王子殿下の慕う人

夕香里

文字の大きさ
上 下
102 / 150

父の思い

しおりを挟む
「楽しみだなぁ。娘が出来るのか」

膨大な仕事量を想像し、死にそうな顔をしている側近達とは反対に、陛下の頭はそれで占められていた。恨めしそうに、ギロリと睨みつけられていることに気がついていない。

「…………リドガルドがあそこまで喜ぶと嫁がせたくなくなる」

ルドウィッグも別の意味で陛下を睨みつけ、悪態をついた。

「──リド、扉が開いたままなのは会議は終わったからかしら? あら、リチャードにレーナちゃんじゃない。どうしたの?」

そう言って中に入ってきたのはミュリエルだった。

ああ、王妃様! お助け下さいと縋る勢いだった側近達の思惑は次の瞬間、見事に崩れた。

「──母上、婚約します」

「相手は?」

「レーナです」

間ができる。じっくりリチャードの言ったことを脳内で反芻し、ミュリエルの瞳の輝きが増した。

「やったぁぁぁ!!! 来たきたきたー!! 私の愛でる計画、お蔵入り回避ー!」

人がいるのも忘れてミュリエルはその場で飛び跳ね始め、小躍りする。唖然とする側近達は顔を見合わせた。

「証明書はもう書いた? 捕まえていなくてはダメよ。逃したらそれこそ怒るわよ」

「彼が持ってます」

「そうなのね! あなた、それ頂くわ」

何か言うよりも先に掻っ攫う。そして不備がないか確認した。

「玉璽が押されているなら私でも処理できるの。速攻で通してくる! ようやく待望の娘ができるわ!!! ああ、この日をどんなに待ちわびていたか」

そう言い残し、胸に婚約証明書を抱きしめて颯爽と王妃は立ち去った。

「──陛下、今日の議論は終わりにしましょう。私達はもう何も考えたくありません」

酷く疲れきった様子の者が言った。側近達の脳内の容量を超えていたのだ。同調するように賛成の声がまばらにかかる。

「では、解散。今日の議題は明日も議論することにする」

束になっている書類を抱えて出ていく。

最後まで残ったのは陛下、ルドウィッグ、リチャード、そしてエレーナ。

「エレーナ、一緒に帰ろうか。娘を離していただけませんか」

「仕方ないね」

リチャード殿下はエレーナを優しく地面に下ろす。

「私はですね。まあ、娘の婚約が決まって嬉しいですよ。嬉しいのですが……」

「何か問題でも?」

「娘は貴方のせいで今回の件に巻き込まれたのです。それにその前から振り回されています。だから……絶対に娘を幸せにしてくださらないと許さない。泣かせたら嫁いだ後だろうと、離縁させて公爵家の力全部使ってでも、連れて帰りますから」

エレーナを後ろに庇ってルドウィッグは言いきった。

「お、お父様」

「私は本気だからな。王家を敵に回してでも離縁させるから」

いつにも増して言葉に力が篭もっている。まるで未来で絶対にリチャード殿下がエレーナを泣かせると確信しているような。

(婚約式もしてないし、ましてや結婚なんてまだまだ先なのに……)

早とちりしすぎだ。婚約したからといってすぐに結婚はできない。ましてや貴族同士ではなくて、王太子の結婚だ。王妃教育や周りとの兼ね合いもあるので最短でも一年半はかかる。

そうエレーナは思っていたのだが、早くお嫁に来て欲しいミュリエルとリチャードが結託。加えて陛下を巻き込んだ上で王族の権力を行使し、本来ならありえないくらいのスピードで嫁ぐことをこの時はまだ知らなかった。

「──させませんよ。私がレーナを泣かせるなんてありえませんから」

自信たっぷりにリチャード殿下は言いきった。
二人の間に見えない火花が散っている。

「お取り込み中で申し訳ないが、リチャード、ミュリエルをあのままにしてると周りにバラすぞ」

その言葉に三人の視線が陛下に向いた。
確かに婚約をした自分よりも王妃様の方が喜んでいたのでありえる話だ。

「それは困る。では、母上を止めに行かないといけないのでお先に失礼しますね」

そう言ってリチャード殿下は部屋を出ていったので、エレーナもルドウィッグと一緒に公爵邸に帰ることにした。


◇◇◇


「お帰りなさいませ」

「ヴィオレッタは何処にいるかい?」

「談話室にいらっしゃいますが……何かありましたか?」

ルドウィッグは上着をデュークに渡した。

「エレーナの婚約が正式に決まった」

デュークの上着を持つ手が止まる。

「それはめでたい。ヴォルデ侯爵様とですか?」

エレーナがヴォルデ侯爵と婚約するという話は使用人達の中で広まっていた。だが、それはあくまで邸宅内だけのこと。当事者であるエレーナが何も言わないのに加えて、当主のルドウィッグが箝口令を敷いていたので外には漏れることがなかった。

それに使用人達は当初とても不思議だった。エレーナお嬢様はリチャード殿下を慕っていたのに、何故ヴォルデ侯爵と婚約するのか。何かの手違いなのではないかと思ったのだ。

(いよいよか。どうしてエレーナお嬢様は……)

ぼんやりと考えつつ、顔には出さないようにする。

「みんなそう思うよな。だが違う」

神妙な面持ちだったルドウィッグがにやりと笑った。

「──エレーナの婚約相手はリチャード殿下だ」

「ほっほんとですか?! お嬢さま!」

デュークが声を出すよりも先に、隣にいたリリアンが使用人の立場も忘れてエレーナに抱きついた。

「嘘ではないですよね」

エレーナの両頬を手で包んで覗き込んでいる。感極まった様子の彼女は、涙を浮かべ始めた。

「ほんとよ。嘘じゃないの」

エレーナははにかみながら微笑んだ。

「では何故目が腫れているのですか!」

「それは……その、少し手違いがあって」

早とちりして振られると思い、泣いてしまったなんて言えない。

「──泣かされたのか? あいつに?」

「お父様、殿下をあいつ呼ばわりは……」

相当腫れているのだろう。みるみるうちにルドウィッグの顔が険しくなる。というか馬車に一緒に乗ってきたのに今の今まで気が付かなかったのだろうか。

「────やはり婚約を破棄しよう。あいつが可愛い娘を幸せに出来るはずがない」

踵を返してルドウィッグは馬車に引き返す。

「旦那様、お嬢様はこの歳までずっとリチャード殿下を追いかけていたのです。それをぶち壊すのはおやめ下さい」

リリアンが動いた。さりげなく恥ずかしいことを言っている。それを見てデュークも動く。

「旦那様、気持ちを鎮めてください。奥様に知られたら呆れられますよ。馬鹿なことをするなと」

「止めるな。そもそもあいつは行き遅れと呼ばれる歳までエレーナを放置していたんだ。今更腹が立ってきた。婚約するならもっと早くても良かったじゃないか」

「……リリアンさん暇な者を呼んできてください。二人では無理です」

デュークは言い、リリアンは屋敷内に駆けていく。応じた使用人達総出でようやくルドウィッグを止められ、話を聞いたヴィオレッタに夜遅くまで絞られたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。

大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」 「サム、もちろん私も愛しているわ」  伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。  告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。  泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。  リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。 どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ

基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。 わかりませんか? 貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」 伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。 彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。 だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。 フリージアは、首を傾げてみせた。 「私にどうしろと」 「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」 カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。 「貴女はそれで構わないの?」 「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」 カリーナにも婚約者は居る。 想い合っている相手が。 だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由

ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。 しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。 話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、 「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」 と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。 同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。 大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

処理中です...