107 / 150
番外編
出逢いと愛称(1)
しおりを挟む
とある日の午後の事。
リチャードは母親であるミュリエルに呼ばれていた。
(僕、何かしたっけ?)
リチャードがミュリエルに呼ばれることは滅多にない。ゆえに理由がよく分からないまま、ミュリエルがいるという部屋に着く。
「母上、お呼びでしょうか」
扉を開けながらおそるおそる尋ねれば、ミュリエルが瞳を輝かせてリチャードを迎え入れた。どうやら叱られる訳ではないらしい。
「あのね、今日はとっても楽しいことがあるのよ」
興奮気味のミュリエルは寄ってきたリチャードの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「誰にとってですか?」
「うーん、お母様と貴方にとってよ。だってあんなに可愛いんだもの!」
リチャードはよく分からなかった。可愛いが指すのは何なのだろうか。
ぬいぐるみ? と考えるが、女児ならまだしも自分は男児だ。しかももう八歳で、そんなもので遊ぶような性格ではなかった。
「王妃様、馬車が到着しました」
「知らせてくれてありがとう。さあ、私達も行くわよ」
そう言ってミュリエルはリチャードの手を取った。
「はっ母上何処に行くので?」
困惑気味なリチャードはミュリエルを見上げながら尋ねる。
「庭園よ。私が招待したお客様が来るの」
「まさか……令嬢ですか?」
お客様と言えば、それしか浮かばない。リチャードがこのように母に呼ばれ、席に加わるのは大体決まっていたからだ。
(あ、嫌だ。帰りたい)
齢八歳にして、同年代の異性からしつこく言い寄られ、飽き飽きしていたリチャードは、顔から表情が抜け落ちる。
「違うわ、違うのよ! いや、うん、女の子はいるけど……」
表情が無くなった息子に弁明しようと思ったが、ミュリエルは最終的に認めた。
「母上、僕戻ります」
するりと繋いでいた手を解き、来た道を引き返そうとする。ミュリエルは慌てて服を掴んで引き止めた。
「ほら、そんな事言わないで行きましょう? 今日の子はとっても可愛いのよ」
「──可愛いとか可愛くないとか興味無いです。これなら算術の授業を受けた方がマシです」
想定はしていたが、バッサリと切られてミュリエルは言葉に詰まる。
「じゃあお母様のためだと思って。一目だけでも、遠目からで良いから……ね?」
見るからに嫌そうな顔をしている。しかしミュリエルも譲れなかった。
「ほら、行くわよ」
「うー嫌だ……」
呻きながらリチャードはミュリエルに連れていかれる。結局、母のお願いを拒否するのは出来ないのだ。
◇◇◇
「あ、先に来ていたわね」
その声にリチャードは顔を上げる。
(どうせまた同じだ……嫌だなぁ)
そう思っていたのに、すぐに帰ろうと思ったのに、次の瞬間には全て忘れていた。
「ヴィオ!」
その声に反応して、背中を向けていた女性が振り返る。そして、彼女の腕の中には小さなうさぎのぬいぐるみを持った幼子が居た。
女性の子供なのだろう。女性とよく似ている幼子は、大きな金の瞳をぱっちりと開き、つややかな黄金の髪を高い位置で二つに結び、ギュッと母親に抱きついている。
何故かリチャードはその幼子から目が離せなかった。いつも異性に対して持つ感情とは違い、初めての、不思議な感覚だった。
(何で……こんな、変な……)
バクバクと心臓がうるさい。
あちら側も凝視されていることに気が付いたのか、小首を傾げた。と思ったら瞬きをして、にっこり無垢な笑みがリチャードに向けられた。
王子だからとか、取り入ろうとしてとか、そういう邪心からのではなくて、純粋な、天使のような、愛らしいそれは、一瞬にしてリチャードを惹き付ける。
(──あの子のことをもっと知りたい)
「母上あの令嬢は誰ですか? 名前は?」
いつもとは打って変わって矢継ぎ早に質問をするリチャード。ミュリエルはそんな我が子の様子に驚きつつも、そっと告げる。
「あの子はルイス公爵家のご息女よ。名前はエレーナ・ルイス」
「エ、レーナ……ルイス……」
声に出して繰り返す。それだけでより一層、リチャードの心臓が跳ねた。
「あらリチャード、見たら戻るのではなかったの?」
からかうようにミュリエルが言えば、リチャードは不服そうに口を尖らせた。
「いつそんなこと言いました? 言ってません」
「あらまぁ」
リチャードはミュリエルと握っていた手を離し、自分からエレーナの元に向かった。
「殿下、お久しぶりでございます」
近寄ってきたリチャードにヴィオレッタは挨拶の言葉を口に乗せる。
「ええ、あの、お久し……ぶりですルイス公爵夫人」
いつもならスラスラと挨拶が出来るのに、今日の挨拶はしどろもどろになってしまった。その原因は考えるまでもない。
(訳が分からないよ……なんで……こんな、今まで可愛いとか、ずっと笑っていて欲しいとか、令嬢に対して思ったこと無かったのに)
ひどく高鳴る心臓をどうにか抑えつけようとするが、治まりそうにもなかった。
「おかあしゃま、このかただぁれ?」
未だ舌っ足らずな、それでいてリチャードにとっては金糸雀のような美しい声で、ヴィオレッタに抱えられたエレーナは声を発した。
「とっても高貴なお方よ。この国の王子殿下──リチャード・スタンレー殿下よ」
ヴィオレッタが優しく諭すように教えれば、エレーナはきょとんと小首を傾げたのだった。
***
お久しぶりです!
「王子殿下の慕う人」の番外編の更新を始めました。
本編は毎日更新でしたが、番外編は不定期更新になります。
番外編もどうぞよろしくお願いします。
リチャードは母親であるミュリエルに呼ばれていた。
(僕、何かしたっけ?)
リチャードがミュリエルに呼ばれることは滅多にない。ゆえに理由がよく分からないまま、ミュリエルがいるという部屋に着く。
「母上、お呼びでしょうか」
扉を開けながらおそるおそる尋ねれば、ミュリエルが瞳を輝かせてリチャードを迎え入れた。どうやら叱られる訳ではないらしい。
「あのね、今日はとっても楽しいことがあるのよ」
興奮気味のミュリエルは寄ってきたリチャードの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「誰にとってですか?」
「うーん、お母様と貴方にとってよ。だってあんなに可愛いんだもの!」
リチャードはよく分からなかった。可愛いが指すのは何なのだろうか。
ぬいぐるみ? と考えるが、女児ならまだしも自分は男児だ。しかももう八歳で、そんなもので遊ぶような性格ではなかった。
「王妃様、馬車が到着しました」
「知らせてくれてありがとう。さあ、私達も行くわよ」
そう言ってミュリエルはリチャードの手を取った。
「はっ母上何処に行くので?」
困惑気味なリチャードはミュリエルを見上げながら尋ねる。
「庭園よ。私が招待したお客様が来るの」
「まさか……令嬢ですか?」
お客様と言えば、それしか浮かばない。リチャードがこのように母に呼ばれ、席に加わるのは大体決まっていたからだ。
(あ、嫌だ。帰りたい)
齢八歳にして、同年代の異性からしつこく言い寄られ、飽き飽きしていたリチャードは、顔から表情が抜け落ちる。
「違うわ、違うのよ! いや、うん、女の子はいるけど……」
表情が無くなった息子に弁明しようと思ったが、ミュリエルは最終的に認めた。
「母上、僕戻ります」
するりと繋いでいた手を解き、来た道を引き返そうとする。ミュリエルは慌てて服を掴んで引き止めた。
「ほら、そんな事言わないで行きましょう? 今日の子はとっても可愛いのよ」
「──可愛いとか可愛くないとか興味無いです。これなら算術の授業を受けた方がマシです」
想定はしていたが、バッサリと切られてミュリエルは言葉に詰まる。
「じゃあお母様のためだと思って。一目だけでも、遠目からで良いから……ね?」
見るからに嫌そうな顔をしている。しかしミュリエルも譲れなかった。
「ほら、行くわよ」
「うー嫌だ……」
呻きながらリチャードはミュリエルに連れていかれる。結局、母のお願いを拒否するのは出来ないのだ。
◇◇◇
「あ、先に来ていたわね」
その声にリチャードは顔を上げる。
(どうせまた同じだ……嫌だなぁ)
そう思っていたのに、すぐに帰ろうと思ったのに、次の瞬間には全て忘れていた。
「ヴィオ!」
その声に反応して、背中を向けていた女性が振り返る。そして、彼女の腕の中には小さなうさぎのぬいぐるみを持った幼子が居た。
女性の子供なのだろう。女性とよく似ている幼子は、大きな金の瞳をぱっちりと開き、つややかな黄金の髪を高い位置で二つに結び、ギュッと母親に抱きついている。
何故かリチャードはその幼子から目が離せなかった。いつも異性に対して持つ感情とは違い、初めての、不思議な感覚だった。
(何で……こんな、変な……)
バクバクと心臓がうるさい。
あちら側も凝視されていることに気が付いたのか、小首を傾げた。と思ったら瞬きをして、にっこり無垢な笑みがリチャードに向けられた。
王子だからとか、取り入ろうとしてとか、そういう邪心からのではなくて、純粋な、天使のような、愛らしいそれは、一瞬にしてリチャードを惹き付ける。
(──あの子のことをもっと知りたい)
「母上あの令嬢は誰ですか? 名前は?」
いつもとは打って変わって矢継ぎ早に質問をするリチャード。ミュリエルはそんな我が子の様子に驚きつつも、そっと告げる。
「あの子はルイス公爵家のご息女よ。名前はエレーナ・ルイス」
「エ、レーナ……ルイス……」
声に出して繰り返す。それだけでより一層、リチャードの心臓が跳ねた。
「あらリチャード、見たら戻るのではなかったの?」
からかうようにミュリエルが言えば、リチャードは不服そうに口を尖らせた。
「いつそんなこと言いました? 言ってません」
「あらまぁ」
リチャードはミュリエルと握っていた手を離し、自分からエレーナの元に向かった。
「殿下、お久しぶりでございます」
近寄ってきたリチャードにヴィオレッタは挨拶の言葉を口に乗せる。
「ええ、あの、お久し……ぶりですルイス公爵夫人」
いつもならスラスラと挨拶が出来るのに、今日の挨拶はしどろもどろになってしまった。その原因は考えるまでもない。
(訳が分からないよ……なんで……こんな、今まで可愛いとか、ずっと笑っていて欲しいとか、令嬢に対して思ったこと無かったのに)
ひどく高鳴る心臓をどうにか抑えつけようとするが、治まりそうにもなかった。
「おかあしゃま、このかただぁれ?」
未だ舌っ足らずな、それでいてリチャードにとっては金糸雀のような美しい声で、ヴィオレッタに抱えられたエレーナは声を発した。
「とっても高貴なお方よ。この国の王子殿下──リチャード・スタンレー殿下よ」
ヴィオレッタが優しく諭すように教えれば、エレーナはきょとんと小首を傾げたのだった。
***
お久しぶりです!
「王子殿下の慕う人」の番外編の更新を始めました。
本編は毎日更新でしたが、番外編は不定期更新になります。
番外編もどうぞよろしくお願いします。
152
お気に入りに追加
5,987
あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。


【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。
大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」
「サム、もちろん私も愛しているわ」
伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。
告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。
泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。
リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。
どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ
基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。
わかりませんか?
貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」
伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。
彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。
だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。
フリージアは、首を傾げてみせた。
「私にどうしろと」
「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」
カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。
「貴女はそれで構わないの?」
「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」
カリーナにも婚約者は居る。
想い合っている相手が。
だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由
ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。
しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。
話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、
「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」
と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。
同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。
大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら
基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。
エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。
微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。
エブリシアは苦笑した。
今日までなのだから。
今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる