140 / 150
番外編
初めての遠出(3)
しおりを挟む
「早く医者を」
「もう遣いを出しました」
そんな切羽詰まった声が聞こえてきて。エレーナはケホケホと激しく咳き込みながら一時的に意識を取り戻した。
「レーナ」
大好きな声が耳に届く。
「……っ」
名に反応する代わりにエレーナは咳き込む。そのたびに吸い込んでいた水が口腔内から溢れてきた。
エレーナはリチャードに抱き抱えられているようだった。ぼやける視界にはぐっしょりと濡れたドレスに、前髪からはぽたぽたと水が滴り落ちてくる。
(さむい)
全身びしょ濡れの身体は体温を奪われており、ぶるりと震えると上からふわふわな毛布のようなものをかけられた。
「これしかなくてごめん。もうすぐ離宮に着くよ。着いたら温めてあげられるから」
どうやら自分は助けられたようだ。こくんと小さく頷いてエレーナの意識はまた遠のいた。
その後のことはあまりよく覚えていなかった。離宮に着いたエレーナは先に知らせを受け、待ち構えていたリリアン達によってすぐに着替えさせられ、火を熾した暖炉で温められた部屋に寝かされた。
そして水に落ちた影響か、酷い風邪をひいてしまい高熱に魘されて朦朧とした中、何度か目を覚まし、その度にリチャード達に話しかけられたらしい。
ようやくはっきりと意識を取り戻したのは湖に落ちて溺れ死にそうになってから三日後のこと。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
エレーナは三日三晩自分のそばを離れず、メイリーン達と共に付きっきりで看病してくれていたリチャードに謝罪の言葉を述べていた。
(誘拐事件で魘されていたのを知っていたのに。私、またリー様のトラウマを掘り起こしてしまったわ)
ちらりと夫の顔を見る。彼の目の下には隠しようもないほど濃いクマができていて。メイリーンが教えてくれたことには、この三日間一睡もしてないらしい。
「それと、助けていただきありがとうございます。ただ、護衛の方も他の小舟に乗っておりましたし、リー様が自ら湖の中に入るなんて……下手したら私と一緒に溺れてしまいます」
意識を手放すその瞬間、手首を掴んで引きあげてくれたのはリチャードだった。
命の恩人かつ夫に対して言うべきではないが、彼は王太子なのだ。王太子妃のエレーナは替えがきくが、王太子はリチャードしかなれない。
救助は護衛に任せた方が良いし、護衛の方々も王太子が自ら湖に飛び込むなんて肝を冷やしたと思う。
「私のために命を危険に晒すのはやめてください」
妻として、愛する人であるリチャードが自分を助けるために湖に飛び込み、共に溺れる可能性があっただけでも心臓が冷えていく心地がする。
そんな思いから伝えたのに、リチャードは腕を組みながら不機嫌そうに口を歪める。
「レーナは私の心を君がどれほど占めているか分かってないみたいだね」
リチャードは寝台の中で上半身だけ起こしたエレーナの頬を撫でる。
「そもそも、レーナがいない人生なんて死んだも同然だ。飛び込まない選択肢はない」
そう言って存在を確かめるように強く抱き締められる。
「もう二度と飛ばされた帽子に手を伸ばさないで。わかったね?」
「それはちょっと……」
言葉を濁すと彼は眉間に皺を寄せる。
「何故」
「……リー様からいただいた私の大切な宝物ですもの。咄嗟に身体が動いてしまったのです。だから今後も同じことが起きた場合、きっと手を伸ばしてしまうでしょうし、約束できません」
「帽子なんていくらでも贈ってあげるよ」
「そういう問題ではないのです!」
むうと唇を尖らせる。
「リー様が私と同じ立場だったら、手を伸ばさないのですか? 違うでしょう」
目の前の彼が心底自分のことを愛してくれているのはもう恥ずかしいくらいに身をもって知っている。
エレーナが彼からの贈り物を大切にするように、彼もまた、エレーナが贈った物を家宝のように扱っているのだ。
「……反論できないね。だが、私が何よりも優先するのはレーナだよ。レーナさえ隣にいてくれれば他に何もいらない」
するりと手を絡ませてきて甲に唇が触れる。優しい、けれども熱を持った眼差しにドキリとするが、すぐに鋭さを増した。
「当分、小舟に乗るのは禁止だから。もちろん、水辺に近づくのもいけない。王宮に戻るまで離宮から出かけず、安静に過ごすように」
「…………はい」
まだ王都に帰るまでは日数があったので、医者の許可が下りたらノルフィアナを観光したかった。しかし、こればかりは仕方ないだろう。
(私が落ちたのが悪いし、心配も沢山かけてしまったもの)
そうして大人しく離宮の中で過ごして王都に戻ったのだが。王宮は王宮でエレーナが溺れたという手紙だけ受け取っていたミュリエルが、今か今かと待ち構えていて。
しばらくの間、何かしようとする度にリチャードと義母であるミュリエルが代わる代わる全て終わらせてしまう。
加えて、医者からお墨付きを得て全快しても過保護な二人に、エレーナは自分の身を危険に晒す真似は今後絶対にしないと再度固く誓った。
「もう遣いを出しました」
そんな切羽詰まった声が聞こえてきて。エレーナはケホケホと激しく咳き込みながら一時的に意識を取り戻した。
「レーナ」
大好きな声が耳に届く。
「……っ」
名に反応する代わりにエレーナは咳き込む。そのたびに吸い込んでいた水が口腔内から溢れてきた。
エレーナはリチャードに抱き抱えられているようだった。ぼやける視界にはぐっしょりと濡れたドレスに、前髪からはぽたぽたと水が滴り落ちてくる。
(さむい)
全身びしょ濡れの身体は体温を奪われており、ぶるりと震えると上からふわふわな毛布のようなものをかけられた。
「これしかなくてごめん。もうすぐ離宮に着くよ。着いたら温めてあげられるから」
どうやら自分は助けられたようだ。こくんと小さく頷いてエレーナの意識はまた遠のいた。
その後のことはあまりよく覚えていなかった。離宮に着いたエレーナは先に知らせを受け、待ち構えていたリリアン達によってすぐに着替えさせられ、火を熾した暖炉で温められた部屋に寝かされた。
そして水に落ちた影響か、酷い風邪をひいてしまい高熱に魘されて朦朧とした中、何度か目を覚まし、その度にリチャード達に話しかけられたらしい。
ようやくはっきりと意識を取り戻したのは湖に落ちて溺れ死にそうになってから三日後のこと。
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
エレーナは三日三晩自分のそばを離れず、メイリーン達と共に付きっきりで看病してくれていたリチャードに謝罪の言葉を述べていた。
(誘拐事件で魘されていたのを知っていたのに。私、またリー様のトラウマを掘り起こしてしまったわ)
ちらりと夫の顔を見る。彼の目の下には隠しようもないほど濃いクマができていて。メイリーンが教えてくれたことには、この三日間一睡もしてないらしい。
「それと、助けていただきありがとうございます。ただ、護衛の方も他の小舟に乗っておりましたし、リー様が自ら湖の中に入るなんて……下手したら私と一緒に溺れてしまいます」
意識を手放すその瞬間、手首を掴んで引きあげてくれたのはリチャードだった。
命の恩人かつ夫に対して言うべきではないが、彼は王太子なのだ。王太子妃のエレーナは替えがきくが、王太子はリチャードしかなれない。
救助は護衛に任せた方が良いし、護衛の方々も王太子が自ら湖に飛び込むなんて肝を冷やしたと思う。
「私のために命を危険に晒すのはやめてください」
妻として、愛する人であるリチャードが自分を助けるために湖に飛び込み、共に溺れる可能性があっただけでも心臓が冷えていく心地がする。
そんな思いから伝えたのに、リチャードは腕を組みながら不機嫌そうに口を歪める。
「レーナは私の心を君がどれほど占めているか分かってないみたいだね」
リチャードは寝台の中で上半身だけ起こしたエレーナの頬を撫でる。
「そもそも、レーナがいない人生なんて死んだも同然だ。飛び込まない選択肢はない」
そう言って存在を確かめるように強く抱き締められる。
「もう二度と飛ばされた帽子に手を伸ばさないで。わかったね?」
「それはちょっと……」
言葉を濁すと彼は眉間に皺を寄せる。
「何故」
「……リー様からいただいた私の大切な宝物ですもの。咄嗟に身体が動いてしまったのです。だから今後も同じことが起きた場合、きっと手を伸ばしてしまうでしょうし、約束できません」
「帽子なんていくらでも贈ってあげるよ」
「そういう問題ではないのです!」
むうと唇を尖らせる。
「リー様が私と同じ立場だったら、手を伸ばさないのですか? 違うでしょう」
目の前の彼が心底自分のことを愛してくれているのはもう恥ずかしいくらいに身をもって知っている。
エレーナが彼からの贈り物を大切にするように、彼もまた、エレーナが贈った物を家宝のように扱っているのだ。
「……反論できないね。だが、私が何よりも優先するのはレーナだよ。レーナさえ隣にいてくれれば他に何もいらない」
するりと手を絡ませてきて甲に唇が触れる。優しい、けれども熱を持った眼差しにドキリとするが、すぐに鋭さを増した。
「当分、小舟に乗るのは禁止だから。もちろん、水辺に近づくのもいけない。王宮に戻るまで離宮から出かけず、安静に過ごすように」
「…………はい」
まだ王都に帰るまでは日数があったので、医者の許可が下りたらノルフィアナを観光したかった。しかし、こればかりは仕方ないだろう。
(私が落ちたのが悪いし、心配も沢山かけてしまったもの)
そうして大人しく離宮の中で過ごして王都に戻ったのだが。王宮は王宮でエレーナが溺れたという手紙だけ受け取っていたミュリエルが、今か今かと待ち構えていて。
しばらくの間、何かしようとする度にリチャードと義母であるミュリエルが代わる代わる全て終わらせてしまう。
加えて、医者からお墨付きを得て全快しても過保護な二人に、エレーナは自分の身を危険に晒す真似は今後絶対にしないと再度固く誓った。
68
お気に入りに追加
5,987
あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。
大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」
「サム、もちろん私も愛しているわ」
伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。
告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。
泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。
リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。
どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。


余命3ヶ月を言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。
特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。
ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。
毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。
診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。
もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。
一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは…
※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いいたします。
他サイトでも同時投稿中です。

【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】
男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。
少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。
けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。
少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。
それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。
その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。
そこには残酷な現実が待っていた――
*他サイトでも投稿中

【本編完結】愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を
川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」
とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。
これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。
だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。
これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。
第22回書き出し祭り参加作品
2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます
2025.2.14 後日談を投稿しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる