王子殿下の慕う人

夕香里

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番外編

出逢いと愛称(3)

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「美味しい?」

 問えば、エレーナは満面の笑みをリチャードに向ける。

「うん、とっても! リーしゃまもどーぞ」

 食べかけのシュークリームが目の前に出される。

「僕は大丈夫だ。エレーナ嬢が食べるといいよ」

 そう断るが、エレーナはイヤイヤと首を横に振った。

「メッ! なの。たべなきゃだめ」

 んっ、とリチャードの口元にまでシュークリームを持ってくる。

「じゃあ…………いただきます」

 リチャードはミュリエルとヴィオレッタがいつの間にか話をやめて、こちらを微笑ましげに見ていることに気がついていた。
 見られていることに恥ずかしさを覚えつつ、柔らかい生地に歯を立てる。

 口から溢れたクリームを舌で舐めとる様子を彼女に凝視され、少し居心地が悪い。

「おいしいでしょ?」
「うん。分けてくれてありがとう」

 感謝を伝えればエレーナは満足したようで、またシュークリームを頬張った。

「ごちそーしゃまでした」

 手を合わせてエレーナは頭をぺこりと下げれば、ぴょこぴょこっと結われた髪が揺れる。
 リチャードは頼まれてもいないのに、自ら率先して彼女のクリームで汚れた手を拭く。

(あ、口元も汚れてる。拭いた方が……いいよね?)

 幼子といっても、彼女は異性である。勝手に顔に触れていいのだろうか。

(……拭かない方がダメだよな。うん、そうだ。不快な思いをさせたら謝罪すればいい)

 無理矢理自分の行動を正当化して、エレーナの頬に手を伸ばす。

「少し失礼」
「?」

 汚れた面を内側にして、そのままそっと彼女の口元にハンカチを滑らせた。

「クリームがついてたよ」
「きがつかなかった! とってくれてありがとう」

 上機嫌なエレーナはるんるんと鼻歌を歌う。リチャードは安堵しつつもそんな彼女の様子をずっと眺めていた。


◇◇◇


 時間が経つのは早いもので太陽が傾き、お開きの時間になった。

「リーしゃま」
「どうしたの?」
「きょうは、わたしといっしょに、いてくれて、たのしかった! いつもはおかあしゃまやおとうしゃまにするんだけど……。かがんでくださいませ」

 言われた通りにリチャードは膝を地面につける。エレーナはリチャードの横に移動し、顔を近づけてきた。

「ふふ、これね、とくべつなの。きちょうなのよ」

 チュッとリチャードの頬にキスをしたエレーナは少しだけ恥じらい、ヴィオレッタの方に駆けていった。
 そのままヴィオレッタに抱き抱えられる。

 リチャードはじわじわと彼女の唇が触れたところが熱を持ち出すのを感じていた。

(ああ、これ、多分……あの子のことを)

 彼女が隣にいる限り心臓はずっと早鐘を打ち、笑顔はリチャードの心を溶かしていく。シュークリームを食べている時なんて、瞬きをする時間も惜しく、頬張る可愛い姿から目が離せなかった。

 これはミュリエルのエレーナに対する「可愛い」とはまた別の感情である。

(一目……惚れというもの?)

 結論に至り、リチャードはボッと顔を赤くして誰にも見られないように俯いた。

 エレーナに会う直前まで、「どうせまた同じような令嬢だ、媚びへつらうんだ、嫌いだ」と思っていた自分が嘘のような変わり様だ。

(でも、堕ちちゃったんだ……全部可愛いって思ってしまう。……ああ、僕……ほんとに変だ)

 一人悶々としているリチャードを他所に、今日一日で彼を陥落させたことに気が付いていないエレーナは、ヴィオレッタに質問した。

「おかあしゃま、またリーしゃまにあえる?」
「レーナちゃんが望むなら」

(多分あの様子だと絶対に再会するわね)

 殿下はエレーナのことが気に入ったようだ。頬を押さえて俯きかげんに立ちすくしている。 
 真っ赤な殿下の後ろには、我が子をにやにやしながら眺めている友人がいた。

(レーナを見つめる姿がエルと一緒だった。後で教えてあげましょう。きっと喜ぶわ)

 友人はリチャードの他人や玩具への興味のなさに気を揉んでいて、自分に相談することもあった。
 ヴィオレッタから見ても、殿下は同年代の子息と比べて何処か違う雰囲気を纏う子供であった。
 だが今日のリチャード殿下の様子を見れば、彼に対する心配は杞憂だったのだと友人も思えるはずだ。

(レーナちゃんは苦労するかもしれないけれど)

「おかあしゃまどうしたの?」
「何でもないわ。さあレーナちゃん、お別れの挨拶をしましょうね」

 エレーナはこくりと頷く。
 そして笑顔でこう言った。

「エルしゃま、リーしゃま、ばいばーい。またね」

「きゃ~! 可愛い! 可愛いわ! 眼福……!!!」

 エレーナの笑顔と手を振る仕草はミュリエルの心臓を射止める。それはリチャードも同様で、真っ赤な顔で別れの言葉を言おうと口を開けては閉じてを繰り返している。

「あれ? まっかっかだよ? だいじょーぶ?」

 エレーナからしても不思議だったらしい。心配そうにリチャードに声をかけた。

「いや、あ、ううん、大丈夫だよ。またね」

 リチャードは自分の気持ちを自覚し、混乱中だった。こんな特別な感情は誰に対しても抱いたことがなかったので、どう対応すればいいのか分からなかったのだ。

「──れーな」
「え?」
「リーしゃま、わたしね、すきなひとにはレーナってよんでもらうの」

 エレーナに他意はなかった。周りの大人達は彼女のことをレーナと呼ぶし、エレーナにとってリチャードは「優しいから好きな人」認定されていたのだ。
 それに、エレーナ嬢と呼ばれるのは何だかムズムズして居心地が悪かったのだった。

 リチャードだって自分が彼女に抱く「好き」とは違う意味だと分かっているのに、勘違いしてしまいたくなる己の心情に腹ただしいやら、そんな感情を抱く自分が恥ずかしいやらでいっぱいだった。

「……レーナ」

 しばらくして呟いた言葉は綿菓子のように口の中で溶けた。

「はいリーしゃま」

 リチャードの気持ちも知らないで、元気よくエレーナは返事をする。

「なら、僕のこともリーでいいよ。というかそう呼んでくれたら嬉しい」

 自分のことを敬称を付けずに呼ぶのは家族だけで。この日初めて家族以外の人に自ら乞うた。
 出逢って間もないけれど、それだけ唯一無二の特別な存在だったのだ。

「わかった。リーしゃま、じゃなくてリーね」

 そうしてにっこり笑ったエレーナと、見守っていたヴィオレッタは今度こそ王宮を後にした。

──この〝リー〟という呼び方。

 エレーナだけが許された呼び名だったのを、彼女自身が知るのはまだまだ先の話である。
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