王子殿下の慕う人

夕香里

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番外編

出逢いと愛称(1)

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 とある日の午後の事。

 リチャードは母親であるミュリエルに呼ばれていた。

(僕、何かしたっけ?)

 リチャードがミュリエルに呼ばれることは滅多にない。ゆえに理由がよく分からないまま、ミュリエルがいるという部屋に着く。

「母上、お呼びでしょうか」

 扉を開けながらおそるおそる尋ねれば、ミュリエルが瞳を輝かせてリチャードを迎え入れた。どうやら叱られる訳ではないらしい。

「あのね、今日はとっても楽しいことがあるのよ」

 興奮気味のミュリエルは寄ってきたリチャードの頭をわしゃわしゃと撫でる。

「誰にとってですか?」
「うーん、お母様と貴方にとってよ。だってあんなに可愛いんだもの!」

 リチャードはよく分からなかった。可愛いが指すのは何なのだろうか。

 ぬいぐるみ? と考えるが、女児ならまだしも自分は男児だ。しかももう八歳で、そんなもので遊ぶような性格ではなかった。

「王妃様、馬車が到着しました」
「知らせてくれてありがとう。さあ、私達も行くわよ」

 そう言ってミュリエルはリチャードの手を取った。

「はっ母上何処に行くので?」

 困惑気味なリチャードはミュリエルを見上げながら尋ねる。

「庭園よ。私が招待したお客様が来るの」
「まさか……令嬢ですか?」

 お客様と言えば、それしか浮かばない。リチャードがこのように母に呼ばれ、席に加わるのは大体決まっていたからだ。

(あ、嫌だ。帰りたい)

 齢八歳にして、同年代の異性からしつこく言い寄られ、飽き飽きしていたリチャードは、顔から表情が抜け落ちる。

「違うわ、違うのよ! いや、うん、女の子はいるけど……」

 表情が無くなった息子に弁明しようと思ったが、ミュリエルは最終的に認めた。

「母上、僕戻ります」

 するりと繋いでいた手を解き、来た道を引き返そうとする。ミュリエルは慌てて服を掴んで引き止めた。

「ほら、そんな事言わないで行きましょう? 今日の子はとっても可愛いのよ」
「──可愛いとか可愛くないとか興味無いです。これなら算術の授業を受けた方がマシです」

 想定はしていたが、バッサリと切られてミュリエルは言葉に詰まる。

「じゃあお母様のためだと思って。一目だけでも、遠目からで良いから……ね?」

 見るからに嫌そうな顔をしている。しかしミュリエルも譲れなかった。

「ほら、行くわよ」
「うー嫌だ……」

 呻きながらリチャードはミュリエルに連れていかれる。結局、母のお願いを拒否するのは出来ないのだ。


◇◇◇


「あ、先に来ていたわね」

 その声にリチャードは顔を上げる。

(どうせまた同じだ……嫌だなぁ)

 そう思っていたのに、すぐに帰ろうと思ったのに、次の瞬間には全て忘れていた。

「ヴィオ!」

 その声に反応して、背中を向けていた女性が振り返る。そして、彼女の腕の中には小さなうさぎのぬいぐるみを持った幼子が居た。

 女性の子供なのだろう。女性とよく似ている幼子は、大きな金の瞳をぱっちりと開き、つややかな黄金の髪を高い位置で二つに結び、ギュッと母親に抱きついている。

 何故かリチャードはその幼子から目が離せなかった。いつも異性に対して持つ感情とは違い、初めての、不思議な感覚だった。

(何で……こんな、変な……)

 バクバクと心臓がうるさい。

 あちら側も凝視されていることに気が付いたのか、小首を傾げた。と思ったら瞬きをして、にっこり無垢な笑みがリチャードに向けられた。

 王子だからとか、取り入ろうとしてとか、そういう邪心からのではなくて、純粋な、天使のような、愛らしいそれは、一瞬にしてリチャードを惹き付ける。

(──あの子のことをもっと知りたい)

「母上あの令嬢は誰ですか? 名前は?」

 いつもとは打って変わって矢継ぎ早に質問をするリチャード。ミュリエルはそんな我が子の様子に驚きつつも、そっと告げる。

「あの子はルイス公爵家のご息女よ。名前はエレーナ・ルイス」
「エ、レーナ……ルイス……」

 声に出して繰り返す。それだけでより一層、リチャードの心臓が跳ねた。

「あらリチャード、見たら戻るのではなかったの?」

 からかうようにミュリエルが言えば、リチャードは不服そうに口を尖らせた。

「いつそんなこと言いました? 言ってません」
「あらまぁ」

 リチャードはミュリエルと握っていた手を離し、自分からエレーナの元に向かった。

「殿下、お久しぶりでございます」

 近寄ってきたリチャードにヴィオレッタは挨拶の言葉を口に乗せる。

「ええ、あの、お久し……ぶりですルイス公爵夫人」

 いつもならスラスラと挨拶が出来るのに、今日の挨拶はしどろもどろになってしまった。その原因は考えるまでもない。

(訳が分からないよ……なんで……こんな、今まで可愛いとか、ずっと笑っていて欲しいとか、令嬢に対して思ったこと無かったのに)

 ひどく高鳴る心臓をどうにか抑えつけようとするが、治まりそうにもなかった。

「おかあしゃま、このかただぁれ?」

 未だ舌っ足らずな、それでいてリチャードにとっては金糸雀のような美しい声で、ヴィオレッタに抱えられたエレーナは声を発した。

「とっても高貴なお方よ。この国の王子殿下──リチャード・スタンレー殿下よ」

 ヴィオレッタが優しく諭すように教えれば、エレーナはきょとんと小首を傾げたのだった。


***

お久しぶりです!
「王子殿下の慕う人」の番外編の更新を始めました。
本編は毎日更新でしたが、番外編は不定期更新になります。
番外編もどうぞよろしくお願いします。
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