王子殿下の慕う人

夕香里

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嬉し涙へ(1)

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「──追いかけないのか」

エレーナが見えなくなったところで、襟首を掴まれたままだったアーネストは尋ねる。

「今レーナはなんて言っていた?」

滲み出ていたものは消え去って、呆然と、走っていった方向を見つめている。

「──慕っていたと」

「では何故逃げていく?」

「そりゃあお前の〝慕う人〟が自分だと思ってないからだろ? すれ違ってるぞ。はっきりと言えばよかったのに言わなかったからなお前も 」

エレーナ嬢のことになると馬鹿だなぁとアーネストは付け足した。

「ほら、このまま彼女が帰っていったら俺との婚約が成立する。いいのか王子殿下」

「うるさい黙れ。天と地がひっくり返っても、そんなことはさせない」

パッと手を離してリチャードはエレーナを追いかけて行った。

「…………まったく世話の焼ける2人だ」

放り出されたアーネストは芝生に座って溜息をついた。



◇◇◇



「レーナ待って!」

(なっなんで殿下が追いかけてきているの?!)

もう少しで庭園を抜ける、というところでリチャードはエレーナを視界に捉えた。

止まるつもりはない。スカートを捲し上げて裾を踏まないようにする。

「待てませんっ! 殿下こそ放っておいてくださいませ!」

ここまで来ると人がいる。周りの貴族たちが何事かと振り返って、王子殿下から泣きながら逃げるエレーナを凝視していた。

「言わないといけないことがあるんだ」

足の速さでは勝てない。追い付かれるのは確定だろう。こんな人がいるところで振られるのは堪らない。ならば。

くるりと方向転換し、人の居ない方にとにかく走る。
王宮の裏手の、ヴォルデ侯爵と出会った森の中ではなくて、丘の方をかけ登った。

あと少しでてっぺんというところでエレーナは石につまづく。綺麗に頭からずっこけたので、顔を上げると鼻がひりついた。

「ううぅ痛い」

「捕まえた」

起き上がろうとしたところを、大きな影が塞ぐ。トンっと自分の腕ではないものが、顔の横を通り過ぎた。

覆いかぶさったリチャード殿下は荒く息を吐き出す。それがかかるくらいの距離で、エレーナの心臓が早くなる。

「放っておいて下さいと言ったのに…………」

エレーナは涙を未だに零し続けていた。しゃくり上げている。

「レーナ、先程の話だけど」

「聞きません。私は返答を求めている訳では無いのです。ただ、そうだったんだと伝えるだけで終わりで、昨日、明日私が何をしても許してくださいとお願いしたじゃないですかぁ」

言っていることが支離滅裂だ。これではリチャード殿下に何も伝わらない。
ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなくて自由だった両手で隠す。
しかし直ぐに両手を取られて、地面に組み敷かれた。

「泣き止んで欲しい」

「抑えられません。出てきてしまうんです」

今も怖いですと小さく呟けば、リチャード殿下は目を伏せた。

「……怖がらせたことは謝るよ。だけどレーナ、僕は──」

「言わないでっ! もう分かります。殿下の慕う方は他にいるのに未練がましくなっていた私が悪いんです。ごめんなさい。だから……何も言わないで」

他に好きな人がいるから……と言われたら、それこそどんな失態をリチャード殿下の前でしでかすか分からない。

嗚咽が酷くなる。視界は涙で歪んで何も見えない。空の色と黒い影だけが色として認識される。

「ほんとに、あの、」

「いいよもう。──いつまで待っても気が付いてくれないことは分かった」

不貞腐れたかのような声色。

「え」

次の瞬間、ぐっと唇に柔らかいものが押し付けられた。仰天して涙が引っ込む。歪みが消えるとまつ毛とまつ毛が触れ合うほどのところにリチャード殿下がいた。

「その泡を食ったような表情、可愛いね。レーナは全部が可愛いよ。泣き顔、笑顔、怒った顔、しょげている顔、全部僕以外の誰にも見せたくないくらいに」

己の唇に移った紅をぺろりと舐めて笑い、エレーナの唇に指を滑らす。

突然の告白にエレーナは戸惑いを隠せない。

手袋越しに伝わるリチャード殿下の体温。意識しなくても触れられたところが熱い。

(泣き顔が可愛いって何? 新手の悪口? 誰にも見せたくないってそんなに酷いの?)

「レーナ、君は誤解しているよ」

両手離して彼は立ち上がった。

「なに……を?」

固まって起き上がれないエレーナの隣に移動してしゃがむ。

下に腕を入れたかと思うとグッとリチャード殿下との距離が縮まった。それだけで吃驚するほどエレーナの心臓は早鐘を打つ。

「僕が好きなのは今、目の前にいる人」

そう言って額を近づけてきた。コツンっと音がして2人の額がくっつく。殿下がふっと笑ったかと思うと、またエレーナの唇は奪われる。バクバクと心臓の音がうるさい。

「で、ですが……わた……し、しかここには」

エレーナはこれまでとは違う意味で涙が出てきそうになった。
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