王子殿下の慕う人

夕香里

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番外編

出逢いと愛称(2)

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「お……うじ、ってなぁに? わたし、わかんないわ」
「そうねぇ……お母様がレーナちゃんによく読んであげる絵本に出てくるわ」
「それって、エリオット、しゃま、のこと?」
「そうよ」

 エレーナは瞳を輝かせ、前のめりになる。

「わぁ! わたし、えほんのエリオットしゃまね、だいすきなの! このかたも、エリオットしゃまなのね」
「ちがうわ、リチャード殿下よ」

 ヴィオレッタが勘違いを指摘すればエレーナはよく分からないようだった。先程よりも小首を傾げる。

「りーちゃー、しゃま? なの?」

 その問いかけはヴィオレッタに向けてではなく、立ちすくしていたリチャードに向けられた。

 まさか声をかけられるとは思わなくて、リチャードは反応に遅れてしまう。
 慌てて彼女の手を取って正式な挨拶をする。

「ううん、僕はリチャード・スタンレー。以後お見知りおきをエレーナ・ルイス公爵令嬢」

 柔らかな手に挨拶の口付けを落とせば、エレーナはくすぐったそうに笑う。

「りーちゃーしゃまじゃないなら、りーどしゃまかしら」
「ううんリチャードだよ。だけど呼び名は……エレーナ嬢の呼びやすいもので」

 リチャードにとって、もはや呼び方は何でも良かった。

 目の前の幼子が自分の名前を呼ぼうとしてくれている──それだけで嬉しかったから。

 だけど彼女は満足しないらしい。ふくれっ面をして「だめよ、ちゃんとよばないといけないの!」と怒っていた。

 その顔もリチャードにとっては可愛くて、思わず口元が緩んだ。

 エレーナはヴィオレッタに抱き抱えられたまま、どうにかして「リチャード」と言おうと奮闘する。

「りちゃーしゃま?」
「リチャードだよ」
「えっと、りーちゃどしゃま」
「ちょっと違うね。おしい」
「むずかしいわ……なんでいえないのぉ……」

 しまいには泣き出してしまいそうで、瞳に涙を溜め始めた。

「なら、こうしよう」

 リチャードはひとつの提案をした。

「リチャードはね、〝リー〟とも呼ばれるんだ。リーも僕の名前なんだよ」

 咄嗟に考えたこじつけだった。だが、エレーナはそれに満足したようである。
 彼女はゆっくりその名を口にした。

「──りーしゃま?」
「うん、正解」

 笑いかければエレーナは小さな手で口元を覆い、目を細めた。

「ふふ、やっといえたわ! リーしゃまですっておかあしゃま!」

 嬉しそうな愛娘に、ヴィオレッタも微笑み返す。

「良かったわね。さあ、そろそろ寂しそうにしているエルのところに行きましょう」

 そこでようやく茶席に座っている母の姿を視界にとらえた。ミュリエルは真剣な目付きでリチャード達の様子を観察していたが、三人の視線が注がれると気まずそうに微笑んだ。

「どう? リチャード、良くない? 可愛くない? お母様はとっても可愛いと思うの!」

 隣の席に座ると待ってました! とばかりに質問が飛んでくる。

 リチャードは母の手の上で転がされてるような気がして少し嫌だった。だが、同じ気持ちを抱いているのは事実であったし、隠しようもない。

「……否定しません」
「あらぁふふふっ。それは良かったわ」

 背中を叩かれる。ちょっと普段より強い。
 そして向けられる瞳の奥に、安堵が見え、いつもよりテンションが高いのは自分の気の所為だろうか。

(んー、でも母上はお気に入りのものにはいつもこうだから)

 きっと見間違えだとリチャードは片付けた。

 その間にヴィオレッタがエレーナを膝に乗せて席に着き、穏やかなお茶会が始まる。

 エレーナは最初、母親の上で大人しくしていたものの、段々飽きてきてしまったらしい。グズりだし、下ろして、下ろして、と駄々をこね始めた。

 ヴィオレッタは少し迷った後、エレーナを地面に下ろす。するとエレーナはヴィオレッタにぬいぐるみを預け、小さな足で、とてとてと反対側の席に座っていたリチャードに近づいてきた。

「あのね。わたし、リーしゃまのとなりに、いきたかったの」

 リチャードの手を握って開口一番にそう言ったエレーナは話を続ける。

「だから、ここ、に、いすをください」

 指さしたのは宣言通りリチャードの隣だった。

 ミュリエルが侍女に指示し、幼子が座っても安全な椅子を持ってきてもらう。

「どうして僕の隣に?」

 初めて抱いた己の気持ちが、まだ彼女に対する恋愛面での「好き」か判別できていなかったリチャードは、エレーナの行動に戸惑いつつも平静を装う。

「んーとね、わたし、おうじしゃますきなの」

 リチャードの手を握ったまま、エレーナはえへへと笑う。

「おうじしゃまってやさしいでしょ? だーいすき」

 本の中の登場人物のことを言っているのだろう。大きく身振り手振りを入れて一生懸命リチャードに説明する。

「リーしゃまも、おうじしゃまなのでしょう? だからすきなの!」

 そう言って座っているリチャードにギュッと抱きつき、にっこり笑う。

 もし、他の令嬢の言葉だったら身分しか見ていないんだなと不愉快だっただろう。しかしエレーナからのはリチャードを幸せな気持ちにさせた。

(──可愛い。どうしてこんな可愛いんだろう)

 リチャードの語彙力は低下していた。
 目の前のエレーナを見て、それしか考えられない。

 ぷっくりとしている頬、絹糸のような金の髪、リチャードよりも小さい手。全てが愛しいのだ。

 そこにようやく椅子を持った侍女が現れる。
 少し高さがあるので侍女がエレーナを抱き上げ、そっと椅子に乗せた。

「エレーナ嬢、何が食べたい? 取ってあげるよ」

 菓子が乗っているティアードトレイは、エレーナの手の届かないところにあり、誰かが取ってあげなければ彼女は食べられない。

「んーと……あれ!」

 暫く考えた後、エレーナはひとつの菓子を指した。それはふんわりと膨らんだ生地に生クリームをたっぷり詰めたお菓子。いわゆるシュークリームというものだった。

「はいどうぞ」
「わぁ! ありがとう」

 取り分ければエレーナは大切そうに両手で持つ。
 そして小さな口をめいいっぱい開き、美味しそうに頬張った。
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