」
絶句するエレーナに対して、リリアンが畳み掛ける。
「申し上げにくいのですが……陛下もここのところお忙しいようですので、キース殿下がお二人に会った最後は……」
もうすぐ四歳になる我が子はまだまだ甘えたい盛り。普段だってエレーナが気が付かないだけで沢山の我慢を強いているはずなのに。
(…………なんてことをしているのかしら! 母親失格だわ)
ここのところ忙しくて中々息子と過ごせず、せめてもと我が子の寝顔を見に行くことはしていたが、キースからしてみれば三日会ってない。酷い親だ。
己の失態に心が沈んでいく。何よりも、可愛い我が子を悲しませてしまったことに後悔が募る。
(これは私の過ちね。寂しいなんて当たり前じゃない。なのに叱ってしまうなんて……)
「ごめんなさい。お母様が悪かったわ」
泣き止まないキースはぐりぐりとエレーナの肩に顔を擦り付ける。鼻水を啜る音から多分ドレスはびちょびちょだろう。
「お願い、泣き止んで……って言えないわね。私のせいだもの。どうしましょう」
オロオロとキースを抱えながらエレーナは右往左往する。その間にも幼い王子殿下の泣き声を聞き付けた文官達や侍女が、何事かと集まり始めていた。
「王妃様、取り敢えずキース殿下のお部屋に」
見かねた乳母が提案する。
「そうね。ここにいては他の者にも迷惑をかけるわ」
キースをあやしながら部屋に移動し、ソファに腰掛けた。彼はギュッとエレーナの服を握り、離れようとしない。
「メイリーン」
「はい」
どこからとも無く現れたメイリーンがエレーナの前に立つ。
「ギルベルトかリチャードに火急の案件があるか確認してきて。それと、ないようなら今日の執務は全部明日以降にずらすよう伝えて」
「かしこまりました」
軽く頭を下げるとメイリーンは部屋を出ていき、入れ替わりでワゴンを引くリリアンが入ってくる。
それを横目に見ながら、エレーナは顔をあげない息子に声をかける。
「キース」
「…………」
「──キース」
「…………」
聞こえてはいるはずなのに返答はない。
お茶を注いだリリアンが極力音を立てずに部屋を出ていき、二人っきりになったのを見計らって、エレーナは再度声をかけることにした。
「私の可愛い坊や、お顔を見せて」
「うっ」
こういう言い方をすると反応が返ってくることを知っていた。我ながら狡いと思うが、致し方ない。
渋々上げたキースの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。ふるふると唇を震わせ、留めなく涙が伝い落ちている。
それを指で拭いながら口から出たのは謝罪の言葉だった。
「ごめんね」
エレーナの謝罪に息子はくしゃりと表情を崩した。
その声に反応して振り返ると、まだおぼつかない足取りでこちらに駆けてくる小さな姿があった。
「あらあら乳母はどこに行ったの?」
満面の笑みで抱きついてきた我が子を優しく抱き上げ、柔らかな頬にチュッと口付けした。くすぐったそうに目を細めたキースはエレーナにキスを返す。
「くるよ。ほら」
見れば、曲がり角から慌てた様子の乳母が現れる。
「申し訳ございません。少し目を離した隙に王妃様を探しに出られたようで……」
ようやくキースに追いついた乳母は肩で息をしながら弁明する。
「キース、乳母の話はほんとう?」
「うっ、ほ、ほんとう……です」
視線を逸らしながらもキースは答える。
「困らせてはいけないといつも教えているでしょう」
無理やり視線を合わせ、眉間に皺を寄せて叱れば我が子は瞳に涙をためる。
「だっ、だってぇ。侍女たちが……ははうえが今、廊下にいるって。休憩だからお菓子をさしいれましょうって」
キースは説明しながらぽろぽろと涙をこぼす。エレーナはそれをハンカチで拭った。
「だからって勝手に部屋から出てはダメよ」
「でもぉ、ははうえ、最近おいそがしくて……見かけても急いでて、きゅうけいなら、お邪魔じゃないって……うぅ」
段々と涙声に変わり始める。
「しつむ、だけじゃなくて、ぼく、のこともかまってぇ」
そこで堰を切ったようにびぇぇっとキースは声を上げて泣き始めた。
「リリアン」
呼べば、後ろに控えていたリリアンはエレーナの言いたいことを汲み取り、即答する。
「──二日です。お眠りになっている時を外したら三日日です」
「そんなに?」
「はい」
絶句するエレーナに対して、リリアンが畳み掛ける。
「申し上げにくいのですが……陛下もここのところお忙しいようですので、キース殿下がお二人に会った最後は……」
もうすぐ四歳になる我が子はまだまだ甘えたい盛り。普段だってエレーナが気が付かないだけで沢山の我慢を強いているはずなのに。
(…………なんてことをしているのかしら! 母親失格だわ)
ここのところ忙しくて中々息子と過ごせず、せめてもと我が子の寝顔を見に行くことはしていたが、キースからしてみれば三日会ってない。酷い親だ。
己の失態に心が沈んでいく。何よりも、可愛い我が子を悲しませてしまったことに後悔が募る。
(これは私の過ちね。寂しいなんて当たり前じゃない。なのに叱ってしまうなんて……)
「ごめんなさい。お母様が悪かったわ」
泣き止まないキースはぐりぐりとエレーナの肩に顔を擦り付ける。鼻水を啜る音から多分ドレスはびちょびちょだろう。
「お願い、泣き止んで……って言えないわね。私のせいだもの。どうしましょう」
オロオロとキースを抱えながらエレーナは右往左往する。その間にも幼い王子殿下の泣き声を聞き付けた文官達や侍女が、何事かと集まり始めていた。
「王妃様、取り敢えずキース殿下のお部屋に」
見かねた乳母が提案する。
「そうね。ここにいては他の者にも迷惑をかけるわ」
キースをあやしながら部屋に移動し、ソファに腰掛けた。彼はギュッとエレーナの服を握り、離れようとしない。
「メイリーン」
「はい」
どこからとも無く現れたメイリーンがエレーナの前に立つ。
「ギルベルトかリチャードに火急の案件があるか確認してきて。それと、ないようなら今日の執務は全部明日以降にずらすよう伝えて」
「かしこまりました」
軽く頭を下げるとメイリーンは部屋を出ていき、入れ替わりでワゴンを引くリリアンが入ってくる。
それを横目に見ながら、エレーナは顔をあげない息子に声をかける。
「キース」
「…………」
「──キース」
「…………」
聞こえてはいるはずなのに返答はない。
お茶を注いだリリアンが極力音を立てずに部屋を出ていき、二人っきりになったのを見計らって、エレーナは再度声をかけることにした。
「私の可愛い坊や、お顔を見せて」
「うっ」
こういう言い方をすると反応が返ってくることを知っていた。我ながら狡いと思うが、致し方ない。
渋々上げたキースの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。ふるふると唇を震わせ、留めなく涙が伝い落ちている。
それを指で拭いながら口から出たのは謝罪の言葉だった。
「ごめんね」
エレーナの謝罪に息子はくしゃりと表情を崩した。
104
お気に入りに追加
5,987
あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。


【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。
大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」
「サム、もちろん私も愛しているわ」
伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。
告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。
泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。
リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。
どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ
基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。
わかりませんか?
貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」
伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。
彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。
だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。
フリージアは、首を傾げてみせた。
「私にどうしろと」
「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」
カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。
「貴女はそれで構わないの?」
「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」
カリーナにも婚約者は居る。
想い合っている相手が。
だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由
ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。
しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。
話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、
「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」
と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。
同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。
大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら
基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。
エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。
微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。
エブリシアは苦笑した。
今日までなのだから。
今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる